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2016年12月

2016年12月31日 (土)

大晦日はブログネタ満載

いやあ、例年ですと大晦日といえば蕎麦打ちネタのブログを更新してまた来年!というところなんですけれど、今年は年末ギリギリにカミさんが職場でいただいてきたらしいインフルエンザで倒れてしまったものだから蕎麦なんか打っておちゃおを濁している場合じゃあない。

このままだと年が明けてもおせち料理もないお正月をむかえにゃあならん、ということで30日になって慌てて蒲鉾やら伊達巻やらをスーパーに買い出しに行きましたよ。

でも、煮物関係ばかりは出来合いのものを全部買い込んだのではコスパが悪すぎるのでいつもお世話になっているクック・パッドさんのお世話になりながら作ってみました。

初めて作るお料理というのは、類似品はそれまで作ったことはあっても自信のないもので、ましてやおせち料理ともなると「失敗しちゃいました、すいません」では、「正月早々こんなもの食わせるのかよ」的なただの失敗では済まない空気なのであります。

とはいえ、作るしかないのでここは開き直ってやってみました。

珍しくレシピ通りに、余計なことは一切せずに作ったのでまあなんとかなるだろう、とやってみたら野菜と鶏肉の煮物はできましたよ。

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さらに娘の畑で採れた里芋があったのでこれも煮てみました。
エビと伊達巻に引き立てられてなかなかいい感じでしょ。

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てな感じで意外となんとかなってしまい、ちょっとあっけないくらい順調にいってしまったのではありますが、この手の煮物は煮込む時間がかかるのでこの二品を作った時点でお昼ご飯。

昼食は思いっきり手を抜いて、それでも今年最後の白いお米のご飯を食べて、さて午後の部です。

普通なら、ここでお蕎麦を打って夕方に天ぷらを揚げておしまい、と行くところなんですが、今朝コーヒー豆の在庫が底をついてしまったのを私は覚えていた。

そこで、お正月に飲むと思われるコーヒー豆をシャカシャカ焙煎することに。

お正月はおそらくコーヒー好きの娘が遊びに来ることや三ヶ日に新年会でお会いするかもしれない方にコーヒー好きがいるので、この方を「あ!」と言わせるような豆を煎ってやろうじゃあないかと気合が入っちゃいました。

本日焙煎したのはこの三種

まずはエチオピア・シダモG2の中煎り。これは定番的抑えとして煎りました。

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続いてはホンジュラスHG中深煎り。これはぼく用ですね。極めて自分の好みの深さに煎りました。

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最後の一品がこだわりのホンジュラス・セロアスール中煎り。

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この豆は普段は中深煎りでちょっと苦目で飲むのですが、あえて中煎りにすることで酸味も楽しんでみようというもの。さて、狙い通りの味になっているかどうかは来年のお楽しみ。

コーヒー三種を煎り終えたところで午後の二時過ぎ。
もう、結構この時点で疲れちゃったんですが夕飯の支度をするのも面倒なので、このまま勢いで蕎麦を打っちゃえということにしましたよ。
とはいえ親戚一同の分まで含めての三キロ打つとなるとさすが心が折れそうだったので、親戚関係には「ごめんちゃい」してウチの分だけちょこちょこっと打ちました。

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まあ、とはいえ行程的には変わらないのでありますが、量が少ないと「のし」の行程が気楽で済むので労力的には半分以下、なんとか夕方までには終えて一息つきました。


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お蕎麦というのは打つのに時間がかかる割には食べるのはあっという間、それに比べるとコーヒーは煎る時間に対して楽しむ回数も時間もたっぷりなのでコスパが高いというか効率がいいというか、まあ比較してどうなるものでもないのですが、そのようなことを考えながらお蕎麦をすすりつつ大晦日は更けていくのでありました。

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皆さま、本年も本ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。


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2016年12月30日 (金)

個性と発展+5 vs 個性と発展オリジナル@ギル・エヴァンス 

このところ幾つかのジャズ本を読んで、手持ちのレコードやCDを聴き直している。

一つは小川隆夫氏の「マイルス・デイヴィスの真実」という本の内容で気になったセッションやスタジオものなどの聴き直し、もう一つは中山康樹氏の「硬派ジャズの名盤50」という本で紹介されているレコード・CDの中から手持ちのものを聞くというもので、前者はマイルス・デイヴィスのレコーディングとそこに関わったミュージシャンの当時の録音を聴いて時代的検証を自分なりにしている。

後者の方は「ジャズに入門した人が一通りの入門者的ジャズを聴き終えた次に聴くべきジャズへの案内」的なレコード・CDの案内書なのであるが、ここに書かれているレコード・CDは新譜ではないにもかかわらずでぼくが持っているのはわずか9枚程度しかなく、所有していないもののほとんどが聞いたことのないものなので、文章による解説を読むと、所有しているアルバムの聴き方も随分自分とは違う角度から捉えていることなどから改めて棚から引っ張り出して聴き直しているという次第なのであります。


一番最初に気になって聴き直してみたのがギル・エヴァンス・オーケストラの「個性と発展」というアルバム。

1963年から1964年にかけて録音されたアルバムなのだけれど、中山氏の本によると現在手に入るこのアルバムは個性と発展+5というタイトルでLP時代のオリジナルには入っていなかった曲が5曲も入っている、しかもボーナス・トラックとして、オリジナルには入っていなかった「タイム・オブ・ザ・バラクーダ」という曲をなぜか一曲目に挿入されたことでオリジナル・アルバムと聴く印象が全く異なると言うのだ。

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さっそく、どれどれと2曲目から5曲目にいたる4曲だけをオリジナル・バージョンとして聴いてみることにした。

まずはオリジナルでは一曲目になる「バルバラ・ソング」から聴く。

ベースの刻むペダル音に絡むようにエリックドルフィーのものと思われるフルートが絡みつくようにリフを吹いたところにフリューゲル・ホーン、チューバ、トローンボーンなどの金管楽器をメインにした独特のアンサンブルにオーボエやフルートの柔らかな音色が絡み合いギル独特の世界が繰り広げられたかと思うと、そこにギルのピアノがメインのメロディ(リフ)を提示し、それを追うようにしてホーンアンサンブルが重なり・・・というように、中山氏の言うように確かにギル・エバンスのピアノがオーケストラの推進役としていくような流れになっている。

ここでいう二曲目ラスヴェガス・タンゴものギル・エヴァンスのピアノから始まり、ギル・エヴァンス特有のオーケストレーションの空間の中にギルがピアノの音をちりばめるように弾いていく、というのも頷ける。

オリジナルの4曲だけ聴いてみるとこのアルバムがモードのアルバムであることにも気づかされた。

簡単に言うとマイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」のようなモード構成の曲をオーケストラで全く別の世界を作り出していることに気づいたのだ。遅いか?😅


個性と発展+5での一曲目「タイム・オブ・ザ・バラクーダ」もウエイン・ショーターのソロをフューチャーしたモード曲なのでありますが、残りの4曲、プロクラメイション、ナッシング・ライク・ユー、コンコルド、スプーンフルは音楽のスタイル的にアルバムの統一感を損ねてしまっていることは間違いなく、コンセプト・アルバムとして捉える時にはオリジナルの4曲だけの方が素晴らしい。

とくに4曲目のエル・トレアドルはモードではなくトランペットが奏でるメロディにオーケストラが彩りをつけているだけの構成のバラードなのだけれど、アルバムの構成的に「カインド・オブ・ブルー」のフラメンコスケッチ的なモードのチェンジをしていないけれどもモーダルな感覚をよぶ構成になているのが印象深かった。

おそらくスイング・ジャーナル元編集長である中山氏は当然のごとくオリジナルの個性と発展を聴き込んで耳にこびりついていたところにCD化された個性と発展+5を聴いたものだから、「これは全く違うアルバムじゃないか!」と驚かれたに違いない。

