開演時間を十五分過ぎたあたりになると雑然とした雰囲気もやや収まり、そろそろかな、という観客の雰囲気がドーム内の気圧を上げているような感じさえして来ました。
流れていたDJミックスの曲が「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の終わりのオーケストラが低い音から2オクターブ上がってゆく、あの怪しい緊張感から登場感を演出し最後の「ジャ〜ン!」と決まったところで照明が一気に変わり大スクリーンにポールのベースが映し出されたと思うと、その背景に閃光が放射線状に広がり、画面全体が光光切ったところでポールの登場。
はるかかなたのステージに現れた男がプロジェクターいっぱいに大写しになると、間違いなくそれはポールその人でした。一瞬にして会場は総立ち。ジャーン!というギターの音と主に勢いよく始まったのは初期のビートルズナンバー、音が出た瞬間、僕の目から涙が溢れ出た。
何を演奏したのか曲名も覚えていない。全身に走る電気のような震え。ああ、まさしくそこにはビートルズがいた。気がつけば大声で一緒に歌っている。会場全体、おそらくほとんどの人が歌っている。東京ドームは本人生演奏の巨大なカラオケボックスとなる。なんという一体感。こんなにたくさんの人が打ち合わせもしていないのにステージに向かって手を打ちリズムをとりながら大声で声を合わせて歌っている。
一曲目が終わり二曲めはビートルズ解散後のポールのナンバーで僕の知らない曲。
するとさっきまで出ていた涙は引っ込み、ああこんな曲あったっけ、という感覚になる。
改めて僕はポール・マッカートニーの音楽を聴きに来たのではなくビートルズを聴きに来たのだと実感する。それは僕以外の多くの年配のファンも同じだったようで、先ほどの観客の圧力で張り裂けそうだったドームのテンションも少し下がった感じがした。
そして、再びビートルズナンバーを演奏すると爆発的なパワーが観客席に炸裂する。
という流れでライブは進む。
ポールの作る曲は、特にビートルズ時代の曲は短く、二分半から三分くらいなのでどんどん曲歌いステージは進んでいく。
前半は比較的最近の曲を中心にした構成だったので、僕はテンションが上がったり下がったりと激しく精神的に揺さぶられたので少々疲れた。
早くも座り込んでしまってるお年寄りの姿も見られた。
一方で若きポールファンたちも多く、彼らはおそらく自身の青春時代を解散後のポールの音楽とともにリアルタイムで体験して来たファンなのだろう。
僕の二つ隣の席の若者(と言ってもいいおっさんだが)は全ての曲を歌っていた。
世代によりポールファンの思いは様々なんだなあということを実感し、そういう若いポールファンがたくさんいることも嬉しく感じた。
ポールファンといえば釣りの遠征でいつもご一緒するジギング王も自他認めるポールファンだ。なんでもポールの来日時は東京での全公演を奥様と二人で見に行くらしい。ということは今日もこの広い会場のどこかにいるはずだ。釣り以外で彼と時間を共有するのは初めてだが顔を確認しあったわけでもないので特別な思いはない。
とにかく、単純に年配ビートルズファンの懐古的コンサートではなく、多くの現役ポールファンたちがコンサート全体を心から楽しんでいることが強く感じられた。
僕にとってはもう四十年前にポールマッカートニーの音楽というものは過去のものになってしまっており、ビートルズ以降のレコードやCDで持っているのは何年か前に発売されたポールの歌うジャズ・スタンダード集のみで、そのCDも3回も聞いていない気がする。僕にとってのポールは「ジェット」あたりまでかな。
今日、ここに集まったファンたちが僕と同じように過去のポール体験を懐古しにきている人たちばかりなのかと思ったら、そうではなかったことが僕には嬉しかった。
ステージの上のポールは正直言って三日目の最終公演ということや寄る年波に勝てず声は往年の艶はなく枯れかけていたけれど、高域までしっかり声が出ているのには感心させられた。
サイドのメンバーも手練れのミュージシャンを集めたのであろう。
ギター二人は上手く、一人はポールがギターを弾く時にはベースに持ち帰る器用さ。
リードギターは曲によりギターを使い分け、六台目くらいまで取り替えるのを数えていたけれど面倒になりやめた。
キーボードは今のライブには欠かせない楽器であろう。
かつてスタジオに何日間も篭りきって多重録音を重ねて作り出したサウンドをいとも簡単にシンセで再現してくれる。
そういう意味でもこのシンセ技術が確立して初めてビートルズナンバーをステージで再現できるようになったと言っても良いだろう。
太めのドラムのおっさんはパワフルかつタイトなリズムでサウンドの根っこをしっかり支えていた。
