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カテゴリー「健康」の記事

2022年2月19日 (土)

3回目のワクチンを打ってきた@ハンマーヘッド・みなとみらい

新型コロナワクチンの3回目の接種に行ってきました。

 

今回は予約もすぐに取れて接種券が送られてきた翌々日には接種できるというスピード。

前回は横浜市の予約システムがダメダメでどうにも予約が取れなかったのでわざわざ東京の大規模接種会場まで二度足を運んだのですが、今回はみなとみらいのハンマーヘッドにある接種会場ですんなり接種できました。

なんか、横浜市、やればできるじゃん!というか前回の反省が効いているのか?はたまた3回目の接種希望者が少ないのか?ほんとのところは分からないのですけれどね。どなたかその辺の事情に詳しい方がいらしたら教えてください。

 

ということで、接種会場はみなとみらいにあるハンマーヘッドという施設でした。

ここに行くのは初めてで、名前は知っていたけれど普段みなとみらいに行くことは滅多にないし、我が家はみなとみらいに都会からは大きく離れた横浜の田舎にあるし、ということで色々ネットで調べてみました。

 

その結果、電車で行くのはまだまだ感染リスク上怖かったのでバイクで行くことに。

すぐ近くにある赤レンガ倉庫のバイク駐輪場がただだということは知っていたのでここを利用することにしました。

 

接種時間は夕方の5時半の予約だったので午後遅くにのんびり出かけます。

せっかく都会に出るのだからとついでに西横浜駅前で露店で売ってる美味しいキムチ屋さんにも寄ることにしました。

ここのキムチ屋さんは毎日午後遅くになるとおばちゃんが箱の上に板を敷いた露店を出して、キムチ、チャンジャ、カクテキ、チヂミなどを売るのですが、大変美味しいのですぐに売り切れてしまうんです。

僕も人からいつもいただいたものを食べていただけなのでお店に行くのは初めてでした。

場所も含めてお店情報を調べてみたらなんと、Googleマップに露店キムチという名前で載っていた。

その情報を頼りに開店時間の4時半を目指してバイクで行くと、場所はすぐにわかってお店の横にバイクを止めていると、その間にも二人ほどお客さんがきて商品がどんどん売れて行く。

僕の一番のお目当はチャンジャだったので、どうかチャンジャだけは売れ残って〜!と心の中で叫びながら焦ってバイクを止めてお金を出した。

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お店はおばちゃんが二人におっちゃんが一人座っていて始めての僕にも愛想がよくいい雰囲気。

まだ売れずにいたチャンジャ、キムチ大、カクテキ、チヂミを素早く注文し、というより人に取られないように自分で勝手にまとめて囲い込んでから、これちょうだい!と買ったのであります。

無事買い物ができたのでいい気分で今度は赤レンガ倉庫へ。

15分ほどで到着しバイクを止め、まだ接種の予約時間には30分以上あったので赤レンガ倉庫の周りをうろついて夕日のみなとみらいを写真に撮ろうとした。

折しも赤レンガ倉庫では何かイベントが開催されておりビニールハウスの巨大なのが建っていてその中から若いカップルなどが飲み物や軽食らしきものを手に次々と出てくる。

海側から回り込んだ僕は中で何をやっているのか覗きに行ってみたら、海側は出口になっていてそこからは入れない。

仕方ないので透明なビニールハウス越しに中を覗き込んだら、何やら屋台がたくさんあり天井にはしゃれた装飾などしてあって若者がうじゃうじゃいた。

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雰囲気からして僕が一人で入ったら浮いてしまうだけと判断し入場はやめる。

海沿いにうろうろしながらシャッターチャンスを待っていると港の端っこのあたりに釣り師が何人かいた。

これをみて僕が反応しない訳はない。

 

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即座に接近して、釣れますか?と話しかけると、今日は渋いです〜、と始まってここでの釣りのことやら他にはどこに釣りに行くことやらいろいろ話が盛り上がった。

