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2022年3月31日 (木)

野田知佑さんが亡くなった

カヌーイストの野田知佑さんが永眠なされた。

3月27に亡くなられたそうだ。享年84歳。

ここ数年の野田さんの姿を雑誌などの写真で見ながらこの日がくるのはそう遠くないなと覚悟はしていたのでショックはないものの寂しい。

 

野田さんを知ったのは僕が30歳くらいの時。

バス釣りやキャンプ、スキーなどアウトドアにハマっていて、当時買ったBE-PALというアウトドア雑誌に野田さんのカヌーでの川下りのドキュメンタリーが連載されていて、すぐに夢中になった。

当時の野田さんは脂の乗り切った時期で、ユーコン川、マッケンジー川といったアラスカの大河をカヌー犬ガクと一緒に下り、その冒険の様子をリポートを連載していた。

野田さんの川下りスタイルは実にシンプルでマイペースのように思えた。

川を下るのを目的とせず、その過程を楽しみながら下る、いわば川下りの生活の様子が実に魅力的だったのだ。

夕飯は川で釣ったグレーリングやサケをおかずにし、持っていった酒を焚き火を見ながらカヌー犬ガクとその時を楽しんでいるようで、そのスタイルはカッコよく憧れたものだ。

 

 

四国の四万十川が今や全国区となり日本一の清流と呼ばれるようになったのも野田さんの貢献が大きいだろう。

野田さんは何度も四万十川をくだりその様子をBE-PALに書いただけではなく、仲間の椎名誠さんが野田さんの川下りを映画にしたところから有名になったとも言える。

 

椎名誠さんと野田知佑さんは親友とも言える仲で、犬のガクの名前も椎名さんの息子である岳さんから取ったものだ。

当時は野田さんが一人で冒険に出かける時には犬のガクは椎名家に預けられていたほどだった。

その頃のエピソードには楽しいものが沢山あり、椎名さんも自分のエッセイに沢山書いていてそれも僕は読んだものだった。

 

椎名さんや野田さん、さらにその仲間たちが川に集まり大きな焚き火をして酒を飲み肉を食うという話が随所に現れ僕を興奮させたものだ。

僕も少し真似をしてキャンプに行っては焚き火こそしなかったが湖畔にテントを立てて酒を飲み悦にいったものだ。

 

 

椎名誠さんも僕は大ファンだったので野田さんや椎名さんの本はほぼ全て読みあさった。

そのうちに川のことや自然問題にも関心を持つようになる。

 

1982年に「日本の川を旅する」という本で作家デビューした野田さんは日本の川がダム建設でダメになって行く姿を目で見て憂い嘆き反対した。

001_20220331065501

それらの本を読んだ僕も日本の河川事情やダムの問題にも興味を持ち、長良川や相模川の河口堰建設の際は反対の集会に出たりもした。

この頃から野田さんは日本の川の将来を憂い、それと向き合う態度を示し政府と闘った。

その姿もカッコ良いし理念的にも大きく賛同したのだった。

 

野田さんに一度だけ会ったことがあるのも、横浜で行われた相模川河口堰反対の集会でのことだった。

関内駅を降りて会場に向かう僕の目の前に野田さんの後ろ姿を見つけた僕は、「野田さん」と声をかけたかったのに勇気が出せずに逡巡しているうちに会場に着いてしまいチャンスを逃してしまった。

野田さんと話して見たいことは沢山有ったのに。

 

野田さんの親友でも会った作家の椎名誠さんは野田さんとガクの主人公の冒険映画、ガクの冒険を作ったのを機に映画監督となり何作かの映画を作った。

中でも僕が最も好きなのは「アヒルの歌が聴こえてくるよ」という映画で、山奥の湖のほとりにすむカヌーイストが主人公のその映画は野田さんが千葉県の亀山ダム湖畔に暮らしていた時の暮らしがモデルになっている。

亀山ダム湖畔のキャンプ場の管理人として数年間暮らしていた時の野田さんの話には面白い話が沢山あった。

ブラックバス釣りの客が釣ったブラックバスを貰って、アルミホイルにくるんで焚き火にぶち込んで焼いて食べる、というのも好きな話で、ばバス釣り仲間の間では、バスは食べられない、という誤った常識を否定し、こんな美味い魚はいないとその味を賞賛していた。話は横に飛ぶが、やはり僕の好きな小説家である開高健氏もブラックバスは美味い、とオーパで書いている。

キャッチアンドリリース派の僕も自分で釣ったブラックバスを食べたことが何度かある。

野田さんの本を読んで真似をして何度か食べたのであるが白身の美味しい魚だった。

ブラックバスが臭い、という人がいるがそれはブラックバスの臭い皮の処理ができていないだけだ。

 

話を戻そう。

そんな風に憧れの存在だった野田知佑さんから最も影響を受けたことは、自由に生きることそしてそのためには自立する、という事だった。

自分のことは自分でする、人に頼らない、それでいて他人には優しく自由に生きる。そんな考え方に深く共感を覚え僕の人生観の基礎になった。

僕の子供達にも小さな頃から自分のやりたいことを探させて自立することを目標に育てたので、子供達三人は大学に入るとさっさと家を出て、卒業すると自立していった。

子供達が家を出るのを寂しがる親は多いようだけれど、僕は自立して出て行く子供達の姿を逞しく思い寂しさは微塵もなくむしろ嬉しく感じたものだ。

 

僕が30代から40代の間はそんな風に野田さんと関わったのだが、50歳になる頃に大病をした僕は本が読めなくなり、それと同時期に年齢を重ねて冒険ができなくなった野田さんの姿を見るに抵抗があり、やがて毎月買っていたBE-PALの読まなくなり疎遠になってしまった。

晩年の野田さんは子供達に川を教える活動を積極的に行うことに勢力を費やしていたようだ。

おそらく自分の後進を育てたかったのだろう。将来を担う子供達に川を肌で感じさせることで日本の川の将来も変わると期待したに違いない。

 

子供達に自分の川への想いを託したのだ。

そんな野田さんを僕は改めて尊敬した。

野田さんの最後の冒険と言えるのは9年前、野田さん75歳の時にユーコン川を筏で下るという本だった。

犬のガクの子供にあたる犬2匹を連れての冒険だったが、75歳で川下り!という快挙に喜ぶ一方で往年のたくましさは感じられずに小さな落胆もした。

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それから先はほとんど野田さんとの接点はないままにこの9年間の僕は海の大物釣りに夢中になって暮らしていた。

今朝、2022年3月31日に野田さんの逝去を知った。享年84歳。

 

じっとしていることができず、思うままにこの文章を書いた。

野田さん、ありがとうございました。そして安らかに眠ってください。

 

僕の人生も野田さんに照らしてみればあと残り20年くらいだろう。

そして体力的にもできることは次第に限られて行くのは間違いない。

そのためにも今、この毎日を一日一日一生懸命生きようと心に命じたのでありました。

 

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