コーヒー豆を自家焙煎してみた その1
コーヒー好きが高じて、とうとう自家焙煎まで始めることになってしまいました。
昨年の春頃に手でぐりぐり回して砕いて粉にするコーヒー・ミルを買ったのをきっかけに、地元にある自家焙煎コーヒーのお店で豆を買ってきて、コーヒーを入れるたびに豆をミルで挽いて飲むようになったんですよ。
何しろ挽きたてのコーヒーというのは、ビールでいうならば瓶ビールと生ビール、ジャズでいうならCDと生演奏くらいの違いがある。
どちらが良いかって、そりゃあ文句なく引き立てに軍配があがるわけです。
そんなこたあ知ってらい!って皆さん思うんでしょうが、なかなか面倒くさくて飲むたびにゴリゴリ回してコーヒーを挽くなんてやってらんないよ、というのが本音でしょう。
確かに面倒なんですが、近所の自家焙煎コーヒーの豆がこれまたその辺のショッピングセンターなんざで売ってる豆とはビックリするくらい美味しんですよ。
コーヒー豆は煎ってからどれだけ時間が経っちゃったかで味が大きく変わるんですね。
日本そばで言えば「挽きたて打ち立て茹でたて」というやつです、コーヒーは「煎りたて、挽きたて、入れたて」がうまい。
そいつを全部自分でやってしま位、極上の美味しいコーヒーを毎日飲んで幸せに暮らそうというわけです。
最後の「入れたて」というところもポイントです。
ただコーヒーの粉にお湯をかけりゃあ良いっていいうもんじゃない、お湯の温度、蒸らす時間、コーヒー豆に対するお湯の量などで味は全く変わってしまいます。
コーヒーをいれる話だけでも色々書きたいことはあるんですが、長くなりますのでまたの機会にということにしましょう。
とにかく、これらの過程を全て自分なりの好みにクリアしたコーヒーの美味しさといったら、もう他のコーヒーが飲めなくなっちゃうものです。
最近流行りの街道沿いなんかによくある大型のコーヒー専門チェーン店のコーヒーなんかちゃんちゃらおかしくて飲めなくなっちゃいますね。たまに飲むけど。
とまあ、かなり自己中心的、自己完結的、主観的ではありますがとにかく美味しいコーヒーを飲む幸せを満喫していたのであります。
ところが今夏、コーヒー豆のお値段が突然二割から三割ほど値上がりしたんですね。
私の大好きなコロンビアのエスメラルダと言う品種で200グラムで1200円ほどになってしまった。
ワタクシはコーヒーを入れるときにはいつも一度に二杯分の豆を使って一杯半くらいの量のコーヒーを入れ、ビールで言えば一番搾り的な美味しいところだけ飲むという贅沢な飲み方をしているものですから、一日一回の楽しみでも一週間くらいで200グラムの豆を消費してしまうので、この値上げはちょっと懐に痛い値上げなのでありました。
そんな中、最近ネットでコーヒーの生豆の値段というのを何気なく調べてみたところ、焙煎した豆の4分の1の値段で売られているのを知って飛び上がりましたよ。
なんと!200グラム1200円のコーヒー豆が生豆だと1キロも買えてしまう!
これは自分で焙煎できたら相当安いぞ、と早速焙煎方法、道具など調べてみたら、銀杏などを煎る金網を使ってガスコンロで煎れば良いことをしり、さらにその網は2000円そこそこで売っていることも確認。この値段なら豆を1キロ煎れば減価償却できちゃうじゃあないですか。
もう迷う理由は何もない、と焙煎用の網とコーヒーの生豆1キロを一緒に購入。
自分でコーヒー豆を焙煎してみようということになったわけです。
それにしても、なぜにたかだかコーヒー一杯にここまでこだわるようになってしまったのか、自分の過去をちょっと振り返ってみました。
ところで、みなさんがコーヒーを初めて飲んだのは何歳くらいのときでしょうか?