この釣り師の方はちょうど片付けをしていたのですが、海の水を汲んでは自分の釣り下回りをブラシでゴシゴシ綺麗にしているのをみて感心する。

こうやっておかないと、いつか釣り禁止になってしまいますから、と言いながら掃除していたけれど嫌そうな顔はしていなかった。

こういう釣り師ばかりだといいなあ、と自分お釣りも振り返り反省点などないか考える。

 

そのうち日がビルの谷間に沈み時間も予約時間が近ずいたので写真を何枚か撮って歩いてハンマーヘッドに移動する。

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ハンマーヘッドの入り口には案内人がたくさん立っており、会場へはスムーズに入れた。

中に入ると予約時間を聞かれてその時間枠の人たちが待つ椅子に誘導された。

ここから先がどう動いていくのかよくわからないまま30分近く待たされたのでちょっとイラついてしまう。

暇なので周りの人たちを観察していたら、高齢者枠の予約だから当たり前のことなんだけれど本当に老人ばかりだ。

先ほどの赤レンガの若者軍団とのコントラストが愕然とするほどハンパでない。

 

あんな若者たちも数十年後はこんな感じ!という非常にわかりやすいbefore afterを見てしまった。

 

それにしてもこんなに老人ばかり集まっているのを見るのは初めてかもしれない、何しろ数百人の老人が椅子に座っていい子で待っているのだから。

そして気づいたのは、自分だって同じ老人じゃん!ということ。小さなショックを受けつつもこればかりは受け止めるしかない。

 

周囲のおっさんを見ては10年後の自分はあんな感じ、20年後はあんな、、、などと見ていると30年後はいないので少々気が滅入る。

 

人って不思議なものだと思ったのは、若いものの中に入り込むと自分も若い気になってしまうし、年寄りの中に入ると自分の歳を実感するという無意識な意識的精神的同化のようなものがあるのだなあとおもった。その仲間に自分がいると思うことで安心するわけだ。

 

でも実際には両者を比較し多角的・客観的に自分を見たら格好じいさんだと認識してしまったというわけ。

 

少し気が滅入っているところに、この人々が椅子の列ごとに次に案内されていくのが分かって、それが比較的早いリズムで流れていくのがわかったら今度は一安心する。単純にできてるなあオレ。

 

自分の列の番が回ってきてそこから先は受付、問診、医師による問診、注射、15分の待機とスムーズに進んでいく。

 

担当の人や案内の人がここから急に若い人が多くなって、みんなキラキラ輝いて見えた。

若いっていいよなあ。やっぱオレじいさんだ!

 

と自分の年齢を他人と比較して多角的に自己診断するという経験をして色々この先の人生を考えさせられる。

 

6時過ぎには全て終了。

外に出たらみなとみらいの夜景が綺麗だった。

 

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ひとしきり写真など撮ったのち、いつまでも若者の仲間でいたいじいさん(僕のことね)は850ccのバイクにまたがり宵のみなとみらいをあとにしたのであった。

 

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2021年6月10日 (木)

新型コロナワクチンを接種してきた@大規模接種東京会場

新型コロナワクチンを接種しに東京大手町の大規模接種会場に出かけてきた。

僕は横浜市に住んでいるがこの二週間、毎週月曜日、朝9時前からパソコンと携帯を準備して横浜市の接種予約に臨んだのだが、電話は全く繋がらず、ネットでは繋がるのに一時間かかって挙句、接種予定日はどこの会場も全て×印で埋まっている状況に業を煮やしたのだ。

そこで、東京の大規模接種会場が都外からの高齢者の接種も受け付けると聞き5月31日月曜日の朝11時から予約をとってみた。

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この日もこれに先立って9時からは横浜市の接種を申し込もうとしたのだがあっさり撃沈し横浜は諦めた。

なぜワクチン接種をそんなに急ぐかというと、7月初旬から二週間程小笠原父島へ出かけるのでその前に摂取しておきたかったのだ。

孤島への新型コロナウィルス持ち込み第一号に自分がなりたくないのと、24時間一つの船の中で暮らすという一定の密生活の中で感染したくないという思いから急いでいるのだ。

こんな時に小笠原へなんか行く計画を立てるお前が悪い、と言われそうだが、これはもう一昨年の暮れから決まっていたことで新型コロナ騒ぎ以前からの決定事項であり、今更中止にはできないのだ。もちろん僕の気持ち一つの問題ではありますけどね。

 

ともあれ、東京の接種受付に臨んだ。

午前11時の時報とともにネットの画面が変わって待機画面になった。

そしていしばらく待つ。五分、十分、と繋がらない。

横浜の場合はこのままの状態でムナシク一時間が過ぎて行ったのでこっちもダメか?