ぼくのようにオリジナルの時代はお金がなくて買えなかったものが廉価のCDをてにして何も知らずに聴いていたものにとっては、「ギルエバンスがショーターとオーケストラでモードやってるやつね」くらいの印象で終わってしまうのだろうけれど、今回オリジナル盤の構成を知って聴き直すと全く違うアルバムに聞こえるのでありました。


他にもこのアルバムについて感じたことを書くと、エリック・ドルフィーのモノと思われるフルートやBob Tricarico(読みがわからん)のリード、とりわけオーボエが素晴らしい。フルートの中域の音がアンサンブルに実に効いている。

さらにこのアルバムではケニーバレルのギターが素晴らしい。
ケニー・バレルについては始めパーソネルを見ずに聴いた時はジョージ・ベンソンかと思ってしまったほど新鮮なサウンドを奏でている。
彼についてはヴィレッジ・ヴァンガードのライブくらいにしか知識のない僕にとって、バップのギタリストという位置ずけであったのだけれど、モーダルな中でのケニー・バレルのソロは新しく今風のサウンドに響いた。

ケニー・バレルのモード曲の演奏というのはあまり聴いたことがないので、もしYou-Tubeなどにあるようならばどなたかご存知の方は教えてください。

ウエイン・ショーターについては申し分のないソロを取るのであるけれど、「タイム・オブ・ザ・バラクーダ」「ナッシン・ライク・ユー」などは彼のソロが過ごすぎてウエイン・ショーター・ワールドになってしまっているあたりがオリジナルのアルバムから外された理由なのではないかなどど勘ぐってしまいたくなる。

ついでに、「ナッシン・ライク・ユー」という曲について思うのは、このアルバムでも、有名なマイルス・デイヴィスの「ソーサラー」でもなんだかとても唐突に始まり一気に終わったしまうところがなんとなく場違いな感じがしてならない。言い方は悪いけれど「オマケ」的な曲に聴こえてならないのはぼくだけだろうか?

さらにギル・エヴァンスのピアノ・プレイについて言うと、1957年発表のギルエヴァンス・アンド・テンというアルバムでモード以前のモダンジャズのギルのピアノがふんだんに聴けることも付け加えておこう。

さあて、次は何を聴いてみようか。

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2016年12月24日 (土)

Eno Cafe 隠岐の島諸島店@浜吉丸 他

全国の一千万Eno Cafeファンの皆さん!お待たせしました!

今回は山陰は島根県、隠岐の島諸島の海士町(あまちょう)という島に出かけて開店してきましたよ。

Eno Cafeは今年五月に九州のサンライズ号で試験的に初めて以来今回で六回目であります。

まだまだEno Cafeの認知度は低く(当たり前だ!)毎回行き先の船長やら宿やらにこちらのやりたい事を事前にお話すると、多くの場合はなんの事か理解していただけないように(当たり前だ!)今回も曖昧な返事が返ってくるのでありますが、こんな酔狂な事をやる馬鹿な釣り師は日本全国にもそう多くはいらっしゃらないと思うので仕方ないなと思いつつ、来るべき時代にはその先駆けとなるべく毎回怠りなく豆と用具を用意して出かけたのであります。

おそらく、釣り用の手袋やギンバル(大物の魚と戦う時腰に巻くベルト)を忘れる事はあっても、コーヒー豆とミルを忘れて遠征に行く事は今のぼくには考えられないのでありますね。

さて、今回の遠征ですが、前夜出雲空港に到着した我ら釣り師一同は松江に宿を取り一泊、翌早朝三時起きで日本海に面した七類港から磯渡しの船に乗り海士町へ向かう予定だったのですが、幸か不幸か海が時化気味だったために小さな渡し舟は欠航し午前九時半に同じく七類港を出る大型フェリーで島に移動する事になったのであります。

これに伴い、朝ホテルを出る時間もずいぶんとゆっくりになり余裕ができたので、ビジネスホテルの朝食後に部屋にてプチEno Cafeを開きました。

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この時は、運良く朝の食堂で出会ったジギング王とヨッシーさんの二人のみの参加でしたが、松江の町並みを眺めながらの朝の一杯は充実した時間を与えてくれ気持ちを豊かにしてくれるのでありました。

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Eno Cafe常連の根魚王はお隣の部屋だったのでドアをノックして声をかけたのですが反応がないので寝ているのかな?とそっとしておきました。
後で聞いたら、昨夜食事で日本酒を飲んだあと、さらにコンビニでワインのミニボトルを二本買って開けてしまったとか。朝起きるのが少々つらかったようで。

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松江の町並みを見ながらおぼろげに思い出したのが、25年くらい前に読んだ開高健の「新しい天体」というグルメ小説でした。
このお話はとある役人が「景気調査」を名目に全国の美味しいものを食べて歩き「景気調査レポート」をかくことで官庁の余った予算を文字通り食いつぶすというような内容のお話で、その中に松江に来てシラウオの踊り食いを食べるくだりがあったのをおぼろげに覚えていたのであります。

この遠征から帰宅後、この本を本棚から探し出して読み直してみたところ、シラウオの踊り食いをするために漁師の小舟に乗って宍道湖に出て行き、網にかかったとれたてのシラウオを辛子酢味噌の入ったどんぶりにあけては踊り喰いをしながら、マホウ瓶に入った熱い酒を飲む、というなんとも贅沢なお話で、当時(1970年代中頃か?)はまだ宍道湖も汚れたとはいえ魚が住む湖と書かれている。

松江に泊まった晩に訪れた飲み屋さんのメニューにたしかシラウオがあったような記憶があり、それについてグルメの根魚王が「宍道湖七珍」と呼ばれる宍道湖の珍味がある話などしていたことを思い出した。

小説の中に宍道湖と海の間にある中海を埋め立ててしまう計画があるという話が出てきて、そんなことをしたら宍道湖は窒息死同然、何もすまない湖になってしまうというようなことが書かれていた。
中海の干拓計画は強い反対運動の甲斐もあってか建設省(当時)としては珍しく計画を撤回したおかげで今も宍道湖七珍は残っているのでありました。

さて、松江を出た釣り師一同は車にて七類港へ移動、ぼくにとっては生まれて初めてかもしれない大型フェリーに乗って海士町に着く。
初日は午後遅くから様子見程度に釣りをして、二日目からが本番という意気込みで釣りに臨んだのですが、二日目の朝、起きてみたら雨が降っている。

予報では曇りと出ていたので、そのうち止むだろう、と、とりあえず船まで移動したのでありますが雨は一同の気持ちを裏切り強くなるばかり・・・

船長も困っていたので、とりあえず港の横の船宿に入ってコーヒーでも飲みましょうよ、ということになかば無理やり話を持ち込んだのであります。

今回ご用意したのは「ホンジュラス・セロアスール農園、中深煎り」と「シダモG2、中煎り」の二種類。

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とりあえずは、雨で萎えた心を奮い立たせようと、苦味と深いコクの切れるホンジュラスを入れることに。

宿でお借りしてきたコーヒーサーバーにコーヒーがしたたり落ちる頃には部屋中にコーヒーの香りが満ちて、少しはやる気が出てきたじゃあありませんか。

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一番搾りの美味しいところを船長に味見していただき、美味いという合図が出たので皆さんにも配ります。
薄暗い宿の中で妙にゆったりとコーヒーを飲んでいると、船長の電話がなり「まだ船を出さないのか!」と他の船の船長らしき方から言われたらしい。

Dsc00020b 船長、横浜の釣り師はみんなコーヒー持参で来ると勘違いしないでね   

船長も「今コーヒー飲んでるから」って返事しても、電話の相手が我々のまったりカフェ的状況を理解されないだろうと思ったのか「もうすぐ出るから」とだけ答えていた。

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コーヒーを飲み終えて外に出たら雨はあがりかけており、一同、心のスイッチは素早く釣りモードに切り替わって出船!

この日の釣りは渋いながらも仲々いいのが釣れたり、惜しくもバイトだけでヒットしなかったりとドラマチックに展開したのでありました。

さて翌日、釣りの最終日はいよいよ船の上でのEno Cafeですよ。

この日は朝一キャスティングのポイントが不発で移動して一息ついだところでコーヒーを入れることに。

今日は昨日と別の豆、シダモG2の中煎りです。
酸味とコクが売り物のこのお豆ちゃん、薄くなりすぎないように入れたのですがお味はいかがかな?

