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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2022年3月31日 (木)

野田知佑さんが亡くなった

カヌーイストの野田知佑さんが永眠なされた。

3月27に亡くなられたそうだ。享年84歳。

ここ数年の野田さんの姿を雑誌などの写真で見ながらこの日がくるのはそう遠くないなと覚悟はしていたのでショックはないものの寂しい。

 

野田さんを知ったのは僕が30歳くらいの時。

バス釣りやキャンプ、スキーなどアウトドアにハマっていて、当時買ったBE-PALというアウトドア雑誌に野田さんのカヌーでの川下りのドキュメンタリーが連載されていて、すぐに夢中になった。

当時の野田さんは脂の乗り切った時期で、ユーコン川、マッケンジー川といったアラスカの大河をカヌー犬ガクと一緒に下り、その冒険の様子をリポートを連載していた。

野田さんの川下りスタイルは実にシンプルでマイペースのように思えた。

川を下るのを目的とせず、その過程を楽しみながら下る、いわば川下りの生活の様子が実に魅力的だったのだ。

夕飯は川で釣ったグレーリングやサケをおかずにし、持っていった酒を焚き火を見ながらカヌー犬ガクとその時を楽しんでいるようで、そのスタイルはカッコよく憧れたものだ。

 

 

四国の四万十川が今や全国区となり日本一の清流と呼ばれるようになったのも野田さんの貢献が大きいだろう。

野田さんは何度も四万十川をくだりその様子をBE-PALに書いただけではなく、仲間の椎名誠さんが野田さんの川下りを映画にしたところから有名になったとも言える。

 

椎名誠さんと野田知佑さんは親友とも言える仲で、犬のガクの名前も椎名さんの息子である岳さんから取ったものだ。

当時は野田さんが一人で冒険に出かける時には犬のガクは椎名家に預けられていたほどだった。

その頃のエピソードには楽しいものが沢山あり、椎名さんも自分のエッセイに沢山書いていてそれも僕は読んだものだった。

 

椎名さんや野田さん、さらにその仲間たちが川に集まり大きな焚き火をして酒を飲み肉を食うという話が随所に現れ僕を興奮させたものだ。

僕も少し真似をしてキャンプに行っては焚き火こそしなかったが湖畔にテントを立てて酒を飲み悦にいったものだ。

 

 

椎名誠さんも僕は大ファンだったので野田さんや椎名さんの本はほぼ全て読みあさった。

そのうちに川のことや自然問題にも関心を持つようになる。

 

1982年に「日本の川を旅する」という本で作家デビューした野田さんは日本の川がダム建設でダメになって行く姿を目で見て憂い嘆き反対した。

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それらの本を読んだ僕も日本の河川事情やダムの問題にも興味を持ち、長良川や相模川の河口堰建設の際は反対の集会に出たりもした。

この頃から野田さんは日本の川の将来を憂い、それと向き合う態度を示し政府と闘った。

その姿もカッコ良いし理念的にも大きく賛同したのだった。

 

野田さんに一度だけ会ったことがあるのも、横浜で行われた相模川河口堰反対の集会でのことだった。

関内駅を降りて会場に向かう僕の目の前に野田さんの後ろ姿を見つけた僕は、「野田さん」と声をかけたかったのに勇気が出せずに逡巡しているうちに会場に着いてしまいチャンスを逃してしまった。

野田さんと話して見たいことは沢山有ったのに。

 

野田さんの親友でも会った作家の椎名誠さんは野田さんとガクの主人公の冒険映画、ガクの冒険を作ったのを機に映画監督となり何作かの映画を作った。

中でも僕が最も好きなのは「アヒルの歌が聴こえてくるよ」という映画で、山奥の湖のほとりにすむカヌーイストが主人公のその映画は野田さんが千葉県の亀山ダム湖畔に暮らしていた時の暮らしがモデルになっている。

亀山ダム湖畔のキャンプ場の管理人として数年間暮らしていた時の野田さんの話には面白い話が沢山あった。

ブラックバス釣りの客が釣ったブラックバスを貰って、アルミホイルにくるんで焚き火にぶち込んで焼いて食べる、というのも好きな話で、ばバス釣り仲間の間では、バスは食べられない、という誤った常識を否定し、こんな美味い魚はいないとその味を賞賛していた。話は横に飛ぶが、やはり僕の好きな小説家である開高健氏もブラックバスは美味い、とオーパで書いている。

キャッチアンドリリース派の僕も自分で釣ったブラックバスを食べたことが何度かある。

野田さんの本を読んで真似をして何度か食べたのであるが白身の美味しい魚だった。

ブラックバスが臭い、という人がいるがそれはブラックバスの臭い皮の処理ができていないだけだ。

 

話を戻そう。

そんな風に憧れの存在だった野田知佑さんから最も影響を受けたことは、自由に生きることそしてそのためには自立する、という事だった。

自分のことは自分でする、人に頼らない、それでいて他人には優しく自由に生きる。そんな考え方に深く共感を覚え僕の人生観の基礎になった。

僕の子供達にも小さな頃から自分のやりたいことを探させて自立することを目標に育てたので、子供達三人は大学に入るとさっさと家を出て、卒業すると自立していった。

子供達が家を出るのを寂しがる親は多いようだけれど、僕は自立して出て行く子供達の姿を逞しく思い寂しさは微塵もなくむしろ嬉しく感じたものだ。

 

僕が30代から40代の間はそんな風に野田さんと関わったのだが、50歳になる頃に大病をした僕は本が読めなくなり、それと同時期に年齢を重ねて冒険ができなくなった野田さんの姿を見るに抵抗があり、やがて毎月買っていたBE-PALの読まなくなり疎遠になってしまった。

晩年の野田さんは子供達に川を教える活動を積極的に行うことに勢力を費やしていたようだ。

おそらく自分の後進を育てたかったのだろう。将来を担う子供達に川を肌で感じさせることで日本の川の将来も変わると期待したに違いない。

 

子供達に自分の川への想いを託したのだ。

そんな野田さんを僕は改めて尊敬した。

野田さんの最後の冒険と言えるのは9年前、野田さん75歳の時にユーコン川を筏で下るという本だった。

犬のガクの子供にあたる犬2匹を連れての冒険だったが、75歳で川下り!という快挙に喜ぶ一方で往年のたくましさは感じられずに小さな落胆もした。

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それから先はほとんど野田さんとの接点はないままにこの9年間の僕は海の大物釣りに夢中になって暮らしていた。

今朝、2022年3月31日に野田さんの逝去を知った。享年84歳。

 

じっとしていることができず、思うままにこの文章を書いた。

野田さん、ありがとうございました。そして安らかに眠ってください。

 

僕の人生も野田さんに照らしてみればあと残り20年くらいだろう。

そして体力的にもできることは次第に限られて行くのは間違いない。

そのためにも今、この毎日を一日一日一生懸命生きようと心に命じたのでありました。

 

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2021年12月 1日 (水)

11月は忙し過ぎた!