と思い始めた二十分経過あたりでラインに連絡が入った。

 

ジギング王から東京取れました!というご報告。

こっちはまだ待ち画面です。と返事しながらも焦りは増大してゆく。

ここで予約が取れなかったら一体いつになるんじゃあ?!と叫びたくなる。

その先のラインのチャット会話が煩わしくなるほど焦りは高まり、もうダメかあ?

と思った十一時半過ぎ、突然PCの画面がパッと変わり予約画面に入った。

 

やった!これか!ついに来たぞ!と喜びつつも気を静めて失敗のないように冷静を装って予約を進めていく。

ジギング王に聞いた話では、一度入力にミスったり、入力した指定時間が満員だったりすると初めから振り出しに戻る、と聞いていたのだ。

つまり、人気ラーメン屋の長蛇の列に並んでやっとこさ自分の番がきて味噌ラーメンを注文したら、味噌は売り切れです、と言われて待たれるの後ろに並ばなければならないというシステムらしい。

 

そんな理不尽なと思いつつも繋がっただけ横浜よりはよっぽどマシだ。とにかくミスらないように余裕をもって人数の秋の大き時間帯を選ぶと無事に予約完了する。

この時の開放感、安堵の大きさを何に例えようか?

自分自身でも驚くほどの大きな安堵に包まれて心が軽くなった。

それだけこれまで大きなストレスや不安を抱えていたのだ、ということを実感する。

 

未だワクチン予約どころか接種のめども全く立たない若い人たちの持つストレスに思いをやると気持ちがはちきれそうに苦しくなった。

なんだか家の中でじっとしているのが辛くなり家の近くをバイクで走り気を落ち着かせる。

 

さて、それから十日ほど過ぎていよいよ接種日だ。

横浜の田舎から大手町までは電車で行く。

この電車内の密が嫌でこの一年全く電車に乗らずにいたくらいなのでプレッシャーがあった。

しかし、予約の時間は午後遅くだったので上り電車は空いており問題なく大手町着。

元カシオペアの向谷実さん作曲の地下鉄東西線の発車メロディーを聞く余裕まであった。

このメロディ、駅毎の短いものをつなげていくと上り線で一曲、下り線でもう一曲になるらしい。ラジオで自信が自慢してた。

 

話が飛んだ。竹橋駅を降りると会場までの要所には矢印看板を持った係りの方がおり、迷うことなくスムーズに到着する。

入り口で予約日の間違いだけ無いか口頭で確認され中に入ると8列くらいに別れた入り口があり空いているところを選んであ入る。

 

入り口で検温と手の消毒がある。ここで少々渋滞する。

これを過ぎたところで受付の手続き。

持っている書類、身分証明書での本人確認などして何色かあるファイルを選ばれてそれに書類一式を持たされ次に行く。

そこから先はこのファイルの色でグループ分けされて行動することになる。

 

入り口から受付までは大手マイ合同庁舎の駐車場だったところに建てられたプレハブの中だったが、接種は庁舎の7回なのでここまでグループごとに案内されて行く。それは非常にシステマチックに且つスムーズに行われていて、公の団体の主催する催事でこんなに手際が良いのも初めてのような気がした。

 

自衛隊さんやるなあ、などと感心しているうちに建物に入り、少し待ってエレベータに案内され、さらに医師の問診へと移りいよいよ注射となる。

ここも空いていて一人待つだけで打ってもらえた。方が日焼けしているのとロン毛という怪しい風貌からか、お医者さんにサーフィンやるんですか?と聞かれる。釣りです。と返しているうちに接種は終了。なかなか手慣れたお医者さんだ。こちらの緊張をうまくほぐす。