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今回のメンバーはEno Cafeの常連さんばかりなので待ってましたとばかりに船の上で淹れるコーヒーを楽しんでおられました。

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冬の隠岐の荒涼たる風景の中で味わうコーヒーというのもいいもので、冷たい風、東の海に昇る太陽、それに照らされる島などの荒涼とした、ダイナミックな風景に熱く香り高いコーヒーがよく合うのでありました。

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もうこの時点で釣りはどうでもよくなっちゃいましたよ。目的の半分以上を達成した気分でここをは満足。

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外で食べる食事というのは何故か同じものでも家の中で食べるのとは全く違っておいしく感じるもので、釣り船の上のあるいは雪の上でのカップヌードルなどを食べたことのある方はその美味しさをよくご存知のこととお思われますが、このアウト・ドア美食効果はコーヒーにおいてもまた同じで、街場の小洒落たカフェで飲むコーヒーなどとは全く別物なのであります。
この味は一度知ってしまったらもう止められない。病み付きというやつですね。

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もともとぼくは屋外でものを食べるのが大好きで、40代の頃よく出かけていたバックカントリースキーでは山の頂上付近でサッポロ一番味噌ラーメン餅入りなどというものを作り、通りがかった山スキーヤーから「山の上でこの美味しそうな匂い、たまらない!」と声を上げさせたりしては喜ぶというおバカなことをしていたので、オフショアの釣りとコーヒー焙煎が結びついてEno Cafeに至る流れもごく自然の成り行きと言えます。

サンライズさんのお客さんの中には移動中の船の上で焼肉や鍋をやられるお客様もいらっしゃるそうなので、そういう方々には及びもしないのでありますが個人プレーで勝負できる範囲内で色々やっていきますよ。


ということで、これからもEno Cafeはアウトドアならところ選ばず展開していこうと思っております。
万が一釣り場で遭遇してしまった際には、「アホか、あいつ!」などと冷たい視線を浴びせることなく温かい目で見守ってやってくださいまし。

あ!そうそう。
本命の釣りのほうのお話は年明けにじっくりとご報告いたしますのでお楽しみに。



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2016年12月23日 (金)

本が読める喜び

最近本が読めるようになった。

本を買うお金がなかったわけではない。いい老眼鏡を手に入れたからでもない。

実はおよそ十年前に患ったひどい病気の後遺症で、この十年間ほど文字を読むことを体が拒否したのである。
このように書いても、こんなダラダラと長い文章を月に何度も更新していて嘘ばっかり!という声も聞こえてきそうですが、本当なのだから仕方がない。

なぜか「書くこと」はできるのに「読むこと」が苦痛で、ひどい時には漫画が目に入るのも体が拒否したほどで、数年前からやっと漫画が少し読めるようになり、一昨年あたりから新聞の拾い読み程度のことはできるようになったものの本に立ち向かうことができなかった。

その間にも何度かジャズや釣りという自分の大好きなカテゴリーの本なら読めるかもしれないと挑戦してみたものの一ページ読むのがやっとでなかなか本に近づくことができなかったのだ。

ところが先日、たまたま訪れたアウトドア・ショップにカヌーイストの野田知佑さんの本を目にし、手に取ったパラパラとページをめくってみるとなんだか面白そうだなという感覚が湧いてきて買うことにした。

 


カヌーイストの野田知佑さんは、日本におけるカヌーでの川下り遊びの元祖とも言える人で「日本の川を旅する」という本で1980年代に作家デビュー、その後アラスカのマッケンジー川やユーコン川などの川下り様子を紀行文にしてアウトドア雑誌Be-PALに掲載しており、それを読んだのがぼくの野田さんとの出会いだった。


冒険やアウト・ドアの遊びに飢えていた三十代のぼくは野田さんの本を読みあさり大いに興奮し触発された。

現在七十歳を過ぎた野田さんは、この十数年は四国の山の中での暮らしの様子などを雑誌に掲載していたようだが、「川を冒険する野田さん」のファンだったぼくにはそのような内容の文章が物足りなく感じるようになり次第に読まなくなってしまった。


今回手にした本ではつい最近、野田さんがカナダのユーコン川(下流はアラスカ)を一週間にわたりカヌーではなくて筏で下るというもの。表紙の写真には犬と一緒にオールの付いた筏に乗る野田さんの姿があった。
それは久しぶりに見る冒険する野田さんの姿でもあった。

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本のタイトルと写真を見た時に何かぼくの心の中にポンッ!とはじけるような感覚が起こり、無意識に本を手にしていた。

それでもすぐにその本を読む気にはならず、二三日家の机の上に放置していたのだが、ある日ネットが使えなくなりパソコンを触る作業ができなくなった時に暇つぶしに本を手に取り読んでみたらこれが面白くてたまらない。

冒険する野田さんの文章は生き生きとしており、そこに登場する人やモノも実に興味深く面白い。
あっという間に十ページほど読み進んだ時に初めて「本が読める!」と気づいた。
そこからはもう勢いが止まらず二日間でその本を読み切ってしまう。

今までどうして本が読めなかったのか自分でも不思議に思うほど、本の文章はスルスルと頭に入ってきて心を躍動させてくれた。
同時に、時間の使い方がとても有意義になり生活の充実感が全く違って感じられた。

部屋を見回すと、この十年間に読まずに放置されたジャズ本が幾つかあったので、早速次はこれだと手にして読み始める。

まずは中山康樹氏の著書「マイルスvsコルトレーン」から取りかかる。

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読む前はどうせマイルスとコルトレーンの話だ、大方の内容は自分でも知っているものだろう、などとタカをくくって読み始めたのだが、自分の知らない二人の歴史的事実を挙げながら二人のミュージシャンの生き様を描く内容に魅了され、これも二日で読んでしまった。

次は、たまたま出かけた際に駅の本屋で見つけたマイルス本「マイルス・デイビスの真実」を手にする。マイルス・デイビス研究家としても知られるジャズジャーナリストの小川隆夫さんの本で、音楽家マイルス・デイビスの生涯を自己のインタビューと周辺のミュージシャンや関係者の証言をもとに検証している興味深い内容なのだ。これも随分前から気になっていた本なのだが手が出せなかった。つい最近文庫本で再発された700ページもある分厚い本だ。
ちょうど先に読んだコルトレーンとマイルスが共演したあたりから読み始めた。
こういう読み方は正しい読書方とは言えないのかもしれないが、それ以前の時代のマイルス・デイビスには今はあまり興味が行かないだけなので後からじっくり読み返すつもりである。

それは、この本にするとちょうど100ページ付近から読み始めたことになるのだが数日で540ページあたりまで読み進んでしまった。同時に本に出てくるマイルス・デイビスのCDを聴いて楽しんでいるのだが、知識は音を違ったものとして認識させてくれるから不思議である。

さらに、これだけでは物足らずに同時進行で東京ジャズメモリーなるエッセイも読み進め残るは四分の一ほどとなんだか凄まじい勢いでジャズ本を読みまくってる。

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かつて仕事で東京と大阪を毎週のように行き来していた頃、移動の新幹線の中でこのようなペースで本を読んだ時期があったがそれ以来の活字の吸収力だ。
まるで干からびていたスポンジが水を吸うかのようにどんどん活字を吸収してしまう自分が見える。

スポンジはどこまで水を吸い込んで膨らみ切るのか、今のところまだその兆候はない。



本を夢中になって読むと時間が過ぎるのが早い。
時間が過ぎるのが早いということは楽しい、ということと充実しているということの証なのではないだろうか。このところ日々がとても充実感にあふれ毎日が楽しくて仕方がない。

先日は新聞の本の紹介ページを読んで次なるターゲットを見つけた。
同じ音楽ものだがビートルズものだ。

こう見えても(どう見られているのか?)音楽の聴き始めはビートルズがスタート。
中学生の時ラジカセで録音して聴きまくったのがビートルズであり、ぼくの洋楽の原体験でもある。

