無料ブログはココログ
フォト

最近のトラックバック

« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »

2021年2月

2021年2月13日 (土)

チックコリアの死に当たって思うこと

昨日2021年2月12日、昼のニュースでチックコリアの訃報が突然飛び込んできた。

亡くなったのは現地時間の9日らしい。

チックといえばつい先日までフェイスブック上で自己の練習風景やセミナー、ワークショップなどやっていたのであまりに突然の死だった。

ニュースによれば最近珍しい型の癌が見つかっての死だということで、おそらくチック本人にとっても突然の死だったのではないだろうか。

僕にとってはつい先日まで付き合ってた友人が突然逝ってしまった、というような感覚。ショックと悲しみに突然襲われて声も出なかった。

これまでも様々なミュージシャンの訃報を聞いてきたがこれほどまでにショックだったことはない。

 

その日の午後にはチックのアルバムを聴き返して僕にとってのチックコリアを振り返ってみた。

僕が初めてチックを聴いたのはおそらく、FMラジオの番組テーマで使われていたゲイリー・バートンとのデュオだったと思う。

僕がジャズを聴き始めたのは丁度チックを有名にしたリターン・トゥ・フォーエバーが発売された頃で、世の中ではラ・フィエスタがたくさん流れていたと思うのだが、当時の僕は電気ジャズにはあまり興味がなくて、それをジャズとして認めてさえいなかったので殆どチックを無視したような格好になっていた。

それでもチックの名前は有名で一枚は聞いてみようとチックのアルバムを買う。それは邦題が「第七銀河の賛歌」というアルバム。

なぜこのアルバムを買ったのかよく覚えていないのだがジャズのアルバムとしてというよりは、当時好きだったソフトマシーンなどのプログレの延長的なイメージで買ったような気もする。

ところが買って聴いてみて、そのエレキサウンドが理解できなくてがっかりしてしまった。期待していたサウンドとは全く世界が違っていたからだろう。

そしてろくに聴かないでディスクユニオンに売ってしまった。自分の買ったレコードを手放したのはこれが最初で最後かもしれない。

チックとの出会いはそんな不幸な出会い方だった。

その後まもなく、偶然やはりFMラジオの油井正一さんの番組、アスペクト・イン・ジャズでチックコリアの特集をやったのを聴いて、一発でチックが好きになったのは初期のアコースティックものだった。

間も無く小遣いをはたいて買ったのが Tone's For Joan's BonesとNow He Sings Now He Sobsの二枚。

この二枚を毎日のようにかけて聴きまくった。

 

01_20210213092801

それまで夢中で聞いていたコルトレーンやドルフィーに取って代わるようにこの二枚をよく聴いた。

チックのピアノはそれまで聴いていた誰よりもモダンでカッコよかった。スピード感や音のキレも素晴らしくすっかりチックファンになる。

特にNow He Sings ではドラムのロイ・ヘインズも素晴らしく、夢中になって聴いたのを覚えている。

そしてこう高校卒業後、バイトで小遣い稼ぎができるようになって買ったのが、Solo Improvisation Vol1,2の二枚、そしてCristal Sience。

この二枚はどちらかというと静かなチックコリアを楽しめる二枚で、前に買った二枚とは違った楽しみ方ができた。

澄んだきらきら光るような音色と粒立ちの良さ、美しいメロディに酔いしれた。

 

当時はソロ・ピアノ・ブームというのがジャズ界に起こっていて、様々なミュージシャンのソロ・アルバムが発売されたが、最も好きだったのがチックのアルバムで、毎週日曜日の午前中はこれを流して爽やかでゆったりとした時間を楽しんでいた。

話はちょっと脱線するが、このピアノ・ソロ・ブームを牽引したのも71年発表のチックのSolo Improvisation、それからキース・ジャレットの73年と75年のソロ・コンサート(特に後者)ではなかったのではないか?