接種後の注意を聞きあとは二度目の接種の予約をすればおしまい。なのだが、ここは少々時間がかかるので椅子にかけて四人ほど待たされた。

自分の番に回ってきて次の接種美を予約しようとしたら最速で7月8日の夜だと言われた。

小笠原に行くという事情を話すと係りの方も少し困った顔をした。

 

ここ東京会場で使用されているモデルナ社のワクチンは一度目の接種から四週間空けて二度目の接種になるらしい。

三週間と報道されていたのは最短で、という意味で効果的な接種は四週間なのでそう設定されており、すでに僕が小笠原に出かける当日の夕方まで予約は埋まっていた。

 

システム上その場でキャンセルを探してその隙間に入れることができないらしいので、とりあえず仮の予約を取り後日電話で変更の手続きを、と促されたのでそうした。というかそうするしか方法はなかった。

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こうして二度目の予約も取れてほぼ一時間弱ほどですべてが終わり外に出る。

ワクチンを打ったからといってすぐに効果が現れるわけではない。体内に交代ができるまでは少なくとも三週間はかかるのであるが、なんだかこの一年間どんよりと見えていた世の中の風景が少し霞が取れて空気が澄んでいったような錯覚を覚えた。

 

政府、地方自治体にはさらにワクチン接種の加速を願いたい。

現状では早い者勝ち、というワクチン接種差別が起こっている。

横浜市の予約ではPC予約ではマイクロソフトはエッジしか使えないのでIEを使ってる人はPC予約ができない。

スマホもPCもないお年寄りは電話しか手立てがない。持っていても使いこなせなければ無理、使えたにしても散々待たされたあげく満員というひどい状態である。

釣り仲間の一人は仕事の関係でワクチン接種を待ちきれずにわざわざそのためだけにニューヨークまで行ってきた者もいる。

 

予約の方法、接種場所の拡大など、若者、弱者にも配慮した対策を願いたいと思うのであった。

 

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2021年2月 9日 (火)

ダイエットしたら血圧が下がった!

2年前の年末に胆嚢の摘出手術をして以来体重がじわじわ増えて去年の7キロくらいまで達してしまった。

手術と体重増加の因果関係については、主治医は関係ないというのでなんとも言えないのだが、ともかくその頃からじわじわ2年近くかかって太ってしまったのだ。

一昨年の春くらいからなんとなく気になり始めていたのが、昨年のコロナ自粛でさらに運動不足になったので、ウォーキングなどもしたのですが効果はなくますますぽっこりお腹になってしまった。

お腹はぽっこりは夏場のTシャツを着たときに大変かっこ悪いし、通っているスイミングクラブでもなんだか鏡に映る自分の姿を見るのが忍びない。

ダイエットを決意したのは、上着を着ているにも関わらず魚を持って馬鹿面している釣りの写真ですら目が突き出たお腹に行ってしまった事と、釣りの最中に腰に締めるライフジャケットやファイティングベルトがきついしズレるしで不快なことから本気でやることにした。

作戦的には、まず日常生活の見直し。

一番は食生活の見直しですね。当たり前のことなんですがまずこれから始めた。

太った原因と思われるのは。

① 食べ過ぎ

② 間食

③ 油こいものの摂りすぎ

④ 飲酒

⑤ 運動不足

う〜ん、こうして整理して見るとこれで太らないはずがない。

そこで、決めたのが

1.腹八分にする

2.間食は我慢してどうしても辛い時は水を飲む

3.ラーメン、豚バラ肉、揚げ物をなるべく食べない

4.これはどうしても我慢できないので、適度な飲酒にする。

5.日常的にしているスイミングに加えてスクワット50回、腹筋30回を加える。

ということを決めて始めてみました。

開始したのは11月の半ば頃から。

最初はそうすぐに効果は出ないので一月くらいは我慢かな?と思っていたら思いの外早く効果が出て、二週間くらいで1キロ減った。

これが励みとなり、12月の釣り遠征の際もお菓子などの間食は一切食べなかったのと、年末年始の暴飲暴食をひかえて、正月の雑煮もお餅一つで乗り切ると、正月明けには3キロ減を達成。

