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2016年3月

2016年3月16日 (水)

自家焙煎コーヒーシリーズ@エチオピア・イルガチャフェG2

コーヒー自家焙煎シリーズも今回は中南米を離れてアフリカラウンドに突入でございます。

これまでご紹介してきたのは、コロンビア二種、コスタリカ二種の中南米の豆を、それぞれ焙煎方法やいれるときの湯温の違いによる味の変化などを楽しんでまいりましたが、今回はあ新たな豆の登場でございます。
その名もエチオピア・イルガチャフェG2という、一度聞いたくらいでは覚えられないような、また声を上げて読むと舌をかんでしまいそうな名前ですが、エチオピア産のアラビカ種の豆ということなので広く「モカ」の名前で親しまれている豆の仲間と察するところであります。

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「モカ」という豆の味の特徴はなんといっても酸味、軽やかな酸味の中に深いコクと香りが楽しめるもので、一般に焙煎して販売されているものは、ワタクシの経験では中煎りの比較的浅い煎り方のものしか見たことがないので、今回、とりあえずこの豆の初回としましては中入りを試してみることにしました。
新しい豆の袋を開封する時というのはなかなかワクワクドキドキといい歳だというのに密かな高揚感があるもんでございます。
薄緑色の豆を手にしてみた時の肌触りもうれしく焙煎用のザルにあけながらうっとりとしてしまうのはいけないことでしょうか?

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焙煎といえば、この自家焙煎を初めて早4ヶ月が過ぎ自分なりに焙煎技術が上がってきましたよ。
なんといっても圧倒的に向上したのは焙煎にかかる時間の短縮ですね。
最初の頃は豆を焦がすまいと火から遠目にして恐る恐るシャカシャカとザルを振っていたものが、今では大胆に火にぐんと近づけて、ざるを降った時に飛び散る豆の薄皮に火がついて火の粉になって飛ぶくらい大胆にいっちゃっています。
このため、かつてショキノ頃は100グラムちょっとの豆を中煎りにするのに20分近くかかっていたのが、今ではなんと5分足らずで煎りあげられるようになりました。
これは体力的にも経済的にも大変な省力化になっており、なによりも疲れないのでもともと楽しくはあったもののさらに焙煎するのが楽しくて仕方ないというほどになったのであります。
ということで、エチオピア・イルガチャフェG2をシャカシャカ煎り始めること4分を過ぎたあたりで早くも一爆ぜ目のパチッ!という勢いのあるこ気味良い音がしたかと思うと、待ってましたとばかりに豆全体が一斉にパチッ、パチパチパチ!と爆ぜ始めます。
この瞬間が自家焙煎での最初の恍惚感を味わう瞬間でありますね。
しかし、ここで恍惚に身を任せているわけにはいきません、ぐずぐずいつまでも煎っていると焙煎が進みすぎて中深煎りになってしまうんです。
ここの中煎りはここまで!というタイミングの見極めがなかなか難しく、まだかなまだかなと、時々出遅れて爆ぜる豆の音を聞いているうちにタイミングを逸して焙煎が進み過ぎてしまったことを何度か経験いたしました。
パチパチの勢いが弱まったきた頃合を見て豆の色をチェックして、均等に中煎りの色になったのを見極め火から離し広げた新聞紙の上に豆をあけて素早くウチワで扇ぎ熱を撮ります。
うちわで仰ぎながら、煎りたての豆の色艶を眺めるのが自家焙煎における二度目の恍惚感を味わうところであります。

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今度は、グズグズ恍惚としていても豆が変質することもないので、存分に恍惚感を味わうことができるのであります。
とはいえ、右手にウチワを持って台所でコーヒー豆を見ながら恍惚としているというのも、いい大人として如何なものかとも思えますので、ほどほどのところでやめておいて、豆の熱が十分取れたところで密閉容器にしまい、とりあえず焙煎作業は終わります。
と言いたいところなんですが、実はもうひとつだけやらなければならない作業がこの自家焙煎作業にあるんです。それは焙煎時に飛び散った豆の薄皮のお掃除。
自家焙煎における唯一の苦痛な作業といっても良い工程なのですが、この薄皮と来たら下の写真を見た皆さんは、え~、こんなに飛び散るの~!とビックリなされるのではと思われるほどの量が飛び散るんですね。