僕の好み的にはこれにダラー・ブランドとアンドリュー・ヒルが入ってくるのだが。

 

話を戻そう。

人気者になったチックに関する当時のジャズ記事などを読むと必ず彼がスペインの血が入っていることがサウンドに影響していることが書かれており、彼本人へのインタビューでも再三そのことが話題になっていた。

それらの記事や本人の返事を見ると、チック本人はあまりこの話題を好んでいなかったように感じたのは僕だけだろうか。

スペイン系だから、と言われるのを嫌がっていたように思うのだ。

それがLight as a Featherでスペインという曲を演奏したあたりから彼自身このことに開き直ったように自分の中のスペインの血を前面に出した音楽を作っていったような気がする。

その後にはMy Spanish Heartも作っているし。

 

それはさておき、僕自身はフォー・ビートのチック、というよりアコースティックのチックファンになった後でジャズ全般にちょっと飽きてフリージャズばかり聴くようになってしまったので少しの間チックへのブランクがあった。

チックのやってるフリー・ジャズバンド、サークルは聴いていたが当時の僕はもっとハードなフリー・ミュージックが好みだったのでサークルは今だに手にしていない。

そして、浪人後晴れて大学に入ったら、時代はクロスオーバー時代に突入していた。

世の中のジャズはどんどん電気化していて、周り中が電気化ジャズ、ピアニストは誰もかしこもフェンダー・ローズを弾いていた。

しかし僕は当時、頑固にフリー贔屓だったのでクロスオーバーはただのBGM的扱いで真面目に聴き込むことはなかったのだった。

チックの電気音楽が本格的に好きになったのは、社会人になってオーディオ・ショップに務めていた頃からだ。

毎日朝から晩までハイ・ファイ・オーディオで様々な音楽を聴いているうちにフュージョンと名前を変えていた電気ジャズが好きになって行った。

当時はフリー・ジャズにも飽きてきていたしオーディオ・ショップでフリー・ジャズを流すわけにも行かなかったし。

ともかくも、音楽を鳴らすのが商売だったので一年中音楽に浸りっぱなしの生活だ。稼いだお金でチックの新譜が出るのが待ち遠しいほど、出れば買ってお店でも自宅でも聴くという日が続く。

当時好きだったのはSecret Agentフレンズというアルバムですね。フレンズの方が古かったか?学生時代に買った気がする。

Secret Agentは自由自在に音を操るチックの魔術のようなアルバムで何度も聞き返した。フレンズはドラムスのスティーブ・ガッドの演奏も素晴らしく音楽的に聴きやすいながらやってることは超絶的技術の良さもあり毎日聴いていた気がする。

このころが最もチックに近い生活だったかな。

その後結婚したり仕事が変わったりして、しばらくはジャズから遠のいていたが、ライブ・アンダー・ザ・スカイでチックが来た時には見に行った。

その時はエレクトリック・バンドとハービー・ハンコックとのデュオを聴いて感動した。

 

次にチックに目が向いたのはアコースティック・バンドを始めた時。

久しぶりに聴くチックの生ピアノのトリオに酔いしれた一方で、このころのチックはもうやりたいことを大体やりきってしまったような感じも受けていた。

僕自身がチックの音楽に飽きてしまっていたのかもしれない。といよりもジャズを聴く機会自体がこの頃は少なくなっていた。

30代から40代にかけては釣りとスキーに夢中になっていたし子育てや仕事に追われてそれどころではなかったということもあるのだろう。

次にチックがぐんと身近に感じられるようになったのは、仕事で一緒になった元音楽事務所で日本にチックを招聘していた方と働くことになったことだった。

Hさんというその方から、チックの舞台裏話などをたくさん聞かされて、すごくチックのことが身近に感じられるようになり、彼の音楽にも再び触れる機会が多くなっていった。

その方はチックとはお友達で日本にくるたびにコンサートに顔を出しては挨拶している方で、超有名ジャズ・ミュージシャン友達もたくさんおり僕にとっては夢のような生活をしている方だった。

その後の僕は体調を大きく壊して隠遁生活からリハビリ、そして今の釣り師&アマチュア・サックス吹きとなるのだが、チックが身近になったのはつい昨年の事。

コロナ禍で家に閉じこもる生活の中、チックがフェイス・ブック上で毎日自分の練習風景をアップしているのを見るようになってからだ。

自宅での彼の練習する姿を見るのは楽しかったし、自分にハッパをかけられているような気もして僕自身も少し真面目にサックスを練習するようになった。

五月頃に始まったそのチックの練習は、やがてオンラインレッスンやワークショップのような形になりながらもついこの間まで続いていた。

 

そんな中で、最近はあまり更新していないなあ、と思っていた矢先に訃報が飛び込んだものだからショックは大きい。

冒頭にも書いたように親しい友人が突然死してしまった時のショックに似ている。現実と受け止めることができないのだ。

そんな中で自分とチックとの関係を整理する意味でこの文章を書いてみた。

悲しみは時間とともに少しづつ言えて行くのだろうけれども、チックの音楽と僕の付き合いは永遠だ。すでに彼の曲を演奏するという形で彼は僕の中にも息づいている。

おそらく世界中のチック・ファンの心の中にも同じように彼は生き続けて行くのだろう。

あらためて、ここにチック・コリアさんのご冥福をお祈りいたします。

 

ブログ掲載の文章、画像の無断転載は禁止です ©️enos1091 All rights reserve

2021年2月 9日 (火)

ダイエットしたら血圧が下がった!