ひとつ山を越えた感じがしたので、その後も感触のおせんべいなど迫りくる誘惑に時々敗退しながらも、星の数では圧倒的に我慢が勝ったこともあって、一月末までに6キロ減った。

体重の目標的にはここで十分に達成できているのだけれど、お腹の贅肉がまだ2キロくらい付いていてカッコ悪いのでそのまま続行している。

ちなみにスクワットは、毎朝コーヒーを飲むときにお湯を沸かしてから少し冷ます間の時間に必ずやる!というルーティン化をしたのが成功してすかり日常化した。

一方の腹筋は、いつやる?というのが曖昧なこともあり時々サボってしまうのだが、それでもお腹の肉をつまんでは、これではイカンと続けている。

お酒に関しては相変わらず毎日飲んでいる。焼酎ならロックでボトル一本を四日で開けるし、ワインは二日で一本飲むペースなのでほとんどセーブしていないにも関わらず、つまみをばくばく食べるのをやめたのと、食べたときにはシメのご飯や麺類は食べないことにした。

このことで、胃が小さくなったようで、一度の食事の量は今までの半分くらいに減ったかな?食べなくても満足感があるようになりました。

そんな中、ある方がダイエットしたら血圧が下がった、ということを発信なさっていたのをSNSで見たので、自分も高めになってた血圧を久しぶりに測って見たら、なんと劇的に下がっているではないか!

以下がそのグラフなのだが、

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昨年春ころの血圧は上が160前後、下が110前後と医者からも降圧剤飲む?と聞かれるほどの高血圧予備軍だったのが、昨日、今日と測ってみたら

上が110前後、下が80前後まで下がっていた。特に上の数値の変化が著しいことが一目でわかる。

降圧剤は一度飲んだら一生飲み続けなければならないと聞いていたので、飲みたくなかったのがこの結果で全くお世話になる必要がなくなったのを知り大変嬉しい。

 

ということで、ダイエットを始めてまる3ヶ月経とうとしている今、とても健康になってきたので、このままこの生活を続けて、コロナが収まって自由に外出できる頃には引き締まった体型でみなさんにお会いできることを目標にしている今日この頃です。

 

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2019年1月12日 (土)

クリスマスイブだというのに!

それはクリスマスイブイブ(12月23日ね)の未明のことでありました。

午前1時を回ったあたりか?突然のお腹の痛みで目が覚めた。それも今まで経験したことの無い場所がねじれるような感じで痛む。平面的には胃の上部のあたりなのだけれど、胃よりも表皮に近い場所が痛む。すぐにピンときたんです。「ああ、胆石がとうとう暴れだしたな」と。

数年前から毎年行っている人間ドックでエコーをするたびに胆石がありますね、と言われていたのであります。それも最初は一つだったと思うんですが昨年夏に検査した時には立派に大きくなった胆石が三つも胆嚢の中に鎮座しているのが見られた。

「これは放置しておいていいんですか?」僕。「痛くなったらすぐに手術してください」と医者。この一言が脳裏に刻まれていたので、夜中にお腹が痛くなった時にすぐに、胆石、手術、摘出、という言葉が浮かんできた。

すぐにカミさんを起こして救急車を呼んでもらう。
救急車の人にも胆石です、とはっきり言ったような気がする。運悪く我が家から歩いて数分のところにある救急病院型の患者の対応で手一杯だったため、少々遠い車で20分ほどの病院に搬送された。

「胆石です。」というとすぐにレントゲン、CT、血液検査をされ間違いなく胆石だということになった。
ところがお医者さんときたら、「落ち着いたらまた明日外来で来られますか?」みたいなことを言うので、「痛くて無理無理、このまま入院させてくださいな」と懇願しそのまま入院ということになった。