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そのため、お掃除がしやすいように作業前にはコンロのゴトクを外し、魚を焼くグリルの排気口をアルミホイルで覆っておいたり、周囲のお鍋や容器には蓋や覆いをかけておかないとあとが大変なことになりますので、もし、これからコーヒーの自家焙煎をはじめるという方がいらしたらご注意ください。
さてさて焙煎したコーヒー豆を一晩おいて味が落ち着いたところでいよいよ試飲のときがやってまいりました。
今回は、ほんブログ前二回にわたって書きましたコーヒーをいれるときの湯温に気を使って、二種類の入れ方をして味を比べてみましたよ。
最初は兎夢さんから教えていただいた86度のお湯でいれてみました。
事前の予測として、86度のお湯は熱湯よりも酸味が引き立つということが分かっていたので、酸味が売りのエチオピアにはこの温度が最適なのではないか?といういわば仮説を立てて臨んだわけであります。
いれたコーヒーを眺めては、手塩にかけて育て上げた我が子を見つめるような感動を覚えつつ香りを嗅いでから最初の一口をちびり、と口にし味を確かめます。
予想通りこの豆の特徴である爽やかな酸味が口の中に広がり、その後を追うように甘味も感じるコクと深い味わいが口の中に広がります。
非常にマイルドで上品な味わい、中南米の豆の苦味から力勝負で出てくる男性的な味に比べると、なんともしなやかで繊細な上品な女性的な色気のある味わい。
それはおもわず、「おいしいではないか!」と声に発してしまうほどでありました。
二口目からはその深く上品でしなやかな、繊細な味をじっくりと時間をかけて堪能したのでありました。
さて、これで終わりではありません。
次は熱湯でいれた時にこのコーヒーはどう変わってくれるのか?
熱湯で入れると苦味が強調されるとのことがわかっていたので、この上品さは失われてしまい、じゃじゃ馬娘のようなコーヒーに変貌してしまうのか?
いささか不安も感じつつ熱湯でいれてみました。
早速味見してみると
最初に口の中に広がったのは苦味でした。
意外!エチオピア産の豆で初めに苦味を感じたのは初めてかも。
しかし、その苦味の後を苦味を打ち消すかのごとく素早い速さで酸味が口に広がり、ああ、やはりこの豆はエチオピアの味を守ってくれたのね、という安堵感が心にも広がります。
さらにそれを追うように深みのあるコクが口いっぱいに広がり不安を一掃してくれました。
やはりこれまでいろいろ試したり、コーヒーをいれるときの定石通り、湯温は低めの方が酸味が立ち熱湯は苦味ということがここでも実証されたわけでありますが、じゃあどっちが美味しいのよ?というご意見もございましょう。
ワタクシの私的な感想では、この豆の中煎りに関しては全体のまろやかさやバランスの良さで熱湯よりも86度でいれた方に軍配をあげます。
正直申して、エチオピアの豆がこんなに繊細で上品な味わいの豆と感じたのは初めてのことである種の衝撃を感じたほどであります。
これは、このイルガチャフェG2という豆の特徴なのかもしれませんが、中煎り・エチオピアは86度で!ということにしました。
さてさて、次はこのエチオピア・イルガチャフェG2の中深煎りに挑戦ですよ。
一体どんな味になるのやら、深めの焙煎で苦味が前面に出てきてせっかくの持ち味である酸味が生きなくなるのではないかという不安は抱えつつも、やってみないことには始まらない。
コーヒー自家焙煎の旅は続くのであります。
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2016年3月13日 (日)

コーヒーのいれ方の話 続編

前回はコーヒーを入れる話を書きました。

コーヒーを入れる時の湯温が変わるとコーヒーの味が変わるという話しで、86度という温度で入れると苦味が薄くなってワタクシにとっては物足りない、というような話しでしたが、本当のところはどうなんだろうか?という結びで終わっていましたね。