このところブログを更新できずにいた。

原因は遊びすぎで忙しくてブログを書いている暇がなかったのだ。

 

前回の信濃路ツーリングから帰った翌日は南房総洲崎へマハタ釣りに行き撃沈!

 

その二日後に知人の画家の個展に出かけ、さらに翌日からは一泊三日で三陸の大船渡にブリ釣り。ブリは釣れず大きなサワラを一匹釣る。

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翌週はタチウオ釣りやらコンサートやらに出かけて、さらにその翌週は月火の二日間浜松の舘山寺温泉にグランドスケープというダンス舞台を観に行った。

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そしてその週末は孫の世話をしに埼玉の娘夫婦のところにバイクで出かけたら11月が終わってしまったというわけ。

 

10月のツーリングも合わせるとトータルで4000キロくらい移動したかな。

流石に体が疲れたようでこのところ二日はじっとしていると行っているうちに12月になってしまった。

 

12月もイベントが目白押しだ。

第一週と第二週にそれぞれ違うジャズのセッションがある。コロナのおかげでどちらも二年ぶりだ。

翌週は温泉に出かけて、さらにその翌週はサンライズへ遠征。

帰ってきたらもうクリスマスウィークだ。

ここまでくると年の瀬も迫った感じになり、年賀状やら何やらバタバタしているうちに今年も終わってしまうに違いない。

 

こういう生活を一年中続けていたら流石に身がもたないだろうと思うのだが、僕の落ち着かない性格上家でじっとしていることができない。

家にいる時も楽器を吹いたりブログを書いたりプールに泳ぎに出かけたりとアレもこれもと忙しく何かをしている。

 

まだ少し早いがもうすでに来年のことに気持ちが入っているくらい。

せっかちなんだな。

 

ということで、11月はそれぞれのイベントのブログを書けなかったのですが面白いことが満載だった。

書けなかった自分が悔しいくらい。

 

12月はなんとか頑張って書きますので皆様よろしくお願いいたします。

 

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2021年5月 5日 (水)

コロナ禍のGWは自宅でキャンプ気分

相変わらず新型コロナウィルスが猛威を振るっていますね。

もう最初の緊急事態宣言が出てから一年以上経つというのに感染者数は減らないはワクチンはいつになったら射ってもらえるのかわからないはで先行きが全く見通せない嫌な世の中です。

こんなに長いこと自粛生活を余儀なくされると誰もがストレスが溜まるもの。

僕とてたまに釣りと釣具屋さんに出かけるくらいでそのほかはほぼ自宅待機生活で流石にストレスが溜まってしまう。

そこにもってきてGWに入ったら安定はしないものの晴れの日が続いて要項は眩しいし新緑は美しいしで本来ならウキウキ気分でキャンプなり釣りなりに出かけるところなんですが、コロナの変異株の観戦状況を見るとそんな勇気は出てこないですよ。

 

仕方ないから普段放置しっぱなしの庭の手入れなぞして雑草を刈ったりボサボサの植木をさっぱりしたりしたら狭い庭にそれなりのスペースができた。

それを見ていたらピンときた。ここでBBQできるじゃん!

でも風が強く午後は雷雨の日が続いていたので天気予報とにらめっこしていたら一日お天気が安定する日を見つけたので、いつも一緒に宴会しているご近所さんに電話してお誘いしたところ、やりましょ!といいお返事がきたので即決定したのであります。

 

前日にキャンプ用の椅子やテーブル、タープなどもう何十年も使っていないような埃だらけになっているのを物置から引っ張り出してセッティングするとなんだかいい感じになってきてテンションが上がる。

 

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夕方までにタープ以外は庭にセットして早くもキャンプ気分で外で缶ビールをプシュッと開ける。

宵闇迫る空を見上げながらビールを飲んで、さらにワインまで飲んだらどんどんテンションが上がってきて、もうタープを張らずにはいられなくなってしまった。

暗くなる中で二階のベランダにタープの片面をくくりつけて地面にポールを立ててロープを植木にくくりつけてタープ張りが完成。

 

明日使う食器類やグラス、七輪なども用意して準備万端。

 

するともうさらにテンションが上がってすっかりキャンプ気分になり、テントも張って今夜は庭で寝ようか、なんて考え出したのだがそんな様子をクールに見ていた妻に止められた。

 

仕方なく布団に入って寝たのだが小学生時代の遠足の前の日みたいでなかなか寝付けやしない。

 

翌朝は5時前に目が覚めてしまうも、そんな朝早くからごそごそ動いたらご近所迷惑なのでコーヒーなんぞを淹れて時間をやり過ごす。

 

お天気は晴れで風もなく絶好のBBQ日和。

 

7時を過ぎたらもう待ちきれない。テーブルにクロスをかけてみるも、まだ炭を起こすには早すぎるので家の中をウロウロすることもなくうろつき回る。

 

9時を過ぎたら炭を起こし始める。

備長炭を用意したので火がつくまで時間がかかるんですよう。その代わり火力と火持ちが普通の隅に比べて全然違うんです。

そこで、うちわをパタパタして火起こしをすると、子供の頃まだガスコンロもない時代は朝起きたら炭をおこすのが僕の役目だったので問題なくスムーズに火が起きた。

時間はまだ9時過ぎ、BBQ開始の11時には十分過ぎる時間がある。

せっかく火が起こっている熱を無駄にするのももったいないし、火の近くにいて様子を見ていないと危険だしというのでコーヒーを焙煎しようと思いつき、この日飲もうと思っていたコスタリカのブラックハニーの生豆を出してきてシャカシャカ始める。