すぐに点滴を施され、病室に運ばれて一晩痛みと闘う。「う〜ん」「う〜ん」と唸るように声を出して一晩耐えた。同じ病室にいた患者さんごめんなさい、さぞやうるさかっただろうと自覚しております。
朝になったら看護士さんが痛み止めをくれて、これが聞いて少し楽になった。
けれどこれも時間が経つと再び痛くなってくる。再びレントゲン、CT、血液検査をする。その他は一日モウロウとしながらベッドで痛みと闘う。腹をぐ〜っと押さえつけられるような痛みが反復して襲いかかる。

この日の夜は最悪だった。昨晩よりも痛みは強くなり、一晩中唸りながら長い夜を過ごした。
思えば12月に入ったあたりから体調が悪く、いや、もっと遡ると9月くらいからおかしかった。すぐに疲れてだるくなったり頭痛がひどく出たり、11月には近所の内科の先生に相談して血液検査をした結果γGTPの値が上がっており、これがだるい原因だろうという話になったのだけれど、なぜγGTPが上がったのかまでは原因究明ができないまま12月になり、12月はほとんどの日を寝てはおきを繰り返す病人のような生活をしていたのでありました。どうやらその原因がこの胆石だったらしい。

日が明けてクリスマスイブの朝、またまた血液検査をしたところ炎症の反応が上がっているということでやっとこさ手術をすることが決まる。家族も呼んで同意書やら担当医師や麻酔医の説明やらを書かされたり聞かされたり。ヒゲの手術の邪魔なので全部そらされた。
お医者さんからの説明では最悪の事態も説明された上で同意書にサインする。インフォームドコンセントが進んでいまは手術というと必ず最悪の話をすることになっているのだろうが、手術される身としては、「大丈夫です、任せてください」ときっぱり言ってもらった方がココロは安まる。

手術前に初めて造影剤を使うCT手術を体験した。
この造影剤の注射針が太くて痛い!久しぶりに痛い注射をされた、子供の頃の学校での予防接種の注射はこのくらい針が太かったのではないかと思い出す懐かしい痛さ。
造影剤を打つと体の中からぐわっと急激に体が熱くなる嫌な感覚。

午後の一時から手術です、ということになり生まれて初めての手術となる。
恐怖感はなかった、早いところ取っちまってくれい!という感じ。手術は腹腔鏡で行い、途中腹腔鏡では困難と判断したら開腹手術に切り替えるとのこと。

手術室に運ばれるとさすがに少し緊張した、初めて生で見る世界。なんだか映画かドラマのセットに自分がいるような感覚になる。テキパキと手術の準備をする看護師さんがとても可愛かったので(マスクで目しか見えなかったけれど)ずっと目で追っていたらいつの間にか麻酔が効いて意識がなくなる。
気がついたら病室にいてカミさんが覗き込んでいた。

ああ、手術術は無事におわったのだとまだ麻酔が効いて朦朧としながらも思った。
腹が数カ所痛む。今度は傷の痛みでそれほどでもないが痛い。動こうとしたらこれが強烈に痛み、ああ、切ったのだ、と実感する。

カミさんが容器に入った胆石を手渡してくれた。
不二家のミルキーくらいの大きさのものが3個入っていてコロコロ音がした。

この日の夜は薬が効いたのだろう良く眠れた、しかし色々な夢を見る。中には幻覚を見ているのではないかと思うほど生々しい夢もあった。動こうとすると左手には点滴が右の腰あたりから体液を排出するパイプが出ていてチンポコには尿管が刺さっているので動けないし動けば動いたで傷口が痛む。

朝まで何度か目を覚ましたけれど良く眠れた。

ここ数年気にしていた胆石がなくなったのでホッとしたけれども痛みを伴うひどいクリスマスイブだった。本人がそう思うのだからとばっちりを受けた家族は散々だったろう。

それでも結果的にはいいタイミングで胆石が痛くなってくれたというもの。もしこれが釣り遠征中の船の上でどこかの離島だったら、などと考えたらたまったものではない。釣り仲間には迷惑をかけただろうし、離島に大きな病院はなかっただろうし、そういう意味ではとてもラッキーな結果なのでありました。

2018年7月21日 (土)