そのブログに兎夢(トム)さん、というコーヒーに詳しい古い友達から、非常に参考になるコメントをいただいたので、ここにまとめてみようということにしました。

まずは湯温についてなのですが、

コメントを下さった兎夢さんによると、近所の焙煎屋のオヤジさんにドサっ!と渡されたコーヒーに関する知識の資料というものに次のような、湯温と味の関係が書かれていたというのです。

湯温:高温/90度以上→苦味が主体
湯温:中温/90~80度位→酸味&苦味
湯温:低温/75度以下→酸味が主体

これをみると、前回86度でいれたコーヒーは苦味がなくて酸味が強くなり、好みとしては物足りない、と書いた私の実験に基づく感想は当たっていたようですね。

これは、知っているととても便利なので、資料を送ってくださった兎夢さんには大変感謝しているところです。

90~80度だと、酸味と苦味が主体になると言うことは、モカ、やキリマンジャロ、といった酸味が売りの豆でコーヒーを入れる時にはこの温度でいれてみたら豆の良さが一層引き出せるのではないかということですね。

実はこれについては、もうすでに実験の準備が進んでおりまして、エチオピア産のある豆をすでに中煎りで煎ってあるんです。
明日の朝、このヌルめ酸味&苦味温度でいれてみようと企んでいますので、結果をお楽しみに。

さて、もう一つの問題はコーヒーのいれる方法についてですね。

私はかつてペーパーフィルター→サイフォン→布ドリップ→フレンチプレス→ペーパーフィルターという道のりをおよそ20年近くかかって元に戻った経験があるので、もっぱら最近はペーパー至上主義的意見だったのですが、これもまた兎夢さんから、フレンチプレスは雑味も含めてコーヒーの味全て抽出するのでコーヒーの味が太い!というご指摘をいただいきちょっと見方を変えたみることができ、ちょっと納得。

兎夢さんによれば、ペーパーはコーヒーのいいところだけ抽出する洗練された味なのでは、とおっしゃるのですが、それも納得の一言なのでありました。

フレンチプレスも自分の煎った豆で再挑戦してみようと思う次第であります。

また新しい発見があるかも。

たかがコーヒーを入れるだけの話しなのですが、このように造詣の深い方にご意見をいただくとますます興味は広がり、また深まるばかり。

先ほども書きましたように、次回はエチオピアのお豆ちゃん、中煎りであります。

これを、熱湯と86度の両方でいれて飲み比べてみることにしたいと思います。
コーヒーファンの方々、乞うご期待です。


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2016年3月 9日 (水)

コーヒーのいれ方の話

自家焙煎でシャカシャカと色々なコーヒー豆を煎っては楽しんでおりますが、前回のコーヒー自家焙煎ブログに古い友人の方からいたいただいたコメントに「コーヒーを入れるときは熱湯ではなく86度がいい」というお話をいただきました。

なんでも、コーヒー豆販売店の方に「コーヒーは熱湯で入れてはダメ!86度で入れるのが一番美味しい」というらしいんです。

それまで、コーヒーを入れるお湯は熱ければ熱いほどいい!
と固く信じていたワタクシには驚き且つ目から鱗的の新情報でありました。

コーヒーを入れるお湯の温度は熱いほどコーヒーの旨みを抽出するので、イタリアのエスプレッソなどはお湯からさらに温度の高い水蒸気にしてまで熱してコーヒーを入れることで、コーヒーのエッセンスだけ取り出して、小さなカップにほんの少しのエッセンスを飲むではないですか。

ワタクシ自身、イタリアを訪れたおよそ二週間の間、各地で毎日エスプレッソをいただきましたが、これらは皆大変美味しく、それまで比較的焙煎の浅い薄めのコーヒーが好みだったのがすっかり変わって苦めのヨーロピアン・テイストの深煎り豆のコーヒーが好きなっていったという経緯があったこともあり、コーヒーを入れる「お湯の温度は高ければいい信仰」をこのときに確信し、以来自分のコーヒーは熱湯で入れると決めていたのでありました。

