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カテゴリー「バイクツーリング」の記事

2025年1月 3日 (金)

夏の北海道ツーリングをして思った事

6月末から7月初旬までの12日間の北海道バイクツーリングをして思った事感じたことなどをつらつら書きたいと思います。

 

まずは服装です。

僕は下は皮のパンツで上は3シーズン用のライダージャケット、その下はTシャツでした。

Tシャツは長袖と半袖を用意し、寒い時用に薄手のフリースを一枚持って行きましたが、一番寒かった雨のオホーツク海沿岸の時でもこれでしのげました。

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パンツは皮だとバイクから降りた時の動きが少し不自由になるしかさ張るので次回は防水ジーンズというのを試してみたいと思います。

ジャケットも晴れると結構暑かったのですが、まあなんとか耐えられたし、寒い方が体に良くないので、朝昼の寒暖の差を考えるとこれでよかったのかなと思います。

長袖のシャツ、フリース、雨具は必須ですね。雨の中10度くらいまで下がったのですがこれで凌げました。

夏だから、といっても北海道は雨で北風が吹くとかなり寒く冷えます。この辺は万全の対策が必要ですね。

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着替えは3〜4日分の下着類を持ってゆき途中で途中の根室で一度だけでした。

宿に洗濯機があったのですが、順番待ちで結構待たされました。近くにコインランドリーもあったのでそちらを利用する手もありましたね。何れにしても宿探しの時に選択設備があるか、周辺にコインランドリーがあるかなどは下調べしていくのが良いと思います。

寒いと手が悴むのでできればグリップヒーターがあると便利です。無かったら濡れても手が冷えないような雨用手袋があった方がいいかもしれません。雨で冷えるとかなり手が冷たくなります。

足元はブーツで行ったので、街を歩く時用にスニーカーを持って行きました。

 

フェリーは僕の場合は大洗から苫小牧までのそよそ20時間くらい。

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スマホで音楽を聴いてお酒を飲んで暇つぶしをしましたが、陸地に近い場所を船が走っている時以外は電波が通じませんので、オンライン系の娯楽は使えませんので要注意です。仲間と一緒ならロビーでカードゲームなどして遊ぶのもいいのかも。食事はバイキングのみで一食2000円以上したので(朝夕うセットで3000円ちょい)高いのでカップ麺やレトルト食品ですませました。これらは売店で売っていますが、売店は割と早く閉店するし朝も遅いので時間に要注意ですね。大浴場があるのでタオルは必須です。レンタルタオルも有りましたが。

船が走行中はバイクに行けないので、船室内に持ち込む荷物を忘れないように注意が必要ですね。

フェリーの上下船時には網目のスロープの真ん中にバイク用の通路がありますが、幅が狭いので意外に緊張します。

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事前に便利グッズとして他人から聞いたものでよかったのはウエットティッシュですね。

これは必須です。北海道は虫が多いので、1日走るとヘルメットもバイクも虫が潰れてひどく汚れて視界が悪くなるので、すぐに取り出して拭き取れるウエットティッシュは大変重宝しました。カウルのないネイキッドバイクだとおそらくシャケっとにも虫がたくさん潰れてつくと思いますので、その対策も必要かもしれません。

寝床用のダニよけスプレーも持って行きましたが、ビジネスホテル泊が多かったこともあり使いませんでした。

 

今回はキャンプ用品は持って行きませんでしたが、コーヒー好きなので、コヒー豆から淹れられる道具一式を持って行きました。毎朝美味しいコーヒーを飲んで体も気持ちもシャキッとできて良かったです。

汚れものや濡れものを分けて入れるビニール袋もあると便利です。

一眼レフカメラと三脚を持って行きましたが、三脚は一度も使いませんでした。じっくりシャッターチャンスを狙うような写真を撮ることがなかったのです。

持ち物についてはこんな感じかな。

 

食べ物については、僕はグルメにあまり興味がなかったのであまり参考になることは書けませんね。ウニ、イクラ、サケ、などいずれも美味しい食材が豊富な北海道ですが、最近は取れなくなってきて価格も上がり贅沢な食事になってしまう印象でした。ホッキ貝が何処にもあり美味しかったのは印象的でしたね。厚岸の生牡蠣を食べられなかったのもちょっと心残りでした。そのほか野菜や海産物なども新鮮で美味しくビジネスホテルの朝食でも十分に楽しめました。

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走行時の注意としては、北海道の道は広くてまっすぐな道が多く、他の車の平均速度が速い上に郊外の道路に速度標識はほとんどありません。気がつくとついついスピードが上がってしまうので気を使いましたね。路面もツギハギで凸凹のところが多いので気を抜いて走ると危険です。

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あ、それから街場の路肩の縁石が段差が大きく幅も広いので結構気を使います。

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ツーリング中に出会うバイク乗りと取締りの情報交換などするのも大切ですね。僕が話した何人かは違反で捕まったと話していました。

 

今回絶対に避けたのは暗くなってバイクを走らせることです。夜間のバイクは事故リスクも上がりますし路面が見えにくくスピードを出すと危ない。動物も夜は活動が活発になるので、夜のライディングは避けた方が良いと思います。

僕は熊とは出会いませんでしたが、鹿には数回出会いました。大きなエゾジカは突然車道に出てきて、しかもクラクションくらいではなかなか逃げないので当たったら大変です。郊外の道にはいたるところに「シカ注意!」の看板や標識がありましたのでそれだけシカによる事故は多いのだと思います。