全員コーラスができるメンバーを選んだのだろう、ジョンやジョージ、リンゴのハーモニーパートを見事に再現してくれる。
コーラスといえば観客もコーラス部分では思い思いのハーモニー・パートをしっかり歌うのでサウンドは分厚く、もし巨大なゴスペル協会があったならこんな雰囲気になるのではないかと思われた。
僕も含めほとんどの観客はポール本人が参加している世界最高のビートルズのコピーバンドをバックに生カラオケを体現しているようなものだ。
なんという贅沢なカラオケだろう。
僕自身、中学時代にはカセットテープで聴いていた遠いイギリスという国のスーパースターの歌を、本人のバックコーラスになって一緒に歌うなんて夢にも思っていなかった。それだけでも感動ものなのである。
ポールが何を演奏したのかは断片的にしか覚えていない、初期ビートルズの曲が多かったのは前半、ステージが進むにつれてライブ活動を休止しスタジオに篭って作り上げた曲のサウンドを次々と再現してくれた。
曲によっては、僕の中にあった青春の記憶が蘇り一緒にビートルズを聴いた友人の顔を思い出したりもした。
懐古主義そのものなのだけれど、それでいいのだ。
僕はポールに新しいサウンドを求めていないのだから。
実は、僕は昔カラオケビデオのディレクターという仕事をしていた時期があり、「ビートルズのカラオケを作る」という企画を聴いた時には真っ先に手を上げて立候補し低予算ながらカメラマンと二人だけで制作費を握りしめて二週間ほどイギリスをロケした経験がある。
ビートルズの曲を作るのだから当然リバプールの街も訪れ、彼らにまつわる場所はすべてといいくらい回って撮影したのだ。
そんなことから自分の作ったカラオケの曲が演奏されるとその時の撮影の苦労や様々な思い出も去来し、一層涙が止まらなくなる。
僕はこのコンサートで自分の中のビートルズの総決算をしに来たのかもしれない。
瞬く間に二時間近くが経過して、ヘイ・ジュードでは主催側の用意したブルーに光るペンライトを観客全員が左右に振りながらの大合唱。波のように揺れる青いペンライトが神秘的で美しい。数万人いるのであろう会場全体の一体感。やはりビートルズナンバーの方が格段と盛り上がる。
本番最後の曲がなんだったのかも忘れてしまった。
メンバー全員が舞台前に揃って挨拶をし舞台袖に消えた後も拍手は鳴り止まないのは当然に思えた。
しばらくしてアコースティック・ギターを手に舞台に現れたポール。
この時会場全体がもう次の曲が何なのかがわかっていた。
まだ歌っていない「イエスタデイ」だ。
これを聴いたらもう満足。十分堪能させてくれた。いいコンサートだったと心の中では帰る準備をしていたのだったがポールは片言の日本語で「もっと聞きたい?」と声をかけてくれ、会場はさらに盛り上がる。
ここから怒涛のアンコール。
一番驚いたのはアルバム「サージェント・パッパーズ」のA面最後の曲「ミスター・カイト」(長いので省略)を生で演奏して見せられたことか。僕自身、このアルバムの中で一番好きな曲だ。
ビートルズ時代に一番手の込んだアルバムの中のさらに最も手の込んだアレンジの曲をステージで再現させるには今の技術だけでは済まされないスタッフの用意周到な仕込みの努力があったのだろう。
このステージにかけるコンサート・スタッフ全員の意気込みのようなものを感じた。
続けてサージェント・ペッパーズのショートバージョンを観客全員で合唱したりして
ビートルズ・ナンバーを立て続けに五曲ほど演奏し、まるで第二部が始まったのかと思うほどの豪華なアンコール。
途中、観客をステージに上げてポールが直接インタビューするなどファンへのサービスもしっかりやるところは抜け目ない。ステージに上がった数人の女性がポールとハグした時には客席からため息とも叫びともつかない声が上がった。
最後の最後はアルバム「アビーロード」からのメドレーを「ゴールデンスランバー」から「ジ・エンド」まで一気に突っ走りおよそ二時間半に渡るステージは終わった。
十年後の自分は今日のポールのように元気に動き回れることはできるのだろうか?
僕も含め会場に訪れた多くの後期高齢者予備軍の観客はそう思ったに違いない。
ポールの歌だけでなくそのパフォーマンスに励まされた年寄りもたくさんいたに違いない。
来年、またポールが来日公演をするかどうかは知らないけれど、本当に生きているうちに彼を見ることができて嬉しかった。
帰り道、一緒に見ていたカミさんが言った「まさかポールを見られるとは夢にも思っていなかった」という一言が僕の気持ちを全て代弁してくれた。
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