そこから紆余曲折して今はジャズオヤジと化してしまっているのだが、ジャズだけしか聞かないジャズオヤジにはなりたくないので他ジャンルの音楽も実はよく聴いているのだ。ここ数年はジャズよりもクラッシック音楽のほうが聞く機会が多いのではないかと思う。

なんだか本が読めるようになったことで、最近ちょっと距離を置いていた最新のジャズにも少し興味が湧いてきたので、もう一度勉強のし直しをしようかとも思っている。



しかしながら、テレビには未だに拒否反応が強く、自分の意思で機械のスイッチを入れることは全くなく、家でもここ数年テレビを見ていない。一時は釣りヴィジョンを時々見ていたけれどそれも見なくなってしまった。

テレビを普通に見られる日はいつくるのであろうか?別にそんな日は来て欲しいとも思わないのだ。
なぜなら、今のテレビ番組に面白いと思うものがほとんどなく、むしろ見ていてこちらをバカにしているのか?と感じさせられることのほうが多くて不愉快なのだ。


テレビのことはさておき、同じ文章を読むにしてもPCの画面で読むのと本になったものを読むのでは読後の充実感がまるで違う気がする。
本の場合にはその本なりの厚みなりがモノとして目の前にあるという実在感がそう感じさせてくれるのだろうか。そう考えると本というのは単に知識を得るためのメディアというだけではなく、読み手の心を満足させる要素もあり、そのことが今のぼくの生活に充実感をもたらせてくれているのかもしれない。


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2016年12月22日 (木)

2016年の釣りを振り返る

 今年の釣りは釣りに行くことよりも先に、昨年末鹿島のワラサジギング釣行の際に偶然「つり丸」というつり雑誌に取材されたものが記事になり1月の15日発売の「つり丸」に載ったことから始まった。

自分が釣りをしている、あるいは釣れている姿がメディアに載るというのは釣りバカとしてはなかなか気分のいいもので、特別大物を釣ったわけでもないけれどその釣行が自体がいい記念となって残る。

そんな年明けの初釣行は1月21日に出かけた、平塚の庄三郎丸さんでのアマダイ釣り。
この時も幸先よく竿頭を取れてしまったので嬉しかった。

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この勢いで今年一年大きいのがたくさん釣れたらと都合のいいように思っていたら、1月末の釣行後に左肩が痛くなてしまい釣りどころではなくなってしまった。

整体や整形外科などで診てもらったところいずれでも肩から首周りの骨格が歪んでいるのが原因、と共通の診断するもののそれを矯正してくれるすべがないようでなかなか治らない。そんな時に知り合いからいい整体院があると紹介されて4月に予定されていた与那国島の遠征直前になんとか痛みを取ることができた。

与那国島遠征では飛行機の着陸直前に飛行機に鳥が当たって石垣島へ引き返すというトラブルがあったものの、なんとか2時間遅れで島に着き釣りはできた。

与那国島では10キロ以上はあろう手応えの大きなカンパチが次々とかかるすごい釣りを経験したのだが、同時にそのカンパチを次々とサメが襲うという最悪な経験もした。さらに目の前でジギング王の25キロはあろうかというデカカンパチを見せつけられておしまい。
しかし、この時の経験が次の輪島でのブリ釣行に生きた。

重いジグを楽に操作する竿を購入したぼくは、4月の輪島弾丸ブリ釣りツアーにこれを持って行き、重いジグ特有の動きでブリを釣り上げることができた。釣り方のヒントはプロショップEbb&Flowの店長から聞いたものだったが、こんなに早く実践して結果が出せるとは思わなかったので嬉しかった。

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そして、このあと5月以降の遠征がちょっと神がかっていた。

5月にはあのカリスマ船長のサンライズ号での男女群島遠征。
ここでは、泳がせ釣りでクエを狙っていた根魚王の目の前でジグでクエを釣ってしまった。この時のジグも輪島と同じスキルジグの340gという重いジグ。与那国での敗退の産物だった。

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6月の沖縄、よせみや船中白遠征ではさらに大変なことが起こる。
二日目の夕まずめ、二流しで船中計8匹のGTを釣るという歴史的事件を体験してしまう。

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その時は、一流し目で20キロオーバー(推定)、二流し目で35キロオーバー(推定)という自己の持つ大物記録をあっさりと二流し連続で更新。奇跡だった。

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もう、こんなことは一生ないだろうと思って臨んだ翌月の種子島遠征だったが、今度は40キロ(推定)のイソマグロを釣ってしまった。

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この時はGTがヒットしたとばかり思い込んで一生懸命ファイトしたのに、上がってきたのがイソマグロだったのでぼくは落胆し「なんだよ!イソンボかよ」という暴言を吐き、Y店長をはじめとする同乗のベテラン釣り師の怒りをかってしまうという出来事もあった。釣り師の価値観というのは皆個々に違うものなのだなあと思ったものだったが、あとになって振り変えると釣れたのがイソマグロで良かったと思えてきたのであった。

昨年のカンパチ20キロ弱、今年のGT、イソマグロとオフショアの大物的には残すところはブリの10キロオーバーとヒラマサの20キロくらいのを、とりわけヒラマサのデカイのが釣れたらキャスティングの大物釣りはもうやめちゃおうかしら、などと冗談とも本気ともつかないことを言ってY店長を弄んだりしたのだが、ヒラマサ20キロなどというのはそう簡単に釣れるものでないことは重々承知したうえでの話だ。


さて、8月は例年ならば相模湾のマグロ狙いで出かけるのだけれど、今年は台風が来たこともあり出かけるタイミングを逸してしまった。一ヶ月間釣り堀も含めて全く釣りをしなかったのは何年ぶりのことだろう。

9月はまたまた遠征で長崎のステイタスさんへ。
甑島への釣行を予定していたが海の状況で五島列島での釣りとなる。
ここではまさかの今年、いや、人生二匹目のクエを釣ってしまった。

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狙いは大ヒラマサだったのだがクエが釣れてしまうと妙な安心感が漂ってしまい闘争心が薄れキャスティングを卒業するためのデカヒラマサを狙うこともなく、その後は船上でコーヒーを淹れるなどして満足してしまった。

10月は今年最後の遠征で西表島へ。
昨年長居してたくさんの楽しい思い出を作った島なので再訪は嬉しかった。
今回も遠征本体より長めの滞在をし、前半は岐阜の帝王とマングローブでのジャングルフィッシング、後半は海での五目釣りとなる。

マングローブではトップをウォーターでのマングローブジャックやメッキ、オキフエダイなど様々な南の魚を釣り楽しめたが、どうしても釣りたかったテッポウウオだけが手にできなかったのが悔しい。
一匹などは針にかかって手元まで抜き上げたのに空中で針が外れて魚はカヌーの反対側に勢いで飛んで行ってしまったのだから身をよじるほどの悔しさが残った。

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一方、海の方も季節的なものか潮周りのせいか、はたまた海の状況で入りたいポイントに入れなかったことなどもあり釣果はあまり芳しくなかったが、最後にいいサイズのアカジンが釣れたので十分満足できた。

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大物釣り以外では、ライトルアーに初挑戦の知人を案内して相模湾でサバ釣りをする。
激渋の中、なんとか数匹釣り上げられたのはとても嬉しかった。
新しい釣り仲間が増えることも嬉しい。

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さらに11月には若い女の子に弟子入りされてアマダイ釣りに行く。
こちらはエサ釣りだが、この日もアマダイ釣りとしては激渋の中、弟子はしっかりとアマダイを釣り上げ大喜びだったので良しとしよう。


釣り人口は年々着実に減りつつある。
子供達や若者が釣りに触れる機会や場所がないからだ。
身近な川や沼はフェンスに囲まれ立ち入り禁止、防波堤の釣りも似たような場所が増えていると聞く。
僕らの子供の頃は釣りはお金のかからない身近な遊びだったが、今の子供達にはそのような環境は皆無だろう。