そんなところに耳にした「86度」説、
知人曰く、自分でも初めは驚いたのだけれど試してみたら実際にコーヒーが美味しくなった、とおっしゃるのでこれは試してみるしかない。

ということで、早速試してみることにしました。

入れる豆は、前回本ブログでご紹介したコスタリカ・セントタラスSHB中深煎りであります。

さて、いつものようにお湯を沸かしながら豆をゴリゴリ挽いていきます。
二杯分の豆を挽くので一度には挽けないためとりあえずコーヒー・ミルの受け皿がいっぱいになる分だけ挽いておいてお湯の沸くのを待ちます。

二杯分のコーヒー豆はこの作業を3回繰り返すとちょうど挽ききる計算。

さて、お湯は沸きまずはドリップの紙に熱湯を通しついでにその落ちたお湯でカップを温めます。

「86度のお湯というのは熱湯を沸かしたヤカンの蓋を取って1分半待つとちょうど良くなる」ということなので、ここからヤカンの蓋を取った1分半の間に残りの豆を挽き切らなければなりません。

日頃はヤカンを再度火にかけて、お湯を沸騰する蒸気を見ながらチンタラとゴリゴリ挽いているのですが、今回はお湯が86度よりぬるくなってしまっては元も子もないので大急ぎでこれだけは何がなんでみやり切らねばならないのです。

コーヒー二杯分の豆を挽くには、中深煎り豆の場合およそコーヒーミルのハンドルを200回回すと挽き切れるというデータを取ってありましたので、一回分の60回転はすでに済ましてあるので、残りおよそ140回転を1分半、つまり90秒の間にやり切らなくてはならない。

一秒間に二回転弱回さなければならない計算になるので気合が入ります。

さあ、いよいよそのスタートの瞬間。
ヤカンの蓋を外したとほぼ同時に右手はミルのハンドルに素早く移したと思ったときにはもう回転をし始めているほどの早業でコーヒーを挽き始めます。

一心不乱に右手を回転させながら片目でチラチラ腕時計を眺めます。
ミルの受け皿がいっぱいになった二回めの時点で40秒経過、素早くその豆をドリップに移し三たびミルのハンドルを回します。

こんなに物事に急いだことが最近あったろうか?
時間に追われる生活というものから離れて久しいので、一秒の短さを肌で感じながら一方ではそんなこと考えている暇もなく右手をフル回転させることおよそ200回。

豆が挽き切ってハンドルが軽くなりカラカラという感触が伝わってきたところで1分15秒を回っていたので急いで残りの粉をドリップに入れたら、ミルのお皿を元に戻す暇もなく素早くコーヒーカップの中のお湯を捨ててすぐに最初のお湯をドリップに投入したのが1分35秒後。

わずかに間に合わなかったけれど5秒くらい勘弁してください。
お湯の量もそこそこあるのでそんなに急激に湯温が下がるとも思えないし。

ここからは先ほどまでの慌ただしさとは正反対にじっくりコーヒーにお湯をそそいでいきます。

まずは30秒ほど豆を蒸らしながら、泡が立ち上がりきるのをいつもの様にワクワクしながら見つめます。

コーヒーを入れるときに最も幸せな瞬間はここでありますね。
いい豆ほど芳醇な泡が沸き立ち、また同じ豆でも焙煎の仕方によって泡の立ち具合が異なったりするので、この泡の出方や泡の大きさなどからコーヒーの味を連想したりするのが大きな楽しみなのであります。

30秒が経過する頃には泡立ちもひと段落し、今度は少しづつお湯を注いでコーヒーを落とします。
このときの集中量が実はとても大切で、ないか他のことをしながらお湯をそそいだり、他のことを考えながらそそいだりしたときのコーヒーはだいたいうまく入らない、というのがコーヒー人生40年のワタクシの定石となっておりますので、今回は一際集中力を高めて、お湯の落ち方、豆の泡の出具合などつぶさに観察しながらお湯を注ぐのでありました。