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ところが普段やってるカセットコンロとは火加減が全然違ってこれをコントロールするのに苦労しながら焙煎した。

カセットコンロなら15分くらいで焙煎できるところが本格炭火焙煎には一時間以上かかってしまい、両手はすっかり疲れて腰まで痛い。

 

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でもいい具合の時間の経過だったので、そこからサラダやおつまみを作るとちょうどいい時間だった。

 

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時間になるとご近所さん一家がやってくる。

みんなマスクして椅子に座ったところに料理を出す。

この日のメニューは豪華でしたよぅ。

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前菜に生ハムメロンと生ハムトマト、野菜いっぱいサラダ。

焼き物は牛カルビ、ハツ、モツの味噌ダレ漬けに牛タン、ソーセージ大小など。

その他ズッキーニ、タマネギ、椎茸などなど。

テーブルいっぱいに並べたらなかなか壮観。

ビールも近所のクラフトビールにスーパードライの泡泡缶、ワインは20本の在庫からイタリアワインのちょっと高い赤を選択。

ビールで乾杯して早速肉を焼く、その間生ハムメロンを食べると、これが美味い。自分で作ったのは初めてだけど、メロンを生ハムで巻くだけだから誰でも簡単にできる。ちょっと感動していると瞬く間に肉も焼けて今度はそちらへ移行する。

そこからは焼く、食う、飲む、うまい!の繰り返し。

話も弾んで楽しいじゃないか。

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日差しとそよ風に揺れる緑も心地よく目に移りすっかりいい気分。

ビールからワインへ移行するとこれまた美味い。さらにソーセージも肉も某有名店で買っただけあって美味いのなんの。

牛タン一ダース、カルビ600gは瞬く間に消えて行った。

 

あっという間に時間は過ぎて満腹になったのでデザートタイム。

朝焙煎したコーヒーもちょうど程よく時間が経ちいい感じ。メロンにオレンジ、チョコレートなど色々出てきた。

すっかり満たされてそろそろおひらきの時間。楽しい時間が過ぎるのは早い。ストレスもどこかに吹っ飛んだ。

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ご近所さんが帰った後は汚れ物だけテーブルから片付けて再びビールを開けて余韻を楽しみながら夕闇迫る空を見上げながら飲んだ。

 

この日はテーブルとタープはそのままにしてキャンプ気分の余韻も一晩楽しんだのでした。

 

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2021年3月30日 (火)

小型船舶免許の更新に行ってきた

小型船舶免許を持っている。

今から30年くらい前に湖のレンタルボートでブラックバス釣りをするために取得したものだが、かつてのブラックバス釣りファンにはこういう方も多かろうと思う。

当時の小型船舶免許は一級から四級くらいに分かれていてややこしかったのだが、制度がいつの間にか変わって今僕の持っているのは二級と水上オートバイも乗れる「特殊」という分類のものだ。

これが5年に一度更新手続きが必要になる。

自動車免許の更新と大きく異なるのは、自動車の場合は県の公安委員会のもと運転免許試験場などの決められた場所に出向いて更新を受けるのだが、船舶免許の場合は国土交通省の外郭団体のような公益法人に委託して免許更新を行う。

いくつかの団体がこれを主宰しているので、団体により更新手続きのできる日程と会場が異なり、この中から都合のいい日程と会場を選んで受けるということになる。

さらに大きく異なるのは、免許の失効期限の一年以内に更新できるということと一度失効してしまった免許も余分にお金を払って講習受ければいつでも復活し有効になるということだ。

例えば、受かり更新するのを忘れてしまい数年後に気づいたとしても、講習さえ受ければ復活するのだ。

免許制度自体が頻繁に利用しかつ事故率の高い自動車に比べてゆるい感じがするのが僕の印象。

 

話が逸れた。

ともかく僕の免許は四月に期限がくるので受けに行ったというわけだ。

会場は横浜駅からほど近い県の施設のビルにある会議室。時間は社会人対応か午後の6時からである。

最初に受け付けでお金8200円を払って本人確認のハンコを押し聴力・視力検査へ。

視力検査をしているテーブルから3メートルくらい離れた椅子に座って順番を待つ。

順番が来ると名前を呼ばれるのだが、これに返事をすれば聴力検査は合格。

視力検査は裸眼でもメガネをかけても0.6以上あれば合格する。20年前に作ったメガネで勝負したらギリギリで合格した。

以前、前々回くらいの更新の時にはメガネを持っていくのを忘れてしまい、近くにいた人からメガネを借りて合格したこともある。

他に健康チェックのようなことを聞かれて問題ないと答えれば合格。

これに合格したもののみが次の講習を受けられるのだが、この程度の検査なので全員合格となり講習が始まる。

 

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講習は、講師による冊子をもとにした解説の講習が約30分、ビデオによる講習が約30分の計1時間ほど。

 

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毎回のように小型船舶、特にプレジャーボートの海難事故が増加傾向にあり、その時々の多発する事故例などについての解説と注意が多いのだが。今回は法令が改定されたライフジャケットについての講習が大半を占めた。

その中で勉強になったのは、僕の使っているポーチ型のライフジャケットは、ポーチをお腹側に持ってきて装着するのが正しい方法だった。

今までポーチを背中側につけていたのでこれだけは役に立った。

ライフジャケットはいざという時には生死の鍵を握る大事なものなので今回は大変勉強になった。

講習が終わると解散。新しい免許はあらかじめ住所を記入しておいた封筒で後日家に送られて来る。

ちなみに免許に使う写真は、講習の申し込み時に二枚送っておけば済む。

ということで無事免許の更新を終えて、帰宅ラッシュの電車の三密に怯えながら無事帰宅。

帰り道に見た夜桜が綺麗だった。

 

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5年後は多分もう更新しないだろうな。この5年間だってボートの操縦したのはほんの数回だし、船を持ってるわけじゃないし。