人間ドックにいく

毎年この時期に人間ドックを受けています。

行く前は憂鬱だったんですよ。胃の内視鏡が。
なぜか鼻をカメラが通るときに痛かった印象が強烈に残っていて、それが嫌だった。
当日、気が進まない中、横浜みなとみらい地区にある某クリニックに出かけてきました。

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朝9時に受付で最初は簡単な問診でこれまでの病歴などの確認や本日の検査内容の確認などをしてから身長体重などの身体検査へと進んでいきます。

ここの病院は若い女性ばかりの病院、しかも綺麗な人が多い、ので検査に対するストレスが無いですねえ。僕なんかすけべオヤジだから、どんどん診てください、ってなもんで、心電図だの超音波だのの検査着をまくりあげる系検査でテンションが上がってしまう。何か勘違いしてるんだな。
この日は50名程度の方がドックを受けていたようで前半の検査は混雑気味で少々待たされましたがオプションの胃の内視鏡は毎年待たされるのにこの日はいくらも待たずに順番が来ました。

僕の場合、学生時代の暴飲がたたって十二指腸がヘルニアを起こしてしまっているので、バリウム検査をすると必ず内視鏡検査に回されてしまうことがずいぶん前に分かってからは、胃のレントゲンをスルーしていきなり内視鏡を受けてしまうことにしたんです。

最近の内視鏡検査は検査前の麻酔の準備が入念で、胃内を綺麗にする薬を飲んだ後鼻の穴に麻酔を吹きかけられ、少し時間を置いたら、さらに麻酔のついたカメラと同じ径の長い棒を入れられるんですね。この時、鼻の一部を通過するときに一瞬痛烈な痛みがあったものの通り過ぎてしまったらどおってことなく、鼻の穴から数センチ棒が出たままで10分ほどの放置プレイ。これのおかげで本番の内視鏡を入れられる時がすごく楽になったことが後で分かりました。

さて、いよいよその内視鏡本番。鼻から棒が出たまま間抜けな姿で部屋を出て歩き、廊下の向かいにある検査室に通された。

検査の椅子に座らされてリクライニングが倒れると鼻の穴に入っていた棒を引き抜かれる。この時は既に麻酔がしっかり効いていたようで何の痛みも感じることなくするりと出てきた。
すぐさま内視鏡を入れられたのですが、来る前に憂鬱になっていた鼻の痛みなどは全く無く杞憂であった。

するりと何のストレスもなく、いつの間にかカメラは食道まで入っちゃっていました、という感じ。モニターを見てくださいと言われ先生と一緒にモニターを見ながら検査が進んでいく。

この日の担当医は実に上手で痛みもなく悪いところを丁寧に説明してくださり実に良かった。昔はカメラを口から入れられて、喉を通過する際にウゲゲ‼︎!‼︎ってなったのに、今は鼻からスルッと入っちゃうんだから、胃の内視鏡は怖いと思っていらっしゃるみなさん、そんなに心配はないですよ。ただし受信する医者の機材や腕にもよりますけどね。

検査を受けていて内視鏡検査の進化に驚くばかり。とにかくカメラの小型化と高精細化で検査自体も楽になったし、検査結果の画像も実に鮮明で素人目にもよく分かりやすい。

僕は逆流性食道炎というのにずいぶん前からなっていて、この日もそれを指摘され、放置しておくと悪い病気になるからと治療することを勧められました。そのほかは胃の内部は綺麗ですねえ、などと言われたけれど、モニターに映る胃の内壁はホルモンみたいで、綺麗とか汚いとかよくわからない。見ていたらホルモンを食べたくなってしまった僕は異常なんだろうか?