やがて、コーヒーがカップの規定量まで達したところでお湯お注ぐのをやめて、コーヒーの出来上がり。

さあ、どんな美味しいコーヒーになってるのか?これまで味わたことのない美味しいコーヒーを想像しながらいよいよ感動の瞬間が訪れます。

その場で一口試してみたくなるのを我慢し、テーブルまでコーヒーカップを運んで椅子に座り、背筋を軽く深呼吸をして気持ちを落ち着け身を正してからいただいてみました。

まずは一口、ちびりと舐めてみたところ、予想していた味とは大違い。

いつもはまずは口の中に苦味が広がりそれを追いかける様に深いコクが口いっぱいに広がるのですが、まずはその第一弾の苦味が感じられないのです。

あれえ?と首を傾げながら今度はもう少し口に含んでじっくりと味わってみました。

すると、コーヒー本来のコクが感じられ、うっすらと酸味も感じられます。
全体的には苦味が抑えられて酸味を感じるようになり、その分味の角が取れてマイルドになり全体のバランス良くなっている、という感じなのです。

いつもの同じ豆とはとても思えないほどのマイルドさ。

しかし、これはワタクシにとっては薄くてぬるい、刺激の少ないコーヒーに感じて物足らない味だったんですよ。

このあと、じっくりと残りのコーヒーを味わってみたもののその印象は変わらず、最後に少し残ったコーヒーが冷めたものを口にした時に後味にコーヒーのコクや旨味がじんわり口に広がるという奥深しさを感じることはできましたが、満足のいく味ではありませんでした。

これはきっと86度でちゃんと入れなかったからに違いないと、再度挑戦して入れ直して飲むことにし、先ほどと同じ工程を繰り返して再び口にコーヒーを運んだ時、新たな感動が現れるのかとも行きや、結果は前回と同じでした。

どうやら、ぬる目のお湯でコーヒーを入れるというのは、豆の刺激的な要素を抑えめにして全体のバランスを整えた味にしてくれるようなのですが、ワタクシにとってはどうも物足りない味で、お湯の味を舌に感じてしまい、某コーヒーチェーン店のお湯臭いコーヒーに共通する不味さになってしまうようでした。
例えて言うと、この入れ方は、おすましした京都料理のような薄味の中に本当の出汁の味や素材の味を楽しみ感じるような印象ですね。

しかし、苦味も甘みもコクも全面に押し出してくる主張の強い味が好みのワタクシには合いませんでした。

コーヒー業界ではこの86度方というのが常識なようなのですが、ワタクシなりに考察するに、この入れ方は中炒り豆の比較的焙煎の浅い豆をバランス入れるのには適しているのではないかと思うのですね。

ドトール、スタバ以前の関東地方の喫茶店のコーヒーは、概ねこの中煎り豆のコーヒーが主流でありましたので、その時分の確立されたのがこの86度方なのではないでしょうか?

それをそのまま深め焙煎の豆に応用すると今回のワタクシのようなことに、いや、某コーヒーチェーン店のコーヒなんかも同じ味だった、ということになっているのではないでしょうか?

コーヒーのプロの方、その辺如何なのでしょうか?

ということで、ワタクシ自身よく他人から「常識がない」と言われる身ではありますが、今回もどうやらそういう傾向の結末に至ってしまったようであります。

しかしながら、仮にワタクシの味の好みや入れ方が正統的なコーヒーの入れ方から逸脱した亜流であるならば、それはそれで甘んじて受け入れましょう。

明日からは、いや、口直しに次回からは確信犯的に熱湯で苦味たっぷりでキレまくったコーヒーを入れていこう、いずれはそれが新しいコーヒーの入れ方の流れになるかもしれないいう予感もするのでとにかく自分なりの方法でいこう!と固く決意したのであります。


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2016年3月 6日 (日)

やっぱりレコードはいい!