湖の釣りをしなくなったことが免許がいらなくなった一番の理由なので、この先もマス釣りとかにはまらない限りは免許も不要になていくだろう。

 

2020年12月 8日 (火)

2020年、ジョン・レノンの命日に思うこと

今からもう40年も前になる。日本時間では1980年の12月9日だったと思う、現地時間で12月8日、ニューヨークのセントラルパークでジョン・レノンが凶弾に倒れて死んだ、というニュースが飛び込んできたときは、何かのジョークだろうと思った。それから各メディアでそのニュースを聞くにつれ事実だと認めなければならなかったのだが、僕の中ではジョンの死を受け止めるまでには数年かかったように記憶している。

 

ジョン・レノンを知ったのは中学2年生の頃か。イマジンのヒットでラジオからその曲が頻繁に流れてきてそれまで釣りにしか興味のなかった僕が初めて音楽に興味を持つようになった。

そして、ジョン・レノンがビートルズのメンバーだったということを知り、自ずとビートルズに傾倒して行く。

それから2年ほど、僕の生活はビートルズ漬けになった。ラジカセをせがんで買ってもらい、ラジオでかかるビートルズの曲を片っ端から録音しては繰り返し聞く。

生まれて初めて自分のお金で買ったレコードはもちろんビートルズのアルバムだった。それはサージェント・ペッパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドだ。

当時僕の家にはポータブル・ステレオしかなくそれを自分の部屋に持ち込んでくる日も来る日もビートルズを聴いた。

アルバムも、リボルバー、ラバー・ソウル、と増えて行ったが、高校一年生の冬だったと思う。TBSラジオの深夜放送、パック・イン・ミュージックの第二部で宮内静雄DJがかけたイエスのラウンドアバウトを聴いてビートルズからプログレへと音楽の趣味が変わっていき、その翌年にはマイルス・デイビスを聴き今度はジャズどっぷりの生活に変わって行った。

 

こんな風な僕の音楽人生初期の流れだったが、その間もジョン・レノンはマインド・ゲームなどのヒットを時々出していたので聴いていたし、いつも気になっている存在だったし、何よりも僕の音楽人生のスタートを切らせたのはジョン・レノンだったので、彼が突然この世からいなくなったことは大きなショックだったし、にわかに信じられなかったのだった。

 

ジョンが亡くなった数年後、当時はまだ危険な雰囲気の漂うニュー・ヨークへ初めて行った。新婚旅行だ。

セントラル・パークからジョンの住んでいたダコタハウスを妻と一緒に見た。

その後、1990年頃には仕事で数回ニューヨークへ行き、セントラル・パークのジョンが撃たれた地に造られたジョンの碑、イマジンを撮影したりした。

その時はカラオケビデオを作る仕事をしていて、ビートルズの曲やジョンの曲を作る時には率先して手を上げて自分に作らせてくれるようクライアントにアピールした。

そうそう、そのカラオケの仕事ではビートルズ曲集を作りにイギリスに行きリバプールでも撮影している。

ビートルズのメンバーの生家など訪れ撮影した。ジョンの生まれた家というのは住宅街の中のひっそりした感じの家だった。ストロベリー・フィールズも行った。

このようにジョンの死後に彼の生い立ちを追いかけるように、僕は仕事で彼の生活した町を巡礼者のように訪れては撮影したのだった。

 

2000年、21世紀になると40歳で亡くなったジョンの年齢をいつの間にか自分が追い越していた。

40歳を超えた僕はそれからすでに20年以上も生きているが釣りとジャズを愛しながら平凡に暮らしている。

平凡に生きることは簡単なようで難しいと思う。生きていれば何かしら大きなトラブルに巻き込まれることも多々あるだろうし、人生の中で苦難の時期は誰もが体験するだろう。僕もそれなりの苦難はあったが、今はそれをなんとか乗り越えて生きている。

 

 

なんだかとりとめのない文章になってしまったのだが、僕の人生を振り返るといつもそこにはジョン・レノンがいたように思う。

青春時代の僕にジョンが与えてくれたのは反暴力、平和を愛すること、差別のない社会だった。

今でも僕にはジョンのその心が息づいている。

今年もまたラジオからジョンの曲、ハッピー・クリスマスが流れることだろう。

そしてそれは戦争のない世界が訪れるまで永遠に流れるに違いないと思うのだった。

 

 

 

2020年5月25日 (月)

マスクな毎日

4月の頭に緊急事態宣言が出されて以来、家の中で長時間いかに過ごすかがテーマとなり、水槽生活がまずはその手始めでありました。

ところが一月も毎日水槽を眺めているとそれなりに飽きてくる。

四月末くらいには流石に丸一日水槽を眺めているのが飽きてきて、何かいい暇つぶしはないかしら、と探し始めた時に周囲で話題となったのはマスクの手作りなのでありました。

その頃から買い物に行くにもマスク着用が暗黙の了解となったにもかかわらず、我が家ではマスクを買い損ねて一枚もなく、カミさんは自分で手作りマスクを作って対応していた。

僕は、どうせ出かけることも無いからいいか、とたかをくくっていたのだけれど、友人が手作りマスクの写真を見せびらかすようになったら、なんとなく作ってみたくなったのでありました。いい暇つぶしにもなるし。

そこで、某アパレルメーカーがネット上にあげていた、マスクの作り方を見ながら、気なくなったシャツを解体して作ってみた。

手縫いで裁縫をするなんて何十年ぶりだろう。でも子供の頃はおぼろげながら裁縫をよくやった記憶があるので、針に糸を通したらチクチク縫って行くことはなんお抵抗もなく半日かかって一枚作る。

そして作ってみたのがこのマスク。

 

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ステッチの意図は色を記事に合わせて可愛くしてみた。出来上がってみたら、おお!なかなかいいじゃないか!出来栄えがまあまあな事もあったが物作りの達成感が心地よい。何よりも夢中になって作っているといい暇つぶしになる。

 

ステイホームで退屈な一日がストレスなく集中して終えることは何よりも嬉しかった。

 