2年前の年末に胆嚢の摘出手術をして以来体重がじわじわ増えて去年の7キロくらいまで達してしまった。

手術と体重増加の因果関係については、主治医は関係ないというのでなんとも言えないのだが、ともかくその頃からじわじわ2年近くかかって太ってしまったのだ。

一昨年の春くらいからなんとなく気になり始めていたのが、昨年のコロナ自粛でさらに運動不足になったので、ウォーキングなどもしたのですが効果はなくますますぽっこりお腹になってしまった。

お腹はぽっこりは夏場のTシャツを着たときに大変かっこ悪いし、通っているスイミングクラブでもなんだか鏡に映る自分の姿を見るのが忍びない。

ダイエットを決意したのは、上着を着ているにも関わらず魚を持って馬鹿面している釣りの写真ですら目が突き出たお腹に行ってしまった事と、釣りの最中に腰に締めるライフジャケットやファイティングベルトがきついしズレるしで不快なことから本気でやることにした。

作戦的には、まず日常生活の見直し。

一番は食生活の見直しですね。当たり前のことなんですがまずこれから始めた。

太った原因と思われるのは。

① 食べ過ぎ

② 間食

③ 油こいものの摂りすぎ

④ 飲酒

⑤ 運動不足

う〜ん、こうして整理して見るとこれで太らないはずがない。

そこで、決めたのが

1.腹八分にする

2.間食は我慢してどうしても辛い時は水を飲む

3.ラーメン、豚バラ肉、揚げ物をなるべく食べない

4.これはどうしても我慢できないので、適度な飲酒にする。

5.日常的にしているスイミングに加えてスクワット50回、腹筋30回を加える。

ということを決めて始めてみました。

開始したのは11月の半ば頃から。

最初はそうすぐに効果は出ないので一月くらいは我慢かな?と思っていたら思いの外早く効果が出て、二週間くらいで1キロ減った。

これが励みとなり、12月の釣り遠征の際もお菓子などの間食は一切食べなかったのと、年末年始の暴飲暴食をひかえて、正月の雑煮もお餅一つで乗り切ると、正月明けには3キロ減を達成。

ひとつ山を越えた感じがしたので、その後も感触のおせんべいなど迫りくる誘惑に時々敗退しながらも、星の数では圧倒的に我慢が勝ったこともあって、一月末までに6キロ減った。

体重の目標的にはここで十分に達成できているのだけれど、お腹の贅肉がまだ2キロくらい付いていてカッコ悪いのでそのまま続行している。

ちなみにスクワットは、毎朝コーヒーを飲むときにお湯を沸かしてから少し冷ます間の時間に必ずやる!というルーティン化をしたのが成功してすかり日常化した。

一方の腹筋は、いつやる?というのが曖昧なこともあり時々サボってしまうのだが、それでもお腹の肉をつまんでは、これではイカンと続けている。

お酒に関しては相変わらず毎日飲んでいる。焼酎ならロックでボトル一本を四日で開けるし、ワインは二日で一本飲むペースなのでほとんどセーブしていないにも関わらず、つまみをばくばく食べるのをやめたのと、食べたときにはシメのご飯や麺類は食べないことにした。

このことで、胃が小さくなったようで、一度の食事の量は今までの半分くらいに減ったかな?食べなくても満足感があるようになりました。

そんな中、ある方がダイエットしたら血圧が下がった、ということを発信なさっていたのをSNSで見たので、自分も高めになってた血圧を久しぶりに測って見たら、なんと劇的に下がっているではないか!