正直に白状すると、オーディオシステムと呼べるようなものを持っているにもかかわらず、最近音楽を聴くのはもっぱらYou-Tubeで演奏するための参考用として聞くことが多く、真面目にスピーカに向き合って音楽を聴くということを怠っておりました。

昨日のセッションで、「次回にやろうね」と渡された楽譜の中にコルトレーンのViolets for your furs とクリフォード・ブラウンのSanduという曲があった。

どちらの曲も今から40年以上前にジャズを聴き始めた頃に手にれたレコードで擦り切れるほど何度も聴いた曲なのではりますが、楽譜を見て細かいところを随分忘れているのに気付きチョロっとYou-Tubeで聴いてみた。

ああ、そうだ、ここはこんな感じだ、などとわかった気分になりながらも、なんだか昔体に染み込むほど聞いた時の印象と違う違和感を感じたので、久しぶりにレコードを取り出してちゃんと聴いてみることにした。

折しも家人はおらず、日曜の昼下がりなのでご近所さんにも比較的気兼ねなく大きい音で聴けるのではないか、という身勝手な判断で久しぶりに一丁聴いちゃうぞ、とレコードを取り出して、アンプのボリュームは少々大きめでかけてみた。

まずはコルトレーンのViolets for your furs,
この曲はコルトレーンのごく初期の確かリーダーとしては二作目くらいのアルバム。

まあ、そんなことはどうでもよくて、いったいどういう演奏をしているのか、久しぶりに聴くと自分の耳も変わっているので聴こえ方も変わろうと聴いてみた。

針を落として小さなノイズの中から出てきたコルトレーンのサックスの音は先ほどのPCで聴いたのとは大違い。

当たり前の話なのだけれど、PCで聴いていた音は本来の演奏の上面のほんの一部だけ、上澄みをサラッと聞いていただけということがよくわかり感心したり反省したり。

オーディオ・ファンでない人は別に音が聴ければそんなに音質にこだわる必要なんてないじゃん、てよく言いますけれども、確かに音楽を軽く聴いて楽しむだけならPCでもi-Podでもいいと思うんですよ、私だって。

でもね、私の場合昨年あたりからジャズは聴くものから同時に演るものにもなっているので、演奏家が演奏現場でいったい何をしているのかというのは非常に大切な要素になってくるんです。

レコードをそれなりのオーディオ装置で聴いてみると、例えばコルトレーンのサックスの音ならば、楽器の音の強弱の細かなニュアンスが聴こえるのはもとより、息を吹き込む時の音の出る前の音や細かなマウスピースへの唇の圧力の掛け方なども感じられるので、これは自分が演奏する際に大変役に立つんですね。

楽器をやらないオーディオ・ファンはこれを臨場感ということで楽しむのでしょう。

ともかくも、久しぶりに真面目に聴いてみてレコードの音の良さと情報の多さに感激!同時に自分が演奏する時のいろいろなヒントをつかむことができて、音に感情を詰め込むために具体的にどういうテクニックを使えばいいのかということまでレコードが教えてくれた気がしたのであります。

CDではどうなのか?
という質問が飛んできそうですが、本アルバムのCDは持ち合わせないのなんともいえ何のですが、CDは日頃聴いていてこのように感じることはあまりないですねえ。

実は先月マイルス・デイビスのBlue in Greenをコピーするのに何十回もKind of Blueをきいたのですが、マイルスの細かな音の出し方への気配りまではよく聴き取れましたがマウスピースへの唇の圧みたいなものまでは感じられなかった気がした。

と、ここまで書いてKind of Blueもレコードで聞かなくては片手落ちだなと、早速取り出して聴いてみた。

やはり、印象が全く違うじゃありませんか!

何が違うんだろう?