数年前僕の家からさほど遠く無いところにある川の合流点に大きな遊水池が作られた。従来は川の合流点なので湿地が広がり池もあった、当然そこには小魚がたくさんいて水鳥やカワセミなどが飛来する自然の残った場所だった。
周辺の水路にも小魚がたくさんいるので僕には手軽に楽しめる釣り場だったので時々子供を連れてオイカワなどを釣りに行ったものだ。

ところが政府(国土交通省河川管理局)はその池をすべて埋め立てて、普段はグランドにし洪水時は水をためる場所にしようとした。
その計画には野鳥の観察団体から反対の声が上がり、長年の協議の結果池は半分だけ残されて半分はグランドになった。
池が残されることになったと聞いた時僕は安堵したのだが工事が終わってそのましょを訪れた時には落胆が広がった。

確かに池は残された。敷地内には水路や別な池も残っていた。
しかし、それらはすべて鉄柵で囲まれており立ち入り禁止になっていたのだ。

子供が落ちたら危険、という配慮なのだろうけれど余計なお世話だ。
僕も子供達も身近な釣り場を失ってしまい、以来その公園となった遊水池を訪れる気はまったく起こらない。

おそらく全国でこのような工事が行われ釣り場が減っているのだろう。
政府の役人の釣り文化に対する無知がこういう工事を常態化させている。
日本の子供たちにはすでに「釣り」というものは過去のものになりつつあるのかもしれないとさえ思ってしまう。


若者たちもバスブームで釣りを始めた世代より下の世代の釣り師は激減している。
今の釣りを支えているのは50歳以上の高齢者なのだ。

20年後、いや、10年後、日本の釣り界の状況はどうなっているのか?
釣り人、乗り合い船の船長は高齢化とともに激減するだろう。
ヘラブナの釣り堀の経営もおぼつかなるに違いない。

今以上に釣りのできる環境が狭まるに違いない。
この危機的現状を僕は非常に危惧しているのである。
今年は大きい魚が釣れたから嬉しい、釣り人が減れば自分が大きいのを釣る確率が増える、などと喜んではいられないのである。

これらの問題を解決していくには長期的ビジョンに立った釣り人口の増加策を考えなくてはならないのだが一体誰がそれをするのか?
メーカーさん、釣具屋さん、釣りメディアさん、釣り船さんはみなさん自分たちの近い将来の問題として今こそ真剣に考え直ちに取り組むべきだと思う。

このような現状に危惧して「釣り人口増加委員会」なる団体も活動をしていることを最近知り、こういう活動が起爆剤になって新たな展開が起こればと期待するのである。

僕にできることは、身内の人で釣りに興味のある人をなんとか釣らせてあげて仲間に引き入れることくらいなのだけれど、地道にやっていこうと思うのだ。



この一年は昨年に比べると釣行日数は随分と少なかった一年であったけれど、クエ、GT、イソマグロ、クエ、アカジンと今年はなかなかすごい内容の、むしろ神がかってるとも言える釣果を上げることのできた一年であったけれど、心残りは実家の埼玉でのヘラブナやタナゴ釣りが一度もできなかったことだ。

これらの釣りはオフショアの大物釣りに比べたら牧歌的な釣りであるけれど、繊細さにおいては群を抜いて楽しい釣りであり、こういう釣りもぼくは好きなのだ。

さて、来年の釣りのことを想うと、今のところ遠征の予定はわずかしかないのでこの二年間のようなダイナミックな釣りは期待できないだろう。
それでも釣りの楽しみ方は色々有るので、身近なできる範囲での釣りを楽しむ一年にしていきたいと思っている。

来年もせっせとブログを書きますので、いつも読んでいただいている皆様におかれましては、来年もよろしくお願い致します。

それではみなさん、よい釣りのできるお年を!

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2016年12月21日 (水)

バンド仲間とセッション忘年会@モンゴメリーランド 池袋

毎月一度くらいのペースで集まってはジャズのジャムセッションをするというのを初めて早二年半ほど経ちました。

今回は今年の最終セッションとその後は忘年会ということで執り行われることになったのですが、バンドメンバーの二人が所属する別のバンド主催のジャムセッションが同じ日程で組まれていたため、別バンドさんであるアティーズさん主催のジャムセッションに合流しさらにその後の宴会も一緒にやってしまおうということになりました。

実は、訳あってぼくはこの三ヶ月半ほど、つまり八月末に吉祥寺でライブをやったあとほとんど楽器を触っていなかったので、セッションに行こうかどうか迷っていたのでありますが、結果的にはその日に予定が入ってしまい行くことができなくなってしまったのであります。

とはいえ、少しくらいは楽器を吹ける環境になったのでここ数日は短い時間ながらスケール練習などの基礎練習だけやっていたのでした。

さて当日、夜はなんとか都合がつきそうな状況になったので、バンドメンバーにメールを入れて、忘年会だけの参加でもいい?と聞いたところOKがでたので、楽器を持って出かけることに。

忘年会とはいえ、アティーズのKさんが懇意にしている池袋の「モンゴメリーハウス」というジャズのお店を貸し切りにして行うということで酔っ払った勢いでセッションもできるため楽器を手にして出かけた訳であります。

宴会開始時刻に少し遅れてお店に着くと既に宴会は始まっている様子でワイワイとやっているました。入り口で大学ジャズ研後輩のはぶし君が最初に目が合いenoさんが来た!とみなさんに知らせてくれた。

店の中に入ると八月以来のメンバーに加え旧知のアティーズの何人かと以前同じ合同セッションで二度ほど顔を合わせているギター氏などおり懐かしい。

八月のライブの時に借りたお金をピアノのSに返してなんとか借金の年越しを免れ、宴会の会費を払えばあとは飲むだけ。

とりあえず生ビールを頂いて乾杯。

訳あってしばらくアルコールを飲んでいなかったのでビールが胃に沁みる。

やっぱりビールは美味しいなあ、ノンアルじゃあダメだ、と思いつつビールを味わう。

この日一番会いたかったのはドラムスのSだった。
お互い訳ありでなかなか会うことのできなくなってしまったSとは、ジャズ以外にもかつては冬となれば雪山にスキーで登ってはゲレンデではない斜面を滑り降りる、いわゆるバックカントリー・スキーなどもよく行っていた仲であり気心知れた間柄だったのだが、最近会う機会が減ってしまったのでお互いなんとなく精神的な距離感ができてしまっていて、それがぼくには辛かったのだ。

早速Sの向かいに座ってジャズ話。


ぼくは最近ジャズにあまり熱心でないので、ジャズ界の現状などについてはさっぱりなのだが、Sは非常に詳しく、最先端のジャズの話をミュージシャンの名前をあげながら話してくれた。
彼の情報は常にジャズ専門誌などよりも先を進んでいるのではないかと思われほど新鮮かつ濃密でありぼくの好きなタイプの音楽も熟知しているのでそういう情報を的確にあたえてくれる。
このような友を持つことはとても嬉しくぼくの大きな財産だとも思っている。

しばらくすると、ドラムスMが「音を出そう!」とカホンにまたがり叩き始めた。
そこにこの日初めてお会いしたフルート氏とアルトT、ギター氏、キーボードSが加わりWaveを始める。

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演奏が始まるとみんな体が自然と動き出す。
そのうちじっとしていられなくなって手元にあるものでリズムをだしたり、紙のお皿を裏返してドラムのブラシでリズムをとったりと楽器をやっているもの同士の集まりらしい。

二曲目は同じくボサノバのcorcovado

ぼくもだんだんムズムズしてきて、次あたりで参加しようかなと思っていたら、この曲が終わったあとカホンを叩いていたドラムMが「クリスマスだからホワイトクリスマスを!」とマイク片手に歌い出そうとしている。

そこはノリで進むのがシロートでもジャズやの集まり、ピアノS(この人だけプロです)の伴奏でホワイトクリスマスを歌うMの目がだんだんアブナクなってきた。ぼくも持ってきたソプラノサックスで飛び入りして間奏を吹かせていただく。よれよれ演奏だけどなんだか楽しくなてくるのが身内の宴会セッションのいいところ。