なあんていう質問をしたら、今の若い人たちには笑われてしまいそうだが、僕の子供の頃はコーヒーなんてなかった。
初めて飲んだのは小学生の高学年の頃かな。今から48年近く前の話である。
「悪魔くん」という確か水木しげる先生が原作の漫画の実写版ドラマが当時オンエアされていて、そこに登場する悪魔の大好物がコーヒーであった。
当時まだ10歳の僕にはそこに登場するコーヒーなる飲み物がとても魅惑的に目に映り、一度飲んでみたいと思いを募らせていた。
そんな僕が初めて飲んだコーヒーは言わずと知れたネスカフェ。
当時コーヒーといえばネスカフェしか僕の身の回りにはなかった。
その飲み方は「悪魔くん」の悪魔よろしく、ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを小さいスプーンですくってはちびちび飲むという、今では考えられないような、今時そのようなことをする人はどこにもいないと思われる飲み方をしていた。
幼心にインスタントながらもコーヒーの味はどこか外国の味がし大人の味がしたものでした。
そんなコーヒー初体験をした僕が本当の豆のコーヒーを初めて飲んだのは、さらにそこから5年後のこと。
高校生になった僕はまだ喫茶店というものに行ったことがなかった。
身近にカフェなんていうものはもちろん無かった。ドトールだってスタバだって出てきたのは何十年も後のこと。
マクドナルドの日本一号店が銀座に開店したというニュースが流れた時代なのである。
当時喫茶店は不良のたまり場、というイメージがあり大人の行く場所的な魅惑もあり、思春期の心をくすぐるには十分の魅力があったのだが、僕の住んでいた東武東上線の志木駅周辺にはいかにも不良や危ない商売の方々が出入りするような雰囲気の喫茶店しかなかったように思う。
なかなか喫茶店に行けなかった僕が初めて喫茶店に行き豆のコーヒーを飲んだのは、高校一年の時、級友と東武東上線に乗って池袋まで出かけて、東口のキンカ堂の裏手あたりにある喫茶店に行ったのが初めてだ。
ビルの二階か三階にあったその喫茶店へ続く細く長いエスカレーターを上り、ソファーのテーブル席に腰掛けて出てきたコーヒーは感動的に美味しかった。
あまりの美味しさに、真っ白で魅惑的な曲線を描いていたそのコーヒー・カップの形まで今でも鮮明に覚えている。
その味は、インスタントのものとは全く違い、苦味、コク、そして甘みさえ感じる深い味わいに僕は一発で参ってしまいそれ以来コーヒー人間となる。
それからしばらくの間は、日常的にはインスタント・コーヒーで我慢する日々であったが高校二年生の頃だろうか、豆のコーヒーがスーパーで手に入るようになった。
ちょうどその頃、僕はマイルス・デイビスとクリフォード・ブラウンという二人のジャズ・ミュージシャンの音楽に出会い、それまでのハードロック、プログレ少年からジャズ青年に変身した頃だった。
同じく変身した高校の同級生Kの家に毎日のように放課後行っては、コーヒーを飲みながらジャズを聴くという日々が続いた。
ジャズとコーヒーというのはすごく相性が良くて、薄暗くした友人の部屋の中で当時の人気機種だったソニー製のリッスン7というシステムコンポのスピーカーから流れてくるマイルスのトランペットやキャノンボール・アダレイやジョン・コルトレーンのサックスの怪しい音色とコーヒーの香りが妙に溶け込んで、当時の僕にとってすごく大人になった気分を味あわせてくれて快感だった。
この生活が次にジャズ喫茶への生活に流れていく。
当時東京の繁華街はジャズ喫茶がたくさんあった、一種のブームだった。
僕が初めて行ったジャズ喫茶は池袋西口にあった「JAZZ BED」と言うお店。
なぜかスピーカーがお店の中の対角線上に置かれていた変なお店。
高校時代、時々池袋に出てはこのお店でコーヒーを聞きながらタバコの煙にまみれて何時間も粘ってジャズを聴いた。