レコードではスタジオの空気が見えるというか感じることができる、録音の仕方が前出のコルトレーンのルディ・ヴァンゲルダーとこのマイルスのコロンビアスタジオでは全くコンセプトも違うので比較はできないのだけど、レコードの方が確実に微妙なニュアンスまで聴き取ることができるのは間違いないようです。

もちろん、先ほども申し上げたとおり、曲だけ聴いて楽しむだけならどうでもいい話なのではありますが。

こういうことなどから想像するに、かつて1980年代の中頃まで、レコードを買うお金のないジャズミュージシャンはジャズ喫茶に行っては新譜レコードをリクエストしては聴き入ったという話を思い出すと、当時のジャズ喫茶のオーディオ・システムから出ていた音はとても良かったので、目に見えない細かな音からいろいろな演奏の技を盗むようなことをミュージシャンは必死になってやっていたのではないかと思うのであります。

今では有名ミュージシャンの演奏する姿が簡単に見ることができるので、何をやっているのか簡単に見えてしまい、特にドラムスなどはかつてはどうやったらこういう音が出るんだろう?と四苦八苦して悩んでいたことが白日の下にさらされてしまっているので、「なあんだこんな風にやったんだ」という話がたくさんあるようです。

しかしながら、サックスの唇の加え方や細かい力の入れ具合などは残念ながら、そういう技術の解説映像以外ではなかなか見る事ができないので、あらためて今、レコードの貴重さとその音の良さに目覚めさせられた思いがいたします。

同時に、音楽は数をたくさん聴くことも大事だけれど、一つ一つからどれだけ聴き取って自分のものにしていくのか、ということはもっと大切なことのような気がしてきたので、これからは自分のやりたい音楽に関してはもう一度レコードでじっくり聴いて、当時のミュージシャンの思いやテクニックを少しでも感じ取っていこうと思うのでありました。

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2016年3月 3日 (木)

恐怖の釜揚げうどん@牧のうどん 北九州

夕刻羽田を発った飛行機が福岡空港に降り立ち、大量の釣り具その他の荷物をレンタカーのハイエース・ロング・バンに素早く積み込むと、車は足早に高速道路に滑り込むように入り一路唐津へと向かう。

佐賀の呼子港のサンライズ新海号での遠征時、出航日前夜のいつもの行程であります。

高速道路をしばらく走った車はあたりの明るの少なくなった国道に降りると山野の中を走る、しばらくすると左側に忽然と現れる大きな駐車場に車は滑り込むように止まります。

駐車場は「牧のうどん」といううどんやさんの駐車場。
閉店ギリギリに間に合ってこの店に入れた瞬間、ワタクシの心は九州に来た喜びに満ち溢れてくるのであります。

なぜかと言えば、この「牧のうどん」との出会いはうどん文化埼玉県育ちの私にとっては、讃岐や関西のうどんだけが「正しいうどん」ではない、という確信を得ることになったうどんとの出会いだったからなのであります。

一般的に美味しいうどんといえば、「つるつる」とか「しこしこ」とかいう言葉で形容されますが「つるつる」でなく且つ「しこしこ」でもなくても美味しいうどんというのが世の中には有るのであります。

「つるつる」でないというのは「ボソボソ」ですぐに切れてしまうと言うことにはならず、不要に表面がテカテカ光って「つるつる」しておらず表面は一見「ボソボソ」であっても食感はしっかりと「つるつる」しているうどんと言うのもあるのであります。

「牧のうどん」はこのようなうどんの典型とも言えるうどんで、その麺は太く無骨な印象であるにもかかわらず食感はしっかりと「つるつる」している美味しいうどんなのであります。

この「牧のうどん」をはじめとして、実はこの北九州地方はうどん文化の土地であるらしことを最近知ったのでした。

地元出身の小説家である五木寛之さんも、北九州というと博多ラーメンと言われるが実はうどん文化の地であるというようなことをどこかに書かれていたらしいということもあるほどに、地元ではこのうどんは強く支持されているらしい。

釣りの遠征ついでに訪れることしかないワタクシにも、店舗の賑わいや活気、その味などから、北九州の根強いうどん文化の存在を確信的に感じ取ることができるのでありました。


横長の大きなお店に入ると目の前には長〜いカウンターが広がっており、その中で調理がされている様子をチラ見しながら奥のお座敷に上がり込みます。


テーブルの上には注文の伝票がドカンと置かれているのでありますが、トッピングの具材も含めて書かれたこのメニュー伝票が長い!
幅がうんと広いモノサシかはたまた取りすぎちゃって出すぎたトイレットペーパーかという長さのものでなんとも豪快。