以下がそのグラフなのだが、

Img_7590

 

昨年春ころの血圧は上が160前後、下が110前後と医者からも降圧剤飲む?と聞かれるほどの高血圧予備軍だったのが、昨日、今日と測ってみたら

上が110前後、下が80前後まで下がっていた。特に上の数値の変化が著しいことが一目でわかる。

降圧剤は一度飲んだら一生飲み続けなければならないと聞いていたので、飲みたくなかったのがこの結果で全くお世話になる必要がなくなったのを知り大変嬉しい。

 

ということで、ダイエットを始めてまる3ヶ月経とうとしている今、とても健康になってきたので、このままこの生活を続けて、コロナが収まって自由に外出できる頃には引き締まった体型でみなさんにお会いできることを目標にしている今日この頃です。

 

ブログ掲載の文章、画像の無断転載は禁止です ©️enos1091 All rights reserve

2021年2月 2日 (火)

シンクルームは楽し!

前回もちょこっと書いたシンクルーム(syncroom)ですが、何のこと?という方が多いと思いますのでちょっと今回はこれでの遊び方のご紹介をしましょう。

これはネット上で音楽のセッションができるソフトでヤマハが数年かけて開発していたネットデュエットというソフトが正式なソフトウェアとして昨年発表されたものなのであります。

ネット上にスタジオを作りその中(部屋)で5人までが集まって演奏や歌など音楽が楽しめるというもの。

スカイプやズームと違って音声とチャットだけのコミュニケーションなのですが、音声の被りや遅延がないので(ネット環境によっては若干起こりますが)違和感なく音を合わせることができるんです。

 

構造的にはルームというスタジオルームを誰もが作ることができて、ここに5名まで入ることができます。5名を超えてしまった場合には別の部屋を作りそれぞれを連結して人数を増やすこともできるという優れものなんです。

この部屋は公開、非公開を選べるので、身内だけの練習の時などは非公開で、飛び入り歓迎のジャムセッションなどは公開でと使い分けができます。

 

僕の場合は、主に知り合いの音楽仲間と非公開部屋を作っておしゃべりしながら音楽演奏を楽しんだり、肝試しもかねて知らない方のジャムセッションに飛び込んだりして遊んでいます。この際は仮入室、という機能もあるので、ちょこっと様子を見て(聞いて)から本格入室という段取りを取ることができて、この辺りも中々気遣いが細やかでよろしい。

 

基本的に無料のソフトなので誰でも使用できるのですが、家庭のネットの上り回線が細いとノイズや遅延の元になるので基本的には光回線環境が理想です。

僕の場合はケーブルTV絡みのブロードバンドで、あまり上り回線は太くないのですが、PCと楽器の間にオーディオ・インターフェイスを入れることで随分と音質が改善できました。

このオーディオ・インターフェイスがヤマハ製なのでヤマハさん的にはソフトはタダでもこの辺りや楽器の売り上げで稼ごうというところらしいのですが。

話がそれましたね、AG-06というインターフェースを導入したおかげで生のサックスの音もシンクルーム上でうまく鳴らせるようになりましたし、先日購入したウインドシンセ、エアロフォンも入力があるのでシンクルームデビューができて楽しんでおります。

特にエアロフォンが手に入ってからは、外に音漏れしないので夜でも音が出せるので、比較的平日は夜に盛んになるシンクルームで遊ぶことが可能になりました。

 

0001_20210202080201

 

整理しますと、PC、楽器、オーディオ・インターフェイス、マイク、があれば基本的に遊べる。これにシンセ、または電気楽器があれば夜遊びもできるというわけです。

 

先週は気がついたら12時頃までセッション宴会のようになってしまい、大声で喋ってカミさんに叱られたりしましたが、エアロフォンだけで静かにやっている分には全く問題ないですね。

ジャズのジャムセッションはまだ数回しか参加していませんが、いろいろな方と知り合えて楽しいし勉強にもなる。

仲良しができたら、コロナ明けには本格的にオフ会という名の本格スタジオバンドなども考えて見たいと思っているのでありますが。

 

そんな意味でも、このヤマハのシンクルームが丁度コロナ禍でリリースされたのはグッド・タイミングと言えましょう。

今までスタジオで一緒にやってきた仲間にも勧めているのですが、比較的みなさんネガティヴで、やれネット環境が、とか面倒くさいとか言ってやりたがらない。

iReal Pro(個人練習ソフト)とシンクルームがあれば、こんなに練習が捗ることはないのにと僕なんかは思うのですが。

 

ブログ掲載の文章、画像の無断転載は禁止です ©️enos1091 All rights reserve

« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »

2024年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29