ジャズ喫茶で流れる大音量のジャズと苦いコーヒーとタバコの煙はなんともいえない異次元空間で、これにもすっかりやられてしまいこの世界にのめり込んで行くことになる。
いつの間にか僕自身も豆のコーヒーを入れるドリップ・セットを少ない小遣いを貯めて買い揃え家でもコーヒーを飲みながらジャズを聴くのが無常の喜びとなっていったのは自然な流れだった。ジャズ喫茶の真似をして砂糖を入れる壺に凝ってみたりして。
そんな僕がコーヒーにさらにのめり込んだのは大学受験に失敗して新宿御苑近くの予備校に通い始めてからだった。
その予備校の並びにコヒー豆の問屋さんがあり、店頭で様々な種類のコーヒー豆を売っていた。
当時のコーヒー豆の値段は、コロンビア、モカ、キリマンジャロ、マンデリン、グアテマラ、ブラジルといった豆が100グラム70円くらいだったと思う。ブルマンでも120円とか。今に比べると驚くほど安かった。
ところがこの年にブラジルでコーヒー豆の大不作ということが起こり、コーヒー相場は一気に上がって二倍近くになったのを覚えている。
ともかく、安かったので、ストレート・コーヒーを順番にかたっぱしから試して自分の好みのコーヒー豆を探した。一番の好みはブルマン。これは美味しい、香り、コク、味の深みというようなものがたを圧倒して美味しかった。120円当時は小遣いで買えた値段だったので随分飲みましたよ。今思えば贅沢だった。
次に好きなのがコロンビア。
この豆もバランスが良く、キリマンジャロやモカほど酸味は強くなく、まろやかで、コクも深い。この時に自分のコーヒーの好みが決まったのだと思う。
コーヒー・サイホンも買って、サイホンでコーヒーを入れるようになった。
大学に入った僕は喫茶店でアルバイトをした。
市ヶ谷の駅の近くの珈琲園と言うお店。
春休みに初めてそのまま授業あ始まってからも週に何度か働いていた。
お店にいるとコーヒーがタダで飲めるのが嬉しかった。
もう一つの学生時代のコーヒー体験は何と言ってもジャズ喫茶廻り。
当時ジャズ喫茶が大量にあった新宿はジャズ大好きの僕にとっては天国のような街で、大学までの定期券もわざわざ遠回りして新宿経由の国電(JRはなかった)のものを買った。
一番通ったのは新宿のディグ。
今の新宿アルタ裏のおんぼろビルの二階にあったディグは老舗として有名なお店で、オーナーの中平さんもジャズ界で有名人だった。かかるジャズも比較的硬派だったのも僕の好み。コーヒーはさほど美味しくなかったけどちゃんと一杯一杯入れていたと思う。この一杯で三時間は粘った。
二番目に通ったのが「ビザール」
新宿東口を出て新宿通りから靖国通りに抜ける道の左側の地下にあったお店。
ここは大きなホーン・スピーカが独特のいい音を出していたので、地味だけど好きな空間だった。
1980年頃、作家になる前の村上春樹さんが千駄ヶ谷に作った「ピーター・キャット」も時々出かけた。
このお店はオーディオが良かったのと、ジャズ喫茶には珍しくガラス張りの明るい店内というのが洒落た空間を作っていて好みだった。
社会人になってから仕事に忙殺されて、家でゆっくりサイホンのコーヒーを入れることはなくなった。ジャズを聴く時もいつの間にかコーヒーよりお酒を飲むことの方が多くなってしまった。
会社にオフィス・コーヒーシステムが導入されるようになってからは、カフェイン中毒になる程コーヒーを飲みましたね。一日十数杯。朝オフィスに行ったら自分でコーヒーをすこし濃いめに落として飲んだもの。そんな生活を20年ほどやって今に至る。
こうやって振り返ると我が人生の節目節目にコーヒーとの関わり合いがあるように思えて面白いなあ。ってそんな風に思うのは自分だけか。
そして、やっと話は元に戻ってコーヒーを自家焙煎する話になるんですが、話が長くなりすぎたので、そこに至る詳しい話は次回ということに。
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