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終わってから今度はジャズを、ということでギターがHにいつの間にかスネアを出していたSのタイコでバイバイ・ブラックバードをやる。

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酔いも回ってますますいい気分になりもう一曲やたところに再び出来上がりつつあるタイコMがマイクを持って乱入しザ・クリスマスソングを歌うというのでやっつけで勝負する。
かなりメロメロになりつつも勢いは増してきてもう止まらない。

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さらに、ウォーター・メロンマンでフロント全員でやろうとぼくが言い出し、全員楽器を手にウォ~タ~メロ~ンメ~ン~、と吹いて盛り上がる。

こういう単純なコード進行の曲は逆に色々なことができるのでちょっと羽目を外して吹いたら、次のソロをとったフルート氏もそれに答えてソロので出して一発かましてくれたので嬉しくなる。続くたのメンバーも酔いが回ったせいもあるのかいつもよりアナーキーなソロをとってよかった。

ぼくから見ると、普段みなさんは良い子の正しいアドリブしかとらない印象なので、このように感情を表にむき出しにする演奏というのをもっとたくさんやればいいのにと思っていたので嬉しくなった。
ジャズのセッションていうのはこうでなくちゃ。誰かが喜び叫んだら誰かがそれを受けてくれる、だれかが泣き咽ぶような音を出したらみんなでそれを共有する、そういう喜びも悲しみも共有できる感情のこもった演奏がぼくは好きなのだ。
譜面通りに、コード進行通りに音を出すだけじゃつまらないじゃないか。そういうのは二流のプロに任せておけばいい。

さらに、セッションで年一〜二回顔をあわせる現役東大生のギター氏と I
fsllin' love too easilyをやってすっかりいい気分になってしまったぼくはこの辺で聴き手に回った。

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その後はマイクを手から離さなくなったMとそれを囲むやはり酔いの回りきった面々のドロドロの演奏になっていくのでありますが、プロのピアノSが必死に調整を整えようとしているのと全く違うことをしているサックスのメロなどとがごちゃ混ぜになってジョンコルトレーンのアセンション的な妙にアヴァンギャルドな世界になったのが可笑しかった。

モンゴメリーハウスのマスターはそんな音にも「音を出すとみんなスッキリするから」と優しい言葉で見守ってくれるのも嬉しい。


このお店についてちょっと書いておこう。
お店のマスターはぼくより二歳年上の方で小学生のときからジャズを聴いていたというから相当のジャズ歴。

オーディオにも造詣が深いのはこのお店のオーディオシステムを見ればわかる。
マッキントッシュ(アップルコンリュータではに)のプリ・アンプにパワー・アンプでJBLの4344というスタジオモニター・スピーカーを力強く鳴らしている。
このスピーカーは手に入りやすいスタジオモニターとしては最もジャズをバランスよく鳴らしてくれるものとぼくは思っている。

さらに、アナログ・プレーヤーとCDプレーヤーがいい。
アナログはロクサンのラディウスⅢという名器。
CDプレーヤーも百うん十万円するワディアの861という超高級機。
この辺がCDのヘタレ音源にも妥協しない姿勢が表れていて実に心強い。
さらにi-podからも数十万円するトランスポートを使って再生できるシステムになっており、LPにもCDにもないような音源もかなりのいい音で聴ける環境がある。

これにハイレゾ音源を対応させたら現存するあらゆる音源を高質の音で再生できる鉄壁のお店ということになるだろう。

アナログ派のぼくとしては、有るものはLPのアナログで聴いてみたいので、マスターとのオーディオ談義の中で、またゆっくりとレコードを聴きに来ましょうと約束をした。

このように書くとジャズをゴリゴリ聞かせるお店のような印象を持たれるかもしれませんが、昔のジャズ喫茶のようなおしゃべり厳禁的大音量でジャズを爆発させているお店ではないので気軽に入れるところがいい。


演奏している本人達は出来上がってるようなのではそう思っていないのだろうが、ますますアヴァンギャルドになる音を聴きながらマスターとオーディオやジャズの現状などについて話していたらあっという間に三時間が経ちお開きとなる。

今日はなぜか演奏しなかった紅一点のシューちゃんと「また来年も!」と年末の挨拶をして店を出て一同池袋駅に向かったのでありました。

この夜は十二月としては妙に暖かく、革のコートにマフラーまで用意して完全防寒体制で出かけてきたぼくには歩いたら汗ばむほどの暖かさ。
駅までの道のりを、昔、四十年以上前の学生時代にこの街を遊び場にしていたドラムSが変わり果てた街の姿をながめながら、文芸座ってまだあるの?あの店は?などとジモティのドラムMに聞きながら良き青春時代を懐かしむ姿が印象的なのでありました。

帰りの電車の中でお店にカメラを忘れたことに気づき電話をしたら、マスターがとっておきますといってくれたので一安心。カメラがこのお店との縁を繋ぐようにと教えてくれたようにも思えたので近々ゆっくりと再訪しようと思います。

今度は、たっぷりと上質のアナログサウンドを楽しもう。


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2016年12月 8日 (木)

宮ヶ瀬ダムへのんびりツーリング@宮ヶ瀬ダム

最近バイクの乗っています。

バイクといっても今流行りの自転車のロードレーサーじゃあありません。
そういうのも流行る前の20年ほど前にさんざんやったのでありますが、今は飽きてしまい自転車は今や錆びて朽ち果てつつ車庫の片隅に眠っております。

今乗っているのはエンジンの付いたオートバイであります。

新車のバイクを買った知人が古いバイクを捨てるという話をしていたのを聞いて安く譲っていただいたもので、カワサキのバリオス250という今時はもはや珍しくなってしまった250cc四気筒の高回転型エンジンのネイキッド・モデルです。

と書いてもバイクに興味のない方はなんのこっちゃと思うでしょうが、下の写真をチラ見して先に読み進んでください。

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                                           どこから見ても怪しいおっさんライダー

バイクに乗ったのはおよそ25年ぶりくらいなので、最初はさすがに不安でしたよ。
こけて死ぬんじゃないかと。

それでも、なんで今頃いい年こいてバイクなんかに!?というと、私らの世代はホンダの四気筒のCB750というオートバイ、そうあのナナハン世代。

歴史的に見れば日本がバイクのエンジン技術でアメリカのハーレーに取って代わろうとしたまさにその時期。素晴らしいオートバイを日本のメーカーが次々と生み出した時代であります。

ホンダ以外にもカワサキのマッハ、ヤマハのRDなどのツーストローク・エンジンものにも素晴らしいものがたくさん出てきた時代であります。

当然のように当時の若者はそれらの素晴らしいバイクを見逃すわけがなく、16歳になればバイクの免許を取って突っ走る、というのが大きなステイタスでありましたし憧れでもありました。

バイク人口は増え、おのずと中にはお行儀の悪い者もおり「暴走族」なるものが産まれた時期でもありました。
我が生家の近隣では「毘沙門天」という族が通称「ビシャモン」と恐れられていましたよ。

未熟な操縦技術で、あるいは無謀な運転で命を落とす若者もたくさんおりました。
私の青春時代の知人にも亡くなったものがいました。
何しろ当時はヘルメットの義務もなかったのですから、まさに顔で風きってバイクに乗れたのであります。

また、自動二輪車の免許さえ取れば現在のような、せこいエンジンの大きさによる制限などもなくどんなに大きなバイクでも乗れました。

そのような中でハーレー・ダビッドソンは当時はまだ夢のまた夢というくらいに高価でしたから身近なところで最大級のバイクといえばホンダのナナハンだったのであります。そしてカワサキのマッハやダブワンだったのであります。
16歳になった私もすぐにバイクの免許を取りたかったのだけれど、親類にバイクの事故で死亡してしまった人がいたことから我が親族ではバイクの免許は固く禁止されていた。
仕方ないのでこっそりと筆記試験だけで取れる原付を、寒風吹きすさぶ真冬の大宮の試験場に取りに行って手に入れ、中学時代の友人から買ったホンダのダックス50をハンドルを絞って乗り回していたのであります。