よおし、これはいい暇つぶしになるぞう!あ、そうだ!うちにはミシンがあったじゃないか!ミシンを使えばもっと簡単にできると、どんどん話は進み次の制作に入る。ミシンを使うと縫うスピードを上げられるのみならずステッチをジグザグにしてみたり、ミシンならではのワザができてなかなか楽しい。

 

次はせっかく作るのだったら着るものに合わせた柄で作ってみよう!ということになり、以前SOUSOUで買った襟巻きみたいな布があったのを思い出して、こいつで一丁作ってみようということになったのがこれ。

 

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ここまで作ったらもう止まらない。次は何を作ろうか?と生地探し。

ステイホームでなければ手芸品のデパートであるユザワヤに出陣するところなのだが、コロナが怖いので楽天やメルカリを探して記事を物色する。

そこで目に留まったのが、龍の絵が描かれた生地。これなんだかカッコ良さそう。と即注文。

 

さらに、おおお!これぞ僕のためにある生地というべき、リアルな海の魚の絵がプリントされた生地を発見。

そこには、クエや、ヒラマサ、シーバス、カツオなどなど日頃釣りで馴染みの深い魚たちがリアルに描かれていた。これも即ポチって購入。

さあ、あとは生地がくるのを待つばかり。

 

先に到着したのは龍の絵の生地だった。これを龍がかっこよくなる所を型紙に合わせて裁断しマスクを作る。裏表リバーシブルで使えるように生地を選んだ。

 

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そして待望の魚柄が到着。ところがこの生地遮光カーテンになっていたので、これをわざわざバラしてマスクに作り変えた。

出来上がりはイメージ通り。ど真ん中にクエやヒラマサ、シマアジなどを配置したらなかなかの迫力マスクとなった。これを着けているだけで一目で釣りバカと分かるであろう。面白いのでジギング王にヒラマサ、根魚王にクエ柄のマスクを某釣具店を通じて差し上げたら喜んでいただけた。

 

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しかし、生地が小さかったので、クエやヒラマサメインの絵柄で切り取ると何枚もできない。そこでさらに同じものをネットで探してさらにポチる。

生地到着までステイホームで宅配便が混雑した都合もありなかなか到着しないのがじれったい。

その間に手に入れた花柄の可愛い生地で妻への母の日のプレゼント用マスクを縫ってカミさんの機嫌をとる。

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さあ、そして魚柄の生地がいよいよ到着したら、生地がデカイ!

一メートル四方の生地を見たら、これでマスク作ったら一体行く作らにゃあいかんの?とビビる。

せっかくこの大きさがあるんだったら、もっと大きいものを作って、マスクはそのあまり生地で作ればいいではないか。ということを思いつき、EnoCafe用のエプロンを作って、マスクとエプロンをおそろで作って釣りが再開できた暁には船の上でこの格好でコーヒーを淹れようということになった。

そこで、これまでEnoCafeで使っていたエプロンのつくりを参考に型紙を作り、と思ったら、大きすぎて型紙にする紙が見当たらないので記事に直に肩を取りハサミを入れた。

出来上がったエプロンはポケットの部分の柄がダブってしまったのと、首にかけるところの紐の金具がサイズ違いだったりと、いくつかの反省点も見つかり、とりあえずこれはプロトタイプということにして、本番はまた別に作ろうということになったのが五月の半ば過ぎ。

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ステイホーム期間も大分やり過ごしたことになる。

この時点で、作ったマスク31枚、エプロン一枚。なかなかクリエイティブなステイホームになった。

 

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そして、コロナ患者数も大分減ってきたところを見計らって、最寄りのユザワヤについに出かけて魚生地とエプロン用小物を買い込み本番のエプロンを作る。

この頃には手慣れたもので、一日でエプロンを一枚作ってしまうほどにまでなった。

ということで気づいてみれば、五月も二十日をすぎて、新型コロナの患者数も大分減ってきて、緊急事態解除の先が見えてきた。

今後も当分はコロナとの共存生活が続くであろうから、作ったマスクは無駄にならないであろうし、安倍マスクを不愉快な思いをしながら使用することもなくなって一石二鳥。

気がつけば、今日中にも緊急事態宣言が解除されるかも、ということになり、マスクとエプロンのおかげで比較的充実したステイホームの日々を過ごせたのでありました。

 

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2018年8月29日 (水)

門の扉が壊れちゃった

いやあ、台風21号の風、すごかったですねぇ。被害の出た地域の皆様にはお見舞い申し上げます。
今年は本当に台風が多い。話は前々回の台風がさった後の朝、新聞を取りに玄関から門のところまで50メートルほど歩き(ウソ)郵便受けに目をやろうとしたら、ん?何か落ちている。
10センチほどのL字型の物体を見てすぐに門の扉の取っ手だとわかった。

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はめ込んでいたものが外れたのかしら、と拾って本来あるべき門の取っ手のところにあてがって見たけれどハマらない。もう一度よく見たらどうやらもとの部分から折れてしまっているようだ。

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築40年近いボロ屋だからこういうことも起こるんだな、と驚きもせず納得してしまったのだけれど、さて、これは一体直るものなのかしら?と直し方を想像して見た。

一番簡単なのはとってだけの交換ができるということ。二番目はとってと一体になった鍵の部分の交換。ここはネジ止めしてあるのでおそらくパーツがあれば交換できるのであろう。もしこれができないとなると門の扉全体、いや、門自体の作り直しか?などと考えているとだんだん憂鬱になってきた。

なんたって40年も前に作られた門のパーツがいまでも売っているとは思えない、とりあえず近所のリフォーム屋さんに相談してみよう、と思ったのだがなんとなく気が重く電話せずに二週間以上が過ぎてしまった。

その間、門が風に煽られてバタン、バタンと開いたり閉じたりするのも困るので折しも門の反対側のパッキンのようなゴムが剥がれていたので、このゴム紐で輪っかを作ってくくりつけておいた。

先日、いい加減ちゃんと直さなければ、という思いと、機能的には紐で縛っておいても、普段どうせ鍵もかけないのだからこのまま行くか、という思いが交錯する中修理のことを考えていたらピンときた。