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ここに注文したものにテェックしさらに麺の茹で具合を「かた」「ふつう」「やわらかめ」 書き込むというかたちで注文が決まります。

伝票にもあるように素うどん310円、コロッケうどん410円とお値段の方はなんとも関東圏の立ち食いうどん並みの安さ。

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地元出身のプロ・ショップEbb&FlowのY店長のお勧めで麺はかた麺にいたしました。

待つこと数分、丼に盛られた麺がキラキラしながらは込まれてきます。

一見普通のうどんでありますが、麺は機械うちであるけれども、各お店で茹で上げているようで、注文をした後に茹でるので少々お待ちくださいと伝票にも書かれているし、茹でる硬さを注文できるところからも店で茹でていることがわかります。

この日の注文は肉麺にごぼう天のトピング。
テーブルに置かれた長ネギを思う存分盛り付けたらさあ、いよいようどんをいただくことにいたしましょう。

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写真で見ても(麺が具で見えないけど) 一見ふつうのうどんですが「牧のうどん」の驚くべき特徴は麺にあります。

それはのんびり食べていると麺がつゆを吸い込んでどんどん増えていくということ。

その増大ぶりは驚くべきものがあり、初めてこのうどんに出会った時に、このような説明を聞きながら、うっかり写真を撮っているうちにうどんは増大し始め、慌てて食べ始めたものの既に手遅れ。

食べても食べても減っていかないうどんに喜びとも苦しみとも言えぬうめき声をあげつつ必死にうどんと戦うワタクシを、遠征常連の方々は皆さんかつてこの麺の洗礼を受けたことがあるらしく、にやにやしながらみながらみています。

半分くらいは食べたのではないかという腹の膨らみ具合になったところで改めて麺の量を確認してみるとまったく減っている気配がない。

汁だけは明らかに減ってはいるのに麺は減っていないのです。
そこに悪魔の預言者Y店長のenosさん、「お汁がありますよ〜」と小さなヤカンに入っているめんつゆをどんぶりに足してくれるじゃあありませんか。

そんなことをしたらますます麺が汁を吸い込んで増えてしまう。

心の中では、写真撮影などというナメタ行為で出足のスタートダッシュを仕損なったことに舌打ちしつつ、なおかつその後の食べるスピードもうどんの増殖に勝てていない現実に打ちのめされる。

とはいえ、出されたものは全部食べる、というのが信条のワタクシも負けてはいられない、増える麺をひと口ひと口確実に噛み締め、おつゆも最後の一滴まで飲み切りました。ああ、もういらない。いや、もとい、大満足!

うどんとそばとの違いは違いはこのずっしりとした重量感なのではないでしょうか。
お蕎麦にも大盛りはあるもののうどんのような重さはないですよね。

ちなみに、関東圏はうどん文化と思うしましたが、ワタクシの生まれ育った埼玉県南部では盆や彼岸に親戚が集まるときは必ずうどんと決まっていました。
そのうどんは讃岐のようなシコシコではないものの素朴ではあるもののしっかりとコシがあり、 最近では「武蔵野うどん」などというブランドでお店を出しているところもあるとか。

群馬には「水沢うどん」という有名なうどんもある。

さらに、この手の太めのぶよぶよ手打ちうどんで「伊勢うどん」というものにごく最近出会ったのですが、濃いめのたれをかけて食べるこのうどんも実にぶよぶよであるにもかかわらずコシがあり美味かった。

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ここ数年、うどんと言えば冷凍麺でも手に入るようになった讃岐系のシコシコ麺のみに心を奪われていたワタクシですが「牧のうどん」は思わぬところで日本のうどん文化の多様性に気づかせてくれたのでありました。

「牧のうどん」はチェーン展開をしており、北九州、特に唐津方面に店舗が多いようですので、この地に足を向けるご予定のある皆さん、是非一度ご賞味あれ。

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