このような時代にバイクに憧れながらも本願叶えられることなく青春時代を過ごしてしまったことから、いい歳になっても心のどこかで「あの時の憧れを今こそ!」的なものが残っているのでしょう。

30歳になった頃に中型の二輪免許を取り、これまた人から譲ってもらったアメリカンタイプの250ccのバイクに数年間乗っておりましたが、何かがきっかけで乗らなくなり人に譲ってしまった。

それからしばらくは、「バイクはいいなあ」と思いながらも、「もう年だから乗ったら危ないよなあ」と諦めていたのでありますが、体のどこかにバイクの虫が潜んでいたようで、危険と分かっていても、転んだら死んじゃうと分かっていても、こけたら自力では起こせない、と分かっていてもバイクが欲しくなってしまう瞬間があるんですよ。
そこに今回のバイク譲りますという話が転がり込んできたという訳。

それにヒトというモノは危険なモノに憧れるという習性があるようで、スキーにしろバイクにしろ危険度に二乗くらいの大きさで喜びも大きくなる。会社の若い女性との危険な関係などというのも、そういう喜びの大きさがあるから、分かっていても失敗をする輩が後をたたないのでありましょう。

まあ、そんな訳でとうとう三たびバイクを手にしてしまったのですが、いざ乗ってみたら最近のバイクって昔のバイクに比べてすごく乗りやすい!
バイクのバランスがいいのか、エンジンがいいのかブレーキがいいのか?操作がスムーズでその大きさを感じないんです。

とはいえ、それなりに歳を重ねているのでいきなり公道を突っ走るという無謀なこともせず、近くの農道で8の字走行の練習などを地道にした上で公道を走り始めましたよ。横浜といっても中心部から直線距離で10キロ以上も離れた町外れの我が家の周辺にはそんな場所もたくさんあるんです。
このようにやっとのこさ公道をバイクで走れるようになったのでありますが、とはいってもツーリングでどこか遠くへ行こうなどという気は毛頭なく、車でだって遠出のドライブは嫌いなのでありますから、よって知るべし。高速道路走行などはもってのほか近所のプールに行く時や釣具屋さんに行く時の足として使っているのであります。


ところが12月に入った平日のある日。師走だというのになんだか妙に暖かく青空が広がるいいお天気の日、早朝犬の散歩を済ませて帰宅し、さて今日一日どのように有意義に過ごそうか?などとパソコンに向かっていたら、突然!箱根にでも行ってみようか・・・という気持ちが湧いてきた。

そう思うと居ても立っても居られない性分なので、何故そのように思ったのかなどということはすっ飛んで、頭の中は「ハコネ、ハコネ」となり、どのルートで行くのが早いか、安全かなどと考えている次第。

なんとなくハコネのどこに行くのかも決めたら出かける準備をしている自分がおりました。

近所のガソリンスタンドで満タンにして出発。
知ってる道を頼りに富士山の方向に向かってグングン走っていきますと、なんだか知らない新しい道が出来ていてかつて大渋滞していた交差点はバイパスができて随分と便利になっているじゃありませんか。

この道があるならハコネ、ハコネはやめて宮ヶ瀬ダムにしよう、そっちの方が近そうだしお手軽な感じ。と行き先を尻軽女のごとく変更しつつまたまた頭の中の古い地図を頼りに宮ヶ瀬ダムに向かっていたら気付いた時には圏央道の料金所に入ってしまっていた。

引き返すのは高齢者の逆走みたいで危険なのでとりあえず、高速道路を恐る恐る一区間だけ走っておりたら、そこはもう丹沢の山の懐近く、厚木市から愛川町に入ると風景は郊外の住宅地から農村に変わって行き、たったの30分かそこいら走っただけなのに随分と遠くに来た気分にさせられ、楽しくなっていくじゃあないですか。

知った地名を頼りに道を選んで気ままに行けば山裾の紅葉も美しく、稲が刈り取られた田んぼには藁が干してあり、なかなか正しい日本の秋の風景が広がっている。

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ツーリングって楽しいぞ!という気持ちがグングン湧いてきて、この際だから適当に道を選んで景色のいい所で写真でも撮りながら行こうということに変更することに。


さらに山裾の道を川沿いに走れば、せせらぎの美しい渓谷を見ながら走る道などがあり、バイクにまたがり走る自分を少し上から並走しカメラで捉えた姿などを想像し、気分はすっかりライダーものの映画の主人公か何かになっちゃってる。

やがて道は勾配を増してカーブが多くなり空気も少し冷えてきます。
幾つかの長いトンネルを抜けた所で突然視界が開けたと思ったら眼下には湖が広がり大きなダムサイトが見えました。ああ宮ヶ瀬ダムに着いちゃった。

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しばらく走って眺めのいい所にバイクを止めて写真を撮っていたら、向こうから上り坂を歩いてくる片腕の無いおじさんがいる。
やがておじさんが近づいた時に挨拶をすると、「今日はあったかいねぇ」と話しかけてきた。
おじさんは地元の人で年齢は80歳と聞きびっくり。しっかりとした足取りで湖畔の坂道を歩く姿が70歳くらいにしか見えなかった。

この辺は猿が出るけど日光の猿みたいに悪さはしないから大丈夫、こっちから声をかけると人に気づいて向こうから近づくことは無いから、などと話してくれた。

私が中学生の時にこの地を訪れた時には、このダム湖の下には素晴らしい渓流が流れる中津川渓谷という渓谷があり、中学生の私はその風景にいたく感動し、その後大人になってダムでその風景がなくなるときいた時には、ダムの反対運動に参加したりもしていたことなど話すと、遠くを見るような目で昔の渓谷に有った茶屋の話などしてくれた。

話が弾んで20分ほど立ち話をした後、毎日湖畔を一周するんだよ。四時間かけて。といいておじさんは去っていく。

湖畔の道を走っていくと所々に駐車場があり「本日無料」などと書かれている。
ということはお金を取る日もあるんだな、概ね休日など人の出る時なんだろう、そういえば冬場は夜のライト・イルミネーションとかで客を集めているらしい、などと思いながら立ち寄って写真を撮ったり、トイレを借りたり。

やがて湖を渡る大きな橋の上にさしかかった所でバイクを止めて紅葉の写真を撮ると、今年の秋は紅葉を楽しむ気分になれない憂鬱な日が続いたので、気持ちが切り替えられてとてもいい気分になれたのであります。

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さらに、この日は時折バイクのヒトとすれ違うという程度にライダーの姿があったのですが、たまたま向かい側から走ってきた女性らしきライダーを見ていたら、視線があった時に手を上げて挨拶をしてくれた。
こちらも反射的に挨拶をしながら視線は彼女を追って行きつつ、彼女の後を着いて行っちゃおうかしら、などとも思ったのでありました。いい風景あり、出会いあり、なんだかツーリングっぽくていいんじゃない!とテンションは上がって行きましたよ。

ただ走るだけだったら、別にこういう場所まで来る必要はないけれど、出会いがあるのはいいなあ。出会いこそ人生なり。
どうやら景色の良いところに停まって写真を撮っていると出会いがあるようなので、その後も何箇所か良さげなところを選んで停まってみたものの新たな出会いは特に起こらず空振り。
帰りは清川村から厚木市内を抜けて帰ることにし、湖を離れ下リ道に入った途端左右にグネグネと曲がる下り坂が続きなかなか面白い。気分はすっかりレーサーになってしまい、大きくバイクを倒し込んでは加速し、などとバイクの醍醐味的走りを堪能したのでありました。

信号も少ないので、たいしてスピードは出さぬものの気持ち良く走れた道も厚木市内に入った途端に信号ばかりで、さらに工事渋滞などもありこのあたりまでで楽しいところは終わりなのだ感じながら、残りの家までの道のりはあまり楽しくない街乗りバイクになりながらも無事に帰ってきました。