ひょっとしたらネットで探したらパーツが有るかもしれない!と。

早速門のところに行って扉の型名がどこかに書かれていないか探して見たら、ありました。メーカー名と門の名前がしっかり書かれている。
すぐにその名前でググってみたらなんと!とってのと鍵の部分のパーツらしき写真をすぐに発見!
新日軽 門扉 錠・ハンドル部品 [D型錠]内部化粧座アーム(片開き・両開き用) ホワイト色 H8AAB0208とある。価格は5000円ちょい(送料込み)

この金額で直ったらこんなにめでたいことはない。門の工事で数十万円かかるのかと心の中では半分覚悟していたので、桁が二つ違うこの価格に思わず小躍りしそうになる。

写真に寸法が入っていたので、そのままwebページを表示したPCをメジャーと一緒に門まで持っていき測ってみたらほぼ間違いがないことがわかった。

それでも取り付け方法がわからないとせっかく買っても無駄になってしまうので、ネジで外せる部分を解体して構造を見てみることにした。

錆びてきつくなっているかと思われたネジは意外に素直に回ってくれて、するりと外れパーツを外すと中が見えた。

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壊れたのは門の内側の取っ手なのだけれど、構造的には外側の取っ手から伸びた軸に内側の取っ手をはめ込んであるだけというシンプルな構造ということがわかったのでこれなら自分で治せると判断し即ポチって注文した。

待つこと数日(結構時間がかかった、在庫の問題かな?)やっと届いたのが台風21号が関西を南北に突っ切って日本海に出た頃の9月4日の19時すぎくらい、こちら横浜も結構な風が吹き始めていたので早速暗闇の中で作業をして取り付けました。

なんたって台風の風で門がバタバタ煽られた日には近所迷惑だし、こっちも熟睡できないし、ということで。

作業は想像以上にスムーズに行き5分程度で完了。
一時はいくらかかるのかしら?と不安になっていたのがウソみたい。結局5000円ちょいで門はキレイになおってしまったのでした。


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無事取っ手が作られ鍵も閉まるようになったので台風の風にバタバタすることもなくなんとか夜明けを迎えることができました。

それにしても台風多すぎ!気象庁の観測史上二番目の多さだとか。
もう今年は台風いらない。

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2018年7月20日 (金)

やっとスマホ!

先日やっとスマホに変えました。

僕のライフスタイルに高い料金のスマホは要らないというのがこれまでガラケーで頑張っていた理由だったのですが、バイクを買うに当たって、最近はカーナビがわりにスマホを使う、ということを知って心が動いたんです。バイク用のカーナビを買った方がトータルでは安いのかもしれませんが、道路情報の更新や使用頻度などを考えた時にスマホに心が行ったのと、最近日常的な人との連絡に「ライン」が使われるようになり、今まではPCでラインをしていたのが面倒になってきたのも気が変わった原因の大きな一つ。

ということでスマホにしよう、と決めてその方面に詳しい友人に相談したら、スマホにするなら断然 iPhoneにした方が良い、と言われ何も知らずに近所のauショップへ行って、iPhoneください、みたいに言ったら、担当のお兄さんが嬉しそうに「はいはい、どれにいたしましょうか?」とくいついてきた。

では料金プランを!と月々の支払額を見てビックリ!高いと覚悟はしていたがこんなに高いとは!これを月々4年間払ったらトータルで30万円を超えちゃう〜!
一瞬買うのをやめようかと思ったけれどもう引っ込みのつかないところまで話が進んでしまっていたのでまあいいか、と諦める。

携帯会社は儲かるわけだよなあ。iPhone使っている人ってたくさんいるし。

それでもスマホを受け取って家に帰ったらなんだか嬉しい。
基本的な設定をあれこれやってから件の知り合いに相談して、PCとの情報共有やらなんやら便利な使い方を色々聞いたら確かに便利。

スマホといってもほとんどPCと昨日は変わらないので、携帯PCを手にしたようなものだ。

これまで毎日PCとニラメッコしていたのがスマホのおかげであまりPCを立ち上げる必要もなくなってきてほとんどのことがスマホでできるようになってしまった。世の中がスマホになっている理由を身にしみて感じたわけだけれど、この便利さに高い料金が見合っているのかどうかはまだ判断をつけかねています。

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2018年3月23日 (金)

おニューのカメラで悪戦苦闘

カメラを買った。

釣りの時に使う濡れても大丈夫なアウトドア用カメラでオリンパスのTG-5というモデルだ。

これまでアウトドア用のカメラはペンタックスのWG-1というモデルを持っていたのだけれど購入して6年くらい経つと、今のデジタルカメラの超光速的進歩によりずいぶんとスペック的に劣る感じは否めない上に撮影画像自体が購入当時に比べるとキレが甘くなってしまったので最近はすっかり出番がなくなっていたのだ。

WG-1の代わりは一昨年買ったソニーのミラーレス・デジタル一眼レフα6000が活躍してくれていて、デジイチらしいキレのいい美しい画像を楽しませてくれていたのだが、僕の場合、撮影というと釣りに持っって行くことが圧倒的に多いので、いつか水に濡れてオジャンになってしまうのではないかという恐怖と常にタタカイながらの使用に最近は甚だ疲れてしまったのでした。

そんな折釣りの現場でルアーデザイナーの若林さんが使用していたカメラが防水で綺麗な画像だったので何を使っているのか聞いたところこのオリンパスのTGシリーズだと教えていただいたので早速購入となったのでありました。

ところがいざ購入しようと近所のカメラのキタムラに電話で在庫を問い合わせたら、なんと入荷まで一ヶ月半待ち!だというではないか!