そのほかには食道内に白っぽくなっているところがあり、これは体の免疫が落ちているとできるものらしく、風邪をひいていますか?と聞かれたけれど何も悪くはない。でもいま、免疫落ちているんだってわかったのでそれでいいか。

という感じで大きな問題もなく検査は全て終わり最後にその日に分かった内容の診断を医者から受けた。
この時のお医者さんだけはおじいさんのお医者さんで、少々がっかりしつつ聴診器を当てられて診ていただきました。

総合的には逆流性食道炎と胆石がある以外は特に異常なし、とのこと。
胆石はいつ暴れるか分からない爆弾のようなものなので少々気になるけど逆流性食道炎はちゃんと内科医にかかれば治るというのでホッと一安心の人間ドックでありました。


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2014年3月26日 (水)

とうとうやってしまったギックリ腰@HOME

人生を変えるような大きな出会いは突然やってくるものです。

と前々前回書き出して新たなる世界を広げてくれる可能性を持った釣具屋さんとの出会いを本ブログに書きましたが。今回も別な意味で人生を変えるような大きな出会いが突然やってきました。
それは土曜の朝、迫り来る燃えるゴミの収集時間に間に合わせるべく家中の燃えるごみを大きなゴミ箱に集めていた時です。ごみ箱の蓋を取りか紙切れ二三枚を捨てるべく体を左側にひねった瞬間!なにやらこれまでの経験の無い骨と筋肉がぎゅるん!といった感じでねじれ激痛が全身に走りました。反射的に身を元に戻してみたものの、そこから自由に動くことができないじゃあないですかあ!中腰になったまま背筋を伸ばして立ったまま。

これか!ギックリ腰というやつは!
とうとうやってしまった。
ギックリ腰人生のはじまりかあ!
もうデカ・マグロどころじゃあない!
スキーだってできなくなるの?
そう思うと暗澹たる思いが去来してくるじゃあありませんか!
みんなここから動けなくなって何もできなくなり救急車を呼ぶ、という話をこれまで幾度も聞いていたので、そおっと身体の向きを変えようとしたら、グギグギと痛む。

あわてて元の体制に戻して、そのままそこにつっ立ていても仕方ないので恐る恐る動いてみたら、少しずつなら何とか動ける。腰をかがめたり、上半身を前かがみにすることはできないけれど足で向きを変えれば恐る恐る移動することもできる。

家の中には誰もいない。

仕方ないのでゴミ出しを何とか身体ををごまかしながら済ませてみたものの、横になってしまうと二度と起きられないような気がしたので、椅子に座ってしばし休憩。


この日は、午後から大学ジャズ研時代の仲間が集まりジャム・セッションをやる日。
数十年ぶりに会う人などもいて楽しみにしていたのに全ておじゃんです。
腰が痛いのよりこちらの方が悲しい。
何とかならないものかと思案するも身体かいうこと聞かないんじゃあ、と諦めました。

さあてこの先どうしたものか?
一人で医者にも行けないし、とりあえず安静が第一と聞いていたからマンボウチェアにそっと座ってPCを起動しギックリ腰についてネットで調べてみました。

安静にすること、鍼がどうやら効くらしい、コルセットが有効など書かれているのを見つつ、これだけの作業をなんだかんだ言ってやっていつんだからこのギックリ腰は比較的軽症らしいということも分かってまいりました。

体調も悪かったんですよ、三日前から風邪ひいていたのにやらなきゃならんことが幾つかあって風邪薬を大量に飲んでごまかしていたんです。

とりあえず安静にという事で横になり夕方まで過ごし、事態は何も変わらないので動くことにしました。

この手の治療に非常によく聞く治療師さんを知っていたのを思い出したのです。
かみさんが帰るのを待って運転してもらい出かけました。

治療台に向かう時のへっぴり腰を見て、治療師さんもすぐに分かったらしく、丁寧に時間をかけて手でマッサージしたり、足でふんづけたリしながら全身くまなくやってもらったら、寝返りを打つのも少し楽になり少し安心して帰宅。

翌日は、何とかひとりで起き上がることも出来るまでに回復。
翌々日は自らの運転で歯医者さんにいけるようになり、
さらに翌日は朝もするりと起き上がり犬の散歩に行けるまでの回復。
この日二度目の治療に行ったら、診療台への上り下りも寝返りも普通にできるまで回復していました。

このまま順調に行けば、復活の日もそう遠くないはず。

何とか、デカ・マグロも来シーズンのスキーも間に合いそう。
でも油断はできないなあ。
        
    


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