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2015年6月13日 (土)

戦後70年目の沖縄で釣り以外のことも考える

沖縄に来ています。
正確に言うと沖縄には半月前から西表島にいたので、那覇に来ているということです。遊びで沖縄にくるのは二度目で、昨年の船中泊遠征についでのこと。
今回も船中泊遠征なのですが、東京や大阪からくる本体よりも一日早く那覇入りしていわゆる観光をして見ることにしました。

一般的な観光にはあまり興味の無いワタクシですが、首里城は一度訪れてみたかったので、モノレールに乗って出かけることに。

切符を買って改札を抜けようとしたら、自動改札機に切符を入れる隙間が無いので、一瞬あれ?と思ったら、切符に二次元バーコードが印刷されていて、飛行機の島上みたいに切符を近づけて通過。なんだかカッコイイぞ。開通した時代がわかる。

旭橋駅で電車を待ってるとやって来ましたモノレール、二両連結で車両も小さめの感じ。走り出すと以外にカーブが多く駅間は短い。

Imgp5056

終点の首里駅が近づくと丘の上に首里城が見えてきた。
駅を出てモノレールから見えた方向に道を歩くのだけれど、観光地によくある「首里城はこちら」みたいな看板が少なく、次第にこの道でイイのか不安になってくる。歩道のところどころにある地図も地味で目印など大げさに書かれてい無いので、注意しながら行った。最後の一般道から白への曲がり角にもこれといった看板はなく、うっかりすると行き過ぎてしまいそう。

角を曲がって少しいったら「どこから来たんですか」と中年のおっさんに突然声をかけられた。一瞬「西表島から」といいそうになるのを飲み込み間があいて、「横浜からです」と返事をすると「めんそーれ」といわれた。返事に困った顔をしていたのだろう「めんそーれというのは沖縄の言葉でようこそと言う意味です」と続けたので、「ありがとうございます」と答えて城に向かって歩いた。

その先は道の両側が沖縄県立芸術大学の校舎と図書館があり、落ち着いた空気が流れていた。

この辺りからゆるく上り坂になり、城山に登り始める。

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この辺りから首里城観光の案内順路を示す矢印が時々立っているのだが、これがとても分かりにくい。首里城一帯の公園は広く、いろいろな建物があるのに、順路の文字と矢印だけしかかれてい無いので、地図なしで歩くとどこに行く順路なのか不安になってくるのだ。

それでも要所要所には案内係りのおじさんがいたので、直接聞くと丁寧に教えてくれたので辿り着いた。

Imgp5068

門をくぐり抜けて正殿を正面に見ながら入り口と書かれた方向に向かう。入り口でビニール袋を渡されたので???と思ったら、中は土足では無いので靴を脱いでこれに入れろと言うことらしい。

入ってみたら納得。
床はすべて木張りの塗られたものなので、靴で歩いたらすぐに傷んでしまう。
時間がたっぷりあったので、入ってすぐに並ぶ琉球王朝の歴代の王様の絵をじっくり見比べながら行った。絵柄が三代くらいは構図や側近の顔などまで同じもが続いた後、突然背景の雰囲気がガラリとかわったので、説明を見るとこの王様は革新家だったとか。

絵図はすべてモノクロで、現物は沖縄戦で消失してしまったという。このような宝物まで焼けてしまったのかと、沖縄戦の激しさを想像し心が痛む。

僕らの小・中学生の時代は沖縄はまだアメリカの統治下にあり、日本ではなかった。
歴史の教科書にも地理の教科書にもほとんど出てくることはなく、第二次大戦で地上戦となりアメリカに占領されたことくらいしか知らなかった。

僕が15歳の時沖縄は本土復帰を果たしたのだが、その頃デビューした歌手の南沙織くらいしか沖縄のことは知らなかった。彼女が日本語を話せないというようなはなしもあり沖縄に対するイメージはボヤけるばかりだった。
そんなことを思い出しながら、城の中を歩いて回る。ところどころにある窓から見える海が青く美しい。

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琉球王朝の交易図を見て交易範囲の広さに驚かされた。これだけの小国が大国に挟まれながら占領されることなく400年以上もの間繁栄できたことは驚異だ。どのような政治的手腕で大国とやりあってきたのか、今の軍備の「増強こそ平和を守る」とうそぶく日本の政治家の見本となるべきこともあるのではないかと感じつつ廊下を歩く。

絵巻を映像解説している大型モニターの前に椅子があったので、休みながら画面を眺めた。どうやら琉球王朝時代の楽器の演奏や踊りを踊っている絵巻らしく、珍しい楽器や中国のものにそっくりなものなど出てきて興味深いのでじっくり見ることにした。

楽器の解説映像なのにその楽器の音が最後まで再現されていなかったのが残念だったが、絵巻の後に続いて楽器自体を再現する映像が面白いので30分近い映像を最後まで見てしまった。1年以上かけて漆で仕上げていく工程を細かく記録していたので、漆塗りについてちょっと知識がついてしまった。

職人の方の技術の高さに驚かされつつ最後まで見たが、楽器の演奏シーンはここでも無く、それらしい音が少し聞かれただけだったのが残念。楽器なんだから演奏してナンボでしょう。
それと、もう一つ技術で驚いたのは建築技術の高さでした。柱の組み、や繋ぎなどの木工技術が高い。

なんだかんだ2時間近く城内を歩いて、土産も買わずに帰路につく。
ちょど一番陽の高い時間に駅まで歩いた。どこかでお昼を食べようと思ったのだが、観光地の割にはお店が少ない。京都や奈良のように観光客目当ての店が軒を連ねるというような風景は全く無く、普通の街並みなのだ。

結局適当なお店を見つけられぬままモノレールに乗り旭橋駅まで戻り、今度はホテルに向く途中でお店をと歩いていくのだが、ここもまた看板は出ているのに開いていなかったりして、最後の最後で沖縄そばのお店にたどり着き入って食べる。

昨夜の夕食もソーキソバ、今日の昼もだが、なぜか飽きない。
初めて沖縄に仕事できたおよそ30年前、初めて食べたソーキソバは味気なく美味しいとは少しも感じなかった。私の舌が育っていなかったのか、ソーキソバの味がソフトになって食べやすくなったのかどうかは不明だけれど、美味しけりゃあいいか。

ホテルに戻る曲がり角の手前で「沖縄戦・ホロコースト展示館」という看板とウインドーに展示された沖縄戦での悲惨な写真が目に飛び込んできた。

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写真を見て、太平洋戦争、唯一の本土地上戦となった沖縄戦の悲惨さを思い知らされる。戦争は殺し殺されという負の連続。正義も大義もあったものじゃない。悲しみと憎しみ以外の何も残らない。

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中に入って展示を見ようとしたら、管理人が不在という札が立っていたのでやめた。
少し重い気分でホテルの部屋に戻ってネットを見たら、ジャズ・サックス奏者のオーネット・コールマンが無くなったことを知った。
私のジャズ人生に大きな影響を与えてくれたミュージシャン。合掌。
ネット・ラジオでブルースを聴きながら明日からの釣りの準備をする。
リールに巻いてあるライン・システム(糸の仕掛け)を全部作り直す。
ある程度使うルアーも整理して収納し準備万端。
後は、今夜合流する本隊の皆さんが来るのを待つばかり。

その前に、ソーキソバを食べにちょっと出かけてこよう。


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