一ヶ月半も経ってしまったら4月までのシーバス釣りシーズンに間に合わない。「こっちは来週には使いたいんだよう」ということで他を当たってみたところヨドバシカメラに在庫を発見し即購入。

めでたく手に入れたのでありました。

さて、新しいカメラを手にして早速取説とにらめっこしながら色々機能を見ていたら知らなかった機能がたくさんついている。

普通はこういうカメラのスペックや機能を十分に検討してから購入に至るものなんでしょうが僕の場合すっかりあべこべで、買ったらこんな機能がついてる!と喜んでいるのだから能天気というしかない。

購入半月でまだ未知の機能がたくさんあるのだけれど、とりあえず把握しているのは通常の撮影にプログラムオート的機能や小さなものを顕微鏡的に拡大して撮影できる顕微鏡機能など様々あるのでありますが、ビデオ屋の僕が反応してしまったのは4K動画やハイスピード撮影さらにコマドリ撮影。

とりわけコマドリ機能にはまってしまった。コマドリと言っても鳥の名前じゃない。
シャッターを一定の間隔をあけて撮影し、撮影後に一連の画像を流すと普段はあまり動きのないもの、雲の流れや花が開く様子などが生き生きと動いて見られる、あれです。インターバル撮影と取説には書いてある。

かつては昭和の40年代50年代にテレビでみたものはハイスピードカメラでのフィルムによる特殊撮影でしか見られなかった。花の蕾がわーっと広がる様子や雲が湧き上がっては消える様子などをテレビで見ては感動したものでありますが、それがお手軽に家庭用のコンパクトデジタルカメラで取れてしまうのだからいい歳のおじさんにはびっくりなのであります。

早速試しにと二階のベランダに設置し大空の雲の動きを撮って見た。
どのくらいの間隔でシャッターを切ったらいいのかもわからず感に頼って3秒に一コマで撮って見た。

このカメラは299コマまで撮影でき再生時にはそれが1分に凝縮される。

とりあえずベランダに仕掛けたカメラをず〜っと見ているのも退屈なので別の作業をしていたら老化の激しい脳みそはカメラのことをすっかり忘れて出かけてしまった。

出かけた先で思い出して慌てて帰り早速カメラのところに行ったらセットした三脚が風に煽られて傾いている。三脚を固定しないのは超基本的ミスで、まあちょっとお試し、程度の撮影だったから手を抜いてしまったのでありますが深く反省しつつ画像を再生してみたら、あら、動画が撮れていない。

静止画が299枚取れているだけで、カメラの再生機能で素早く送っていくと動画に見えることは見えて、湧き上がっては消える雲が思った以上に狙い通り撮れていたのでそれなりに感動し、心配した三脚が傾いたのも撮影後のことだったようで画像に問題はなかった。しかし、動画が撮れていなかったので取説を手に取り失敗の原因を探ればただの設定ミスでありました。

つまりこのカメラ、静止画でのコマドリと、それを動画に合成する機能が両方ついていたのでありますね。さらにこのコマドリの開始時刻をあらかじめ予約できることも分かった。

一応問題が解決したので、今度こそはと翌日の朝日が登ってくるのを狙ってみた。

薄暗い東の空がぐんぐんと明るくなりやがて太陽が刺したかと思うとこれまたぐんぐん空に上がってきて眩い陽光を指す、というイメージの動画を取ろうとしたのであります。

日の出の時間を調べて、日の出の前後どのくらいの時間を撮影すればいいのかを計算して一時間とし、日の出30分前にカメラが撮影始めるようにセッティングして見たのでありますが、ここで大きな問題が起こった。

自分の寝室である二階の窓から撮影するにあたって、撮影には当然窓を開けておかなければならない。しかし三月初めの朝方に窓を開け放って寝るというのはなかなかの勇気と体力がいる、一つは寒さの問題、そしてもう一つ花粉の問題だ。

前者はそれなりの対応が取りようがなくはないものの花粉の方は対処のしようがない。ひどい花粉症の僕はこの時期には部屋の窓は一切締め切り洗濯物部屋干し、外に出る時どころか室内でもマスクをして花粉対策をせねばならないほどひどい花粉症なのに、窓を開け放って寝るなんて、まるで狼の群れの中に放り込まれたこウサギちゃんのようなもので、たちまちに狼花粉にやられてしまうのは火を見るより明らか。

仕方ないのでタイマーにセットするのは諦め、早朝早めに起きてカメラをセットしたら窓を開け放ち自分側の部屋に逃げる作戦をとったのでありました。
朝5時半、目を覚まして早速カメラにと起き上がってみたら東の空はすでに明るくなリ始めているではないか。

慌ててセットして撮影開始。一時間ほどシャッターを切れるようにし、動作を確認したらカメラの横にいただけで鼻水が垂れてきそうなのでキッチンに逃げ込んで早朝のコーヒーなどいただき一時間後にカメラを回収し再生してみたら、おお!今度は動画で撮れている。

青みがかった東の空がやがて茜色になり太陽が小さくみあたかと思ったらぐんぐん上がってくる。と思ったら、太陽はあまりぐんぐん上がって来ずどうも全体の動きが遅くてダイナミックさに欠ける映像になってる。

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                朝日 イメージ

どうやらシャッターを切る間隔が短くすぎたようで、次こそはもう少し長くしてダイナミックな映像をと、数日後再トライしてみた。

前回より少し早く来てまだ暗いうちからの撮影を敢行したのでありますが、なんと午前3時半に目が覚めてしまった。年寄りの朝は早い、と言っても3時半から日の出を待つのも辛いのでタイマーを使ってみることにし、セットしたらあとはカメラ任せでうたた寝していようと決め込んだのであります。

ところがカメラをセットして再び布団に潜り込んだが寝付けない。
カメラが気になるのかアドレナリンが分泌してテンションが上がってしまったのか、布団の中で30分もぞもぞしていたがどうしても眠れない。さらに30分なんとか寝ようとしたのでありますが目は冴えてギラギラとしてくるばかり。

気づけば4時半近くなってしまっている。こうなりゃあもうこのまま起きて撮影だ、
と起き上がってカメラを確認し、花粉から逃れるために別の部屋に移動。

NHK-FMのラジオ深夜便など聞きながらパソコンをいじりつつ、時間が来るのを待った。そろそろ取り始めている頃、という頃合いを見計らってカメラのところに行きシャッターが切れるのを待っていたのだが設定した時間の感覚を過ぎてもシャッター音がしない。またしてもオペレーションミスでカメラが動作していなかった。原因究明は後にしてすぐに撮影開始にセットし直してなんとか撮影開始。