走行距離は100キロ弱。
かかった時間は、のんびり行ったので4時間程度のミニ・ツーリングでありましたが、思えば純粋にバイクを走らせるためだけで出かけたことはかつてなかった。人生初ツーリングとでもいうべきめでたい日になったのでありました。

これからも新しい出会いを求めて男は旅に出るのだ。と言いたいところなのですが、寒い冬の到来で「男の旅」も当分はお預けになりそう。トホホ・・・


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2016年12月 6日 (火)

富士山を撮ってみた

先日11月だというのに関東地方に初雪は降った翌朝、お天気が良かったので薄暗い中をカメラ片手に出かけて日の出の富士山を撮りにいきました。

今年の二月にミラーレスのデジイチを買った際に、どうせ魚釣りの写真くらいしか撮らないんだから望遠レンズは使わないだろうなあ、と思いつつもなんとなくセットの方が割り安だったので購入したものの、210mmの望遠レンズはこの半年以上ときおり月の写真を撮る以外には全く使われることなく部屋の片隅に放置されていたのでありますが、やっと重い腰を上げて真面目に使ってみようや、ということになったのであります。

カメポジ(撮影ポイント)は我が家から歩いて数分の畑の中。
ここは富士山を撮影するマニアの中では有名な場所らしく、この時期の空気の澄んだ日には必ずと言っていいほど暗いうちから数人のカメラマンが三脚を立てて富士山を狙うのでありますが、なぜかこの日は二人ほどカメラ片手の方がいたにもかかわらず三脚は一つも立っていませんでした。

おかげでカメポジは自由に好きなところに入り込めたので、少しずつ移動して手前じゃまな建物などを切りながらバチバチ撮りまくりましたよ。

例年だとこの時期の富士山の雪は五合目あたりまでしかないのですが、昨日の雪のおかげで山裾の御殿場付近まで真っ白になっており、まるで真冬の富士山の佇まいです。

東の空が赤くなってくると富士山の上から空が赤みを帯びて次第に下がってきます。
山頂に赤みがさしたところからシャッターを切りまくり。

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絞りを変えて、あるいはサイズ、構図を変えて撮りまくります。

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山頂から赤くなった富士山は次第に赤みが下がってきます。
地球の回るスピードというのは意外と早いもので、まあ、一日で一周してしまうわけですから、なのでぐずぐずしているとどんどん光が変わってきます。

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富士山の姿というのは見る方向から随分と変わるものです。
ここ、横浜方向、つまり東側から見る富士山は最もなだらかなやさしい佇まいを見せてくれますね。

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これに反して、静岡側から見る富士山はこれが同じ山なのか!と思うほど急峻で、この山に登ろう、という気持ちも起こらないほどのものです。
私の一番好きな角度は北側の河口湖側から見た富士山ですね。
斜面の角度は横浜側よりは急なのですが静岡側ほどではない程よい角度。
左右の稜線も余分な起伏がなく美しい。太宰治的には「凡庸な山」ということなのかもしれませんが。光も北側ゆえに正面から当たることがないので、山が立体的に見えて美しい。

などということなどを考えながら撮っているといよいよ陽光は手前の街にまで当たってきて街は朝を迎えました。

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                                真下にある高層マンションじゃま!黒澤明ならどかすかな?

なんだかやっと望遠レンズを活用できた充実感からか、少し本格的に風景写真でも撮ってみるか、などと思ったのですが撮り終えた写真の中からいいものだけを選び終わる頃にはその情熱もどこへやら。相変わらず熱しやすく冷めやすい性格なようで。



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2016年12月 5日 (月)

コーヒーをおいしく淹れるお話

コーヒーを生豆から自分で焙煎するようになって早一年が過ぎました。

毎週一回から十日に一回のペースでコーヒー豆をシャカシャカやって焙煎をしてきたので、一年でおおよそ三十回位以上はシャカシャカやったことになりますね。

釣りの遠征時などは同行の釣り師のみなさんの分もシャカシャカやったので、自分のイメージでは五十回はやったような気がするほどです。
かように頻繁にシャカシャカやっておりますと不器用な私でもそれなりにコーヒー焙煎のノウハウが身についてきたようで最近ではかなりイメージ通りの焙煎ができるようになり美味しいコーヒーを頂いております。

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                                          豆の種類で焙煎を変えて味を楽しみます

もう一つ!「コーヒーの淹れ方」に関する革命的な変化が美味しいコーヒーを飲めるようになった大きな要因にあげられます。

以前の私は、コーヒーを入れる温度は熱ければ熱いほどいい!と確信していました。
美味しいエスプレッソコーヒーは120度の蒸気でコーヒーの美味しいところだけ抽出して淹れることが頭にあったからです。

ところが、知人のコーヒー好きの兎夢さんという方から「コーヒーは熱湯淹れちゃダメ」という話しを聞いたので、半信半疑でいろいろ試してみました。
するとどうでしょう、確かに熱湯よりも少し冷ましたお湯の方がコーヒーがまろやかなになり、酸味も際立ってくることが分かりました。それでも、「わしは苦いコーヒーが好みだから熱湯で行くわい」などとしばらくは意地になっておったのですが、さらに衝撃的な淹れ方を兎夢さんからご紹介いただいた。

それは、最初にコーヒーを蒸らす時にスプーンでかき混ぜてしまい、さらに1分ほど置くという方法でした。通常は蒸らしの時間は30秒程度なのでおおよそその二倍の時間ということになります。

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そもそもこの淹れ方はサード・ウェーブ・コーヒーと言われる浅煎り豆のコーヒーを淹れる方法としてネット上で紹介されていたものなのですが、これを中深煎り豆でも試したみたところ、苦味とコクだけが前面に出ていたそれまでの淹れ方に比べ、苦味の他にまろやかさや、後味で残る酸味などコーヒーの多様な味が一杯のコーヒーで楽しめることを発見してしまったのであります。

コーヒーの粉に最初にお湯を注いで蒸らす時というのはよく観察していると、表面にはお湯が行き渡っているようでいて中には「ス」の様になってお湯が染み込まないところができることがままあるんですね、これではその部分だけ蒸れずに淹れてしまうことになるのでこれを解消するためにスプーンの出動です。

さらに1分間の蒸らしというのも長い様ですが、これをやっておくと、その後にお湯を注ぐ時にちびちびと回数を細かく分けて淹れなくてもコーヒーの味がしっかり出ることがわかったんです。

コーヒーにお湯を注いで大涌谷の湧き出すお湯の様に泡がブクブク立ってきたのがだんだん落ち着いて、表面の大きな泡がポカッと割れるあたりがちょうど1分。
あ、これは挽きたての豆に限ることと思われますので粉のコーヒーの場合は参考にならないかも。

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                                              この泡がなくなるまでガマン

最近美味しくなったと言われるコンビニのコーヒーなども、行列ができるのを覚悟して、今より30秒ほど蒸らし時間を長くしたら美味しさは倍増するのではないかと飲むたびに思うのでありますが、コンビニ関係者の皆様、さらなる美味しいコーヒー・サービスのために検討はいかがでしょうか?

この様に、この一年間で私のコーヒーライフはそれ以前の数十年間の常識を覆し新たな一歩を踏み出したのでありました。
まだまだ、やれることはあるのではないかと思うので、今後もアンテナをはっていこうと思う所存でございます。

ちなみに、この一年間最もお気に入りだった豆である、昨年の秋に手に入れたコスタリカ・レベンス農場という豆がとうとう飲み尽くしてしまい、今年は生産量が少なかったのか私の生豆を購入している問屋さんには入荷しないということで、少々落胆しているのでありますが、今年になって挑戦のつもりで購入したホンジュラスの豆が同じ系統の味でなかなかグレードが高いことを知り、こちらは比較的手に入りやすいので楽しんでおります。

さて、今週は週末の隠岐の島遠征に向けて、Eno cafe 隠岐の島店開店のために何種類か豆を用意しなくては、今回は何を持ち込もうか楽しみであります。



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