ふと視線を窓の向こうにあげると大空は暑い雲でびっしりと覆われているじゃありませんか。

雲には隙間もなく無情なくらい重苦しく垂れ込めている。
あらあ天気予報では朝から晴れだったはずなのに、そりゃあないよ。
おれの3時半起きはなんだったんだあ!!!と思わず朝から大声で叫んでしまいそうになるのをグッとこらえるも、やり場のない失望感。
しかしすぐに気を取り直し予定通り撮影を決行。

重く垂れ込めた雲だってなんらかの動きはあるに違いないし、劇的なお天気の好転で雲間から太陽が差し込んできたりしたら、これはこれでなかなかドラマチックじゃあないか。と思ったのであります。

カメラをセットしてからおよそ二時間半。
朝メシに肉うどん卵入りをたべ、犬の散歩をし、洗濯物を干してもまだ時間が余るのでごろ寝してたらいい時間になった。

ウキウキ、ワクワクしながらカメラを三脚からはずし早速再生。と思ってスイッチを入れたら電池切れの表示。

どうやら撮影中に電池が切れたらしいのだけれど、撮れた分はちゃんと動画処理されるんだろうか?

しばらく充電してからスイッチを入れ再生ボタンを押したら、おおお、撮影できている。

再生してみたらこれが思いのほか良い。
重く垂れ込めた雲は思いなりに動いてくれていた。それもなかなか重厚感のある動きで感動的である。太陽は出てこなかったけれど日の出時間を過ぎると光量が上がり雲間から光がさしたりしてなかなかドラマチックだ。

ということでやっとの事で思いがけなくもコマドリ撮影に成功!と喜んだのだけれどPCで再生してみたら大きな失敗に気がついた。

写真の画角を4:3で撮影してしまったのでビデオにした時の16:9の画面の両脇に黒いマスクがかかってしまい、まるで昔のビデオで撮った画像をハイビジョンにコンバートしたかのような古臭い感じの画像になってしまったのであります。

しかし、これで諦めることはしない。
あらかたの失敗は一通りやったので次こそはイメージ通りの映像を取る確信があります。うまくいったときにはYouTubeにでもアップしてご覧いただきますので乞うご期待。


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2018年1月 4日 (木)

明けましておめでとうございます

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

もう今日は4日で仕事が今日から始まる方もたくさんいらっしゃることと思いますが、僕の方は正月は実家に帰省して親の面倒を見たり色々することが多くてブログを書く気分になれなかったのですが、やっと三が日が開けて余裕ができた感じです。

実は今年は元旦の朝一からちょっとしたハプニングがありまして、ブログに書きたかったのですが三日も経ってしまった。

昨年のブログは元旦の初日の出の写真から始まっていたと思うのですが、今年も日の出を撮りに行ったんですね。
大晦日は9時にはとこに入ってしまい、元旦の朝に備えていたのですが朝起きて窓を見たら外が薄明るい。慌てて時計を見たら6時40分。確か去年の初日の出が6時53分だったと思ったので顔も洗わず慌てて着替えてカメラを首にかけて犬を引っ張って近くの河原まで走って行きましたよ。

まさか元旦早々ジョギングするとは夢にも思わなかった。
それでもジョギングした甲斐があって、河原から近くの橋まで走っていく辺りで日が上がり始めギリギリ日の出に間に合いました。

橋の上には人が十人ほどいてスマホやカメラで写真を撮ってる。
僕も慌ててカメラを出して息を切らせながら写真を撮っていたら隣にいたおばちゃんにが「綺麗ですね」と声をかけてきた。「そうですね、綺麗ですね」と僕。
「その写真撮って売るんですか?」とおばちゃん。

僕「売りませんよ。撮るだけです」
おば「その写真いただけませんか?」
僕「え?でも焼きませんから」
おば「記念にどうしても欲しいんですよ」
僕「じゃあ、メールアドレスでも教えてくれたらデータあげますよ」
おば「メールはやらないんです」

その間もどんどん上がってくる太陽を写真に収めていたのでおばちゃんの顔はわからぬまま会話だけしていたんですが、正直うっとうしかった。

おばちゃん、僕の写真を見たわけでもないのにいい写真を撮ってると勘違いしてその後もしつこく写真が欲しいというので、僕もすっかりその情熱に押されてしまった。

僕「それじゃあ連絡先を紙かなんかに書いてください。あとで連絡しますから」
ということになりおばちゃんは何かの裏紙に携帯の番号を書いて手渡して帰っていった。

なんだか元日の朝っぱらからナンパされたようなナンパしたような変なことになってしまったのだけれど、おばちゃんには悪いけれど後に20歳くらい若かったら嬉しかったなあ、なんて思いながら写真をひとしきり撮って帰宅。

その日の朝はお屠蘇がわりにお酒を飲んで酔っ払っちゃったので昼ごろまで寝てしまい、午後になって写真のことを思い出した。

とりあえず約束だけは果たそうと紙に書かれた電話番号に電話して、メールはないの?と聞いてみたら、そういうのはやっていないとおっしゃる。どうやら写真を焼いて欲しがっているのことが分かったので、コンビニで焼いたもので良ければあげます。という話に落ち着きコンビニで2枚ほど焼いて、夕方の犬の散歩で朝の端に行くついでに渡すことにした。
夕方時間より少し早く端に向かって行ったら、おばちゃんのらしき車がすでに停まっており近くに人の姿が見える。
近づいたら70歳くらいと思しきおばちゃんがいて僕に気づいて寄ってきたので、写真を二枚手渡したらちょっと落胆の顔色を見せた。

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おばちゃんはどうやら大きく焼いた写真が欲しかったらしく額に入れて飾りたかったらしい。ちょっと期待を裏切っちゃって申し訳ない気分になっちゃったけれど紙焼きから大伸ばしすることができるのをおばちゃんは知っていたらしく、「これを大きくして飾ります」と言って写真を受け取り「また来年会えたら」と言い残し帰って言った。

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ご覧のように大した写真じゃないのだけれど、こんなものでも喜んでくれるのなら少しは人のためになることもできたのかしらなどと思う元旦なのでありました。
今年もいい出会いがあるといいなあ。どんな一年になるのか楽しみになってきたのでありました。

皆様も良い一年になりますように。

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