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一日の走行距離は体力に合わせて決めればいいのかな。僕は300キロ以下と決めて走りましたが、若くて体力があれば400キロくらい移動できるのかも。ただし長距離を走れば走るほど、ただ走るだけのツーリングになってしまいますけれど。せっかくの美しく雄大な風景を楽しまないのは勿体無いと感じます。

高速道路は本州と風景が変わらないので、よほど急ぐ時以外はオススメしません。一般道を走った方が断然風景も楽しめます。

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走るコースと宿は、あらかじめ大まかなルートを決めてあとは天気と相談しながら一日前に宿を決めて目的地を決めるというやり方をしました。ツーリングハイシーズンには少し早かったので、この方法で大体の宿は取れましたが一度だけ予約の日にちを間違えてキャンル料を無駄にした上に宿探しに焦るということもありましたが、どんな宿でも構わず選ばなければこの方式でいけると思います。

 

今回12日間で雨の日が4日ありました。時間に余裕があれば雨の日は乗らないのが理想かな。

 

ツーリング全般を通りて感じたのは、今回はバイクでひたすら走って移動しただけ、という感じがしたので次回はキャンプ道具を持って行って、もう少し気に入ったキャンプ場なのでのんびり過ごす旅もしてみたいと思いました。

 

北海道の風景は雄大であるにも関わらず一日走れば風景がガラリと変わってくれるので飽きることがありません。

これが大陸などですと、何一も同じ風景の中を走って飽きてしまうという事があるのでしょうが、そういう意味では北海道の自然の規模は理想的だと思いました。

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風景を楽しむことだけではなく、土地の人たちとの触れあいももっとしたかったですね。

アイヌの資料館で勉強できたことは僕にとって北海道を知る上で、また日本の民族事情を知る上でこの上ない良い機会でした。

これから行かれる皆さんも、ただ楽しい、だけのツーリングではなくこうした施設を訪れて勉強することも自分を豊かにしてくれるのでオススメします。

以上がツーリングしての感想です。

何かご参考になれば幸いです。

 

 

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2025年1月 2日 (木)

北海道ツーリングに初めて行った!その15 大洗フェリーターミナル〜自宅

7月9日、北海道ツーリング最終日、といっても朝起きた時には僕の乗ったフェリーはすでに太平洋上を南下していて、朝5時過ぎに目が覚めてロビーに行くと大きなガラス窓から三陸海岸が見えていた。

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船上でも一人コーヒーを淹れて飲み朝食はカップうどんで済ませた。安上がりだ。

6時になると大浴場が開いたので風呂に入りサッパリして風呂場の脱衣所の体重計に乗ったら70kgを超えていてガッカリした。やっぱり北海道で太らずに帰ることはできなかったのか、という思いだったのであります。

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ベッドでゴロゴロ音楽を聴いたりしているうちに昼になると、船内放送があり大洗港到着が30分早まって午後1時半になるとの事なので、ぼちぼち船を降りる支度をはじめる。

1時頃になると船内は早くも下船しようという人たちが動き出したのだけれど、僕は下船の合図があるまでベッドでのんびりしていた。人より早くバイクに辿り着いてもどうせ全員揃うまでは船から出られないからだ。

1時半前にフェリーが着岸したので荷物を持ってロビーまで出たらすでに下船の行列ができていたので、後ろには並ばず行列の横にある椅子に座って、行列が流れはじめるのを待った。隣にいたライダーと話をしたら5日間の北海道ツーリングの帰りだという。仕事を持っているとこのくらいの期間がやっとなんだろうなと思った。休みが昔より増えたというけれど日本人は働きすぎだよと思った。

やがて列が動き出したので最後尾について階段を降りてバイクの停めてあるフロアーに降りバイクのもとに戻った。

気が早い人はバイクの固定を外す作業中だというのにエンジンをかけていたが、密室でエンジンをかけて排気ガスを出すのはやめてほしいと思った。バイクの固定が全て外されると上階に登るためのスロープが降りてくる。僕らバイクが停めてあるのは二階のフロアでその下の一階に停めてある自動車が先に上がってきて上階の出口に出てゆくのを待ち、その次がバイクの番になっていたのでしばらく待っていたら、数台前に止まっていたBMWの1200RSというバイクに乗っていた人が僕のところにやってきて、トップケースは純正ですか?と聞かれたので、後付けの他メーカーのものですと返事をする。彼は純正の物を使っていたが今回のツーリングでサイズが小さく感じてもっと大きいのを探しているのだと話した。こういう場所でも情報交換できるのはいいなと思った。

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一回の車が全て出た次に僕らバイクと同じフロアに停まっている車から下船が始まる。車を誘導する係のお兄さんが誘導を無視して走り始めた年寄りの運転する車に危うく轢かれそうになっていた。

そんな様子を見ているとようやくバイクの順番になり合図に従ってスロープを上がって船の外に出た。

暗い船底から明るい外に出た時の開放感は良い。船を出たバイクたちが嬉しそうに走り去っていく。僕もその中の一人になって走りはじめたのだが、信号で止まった途端にキビシイ現実が待っていた。太陽の熱がジャケットを突き抜けて腕や肩に伝わってくるではないか。焼けるような暑さにこれはヤバいと感じた。横浜の自宅までここからおよそ150キロ、果たしてこの暑さに耐えられるのだろうか。

街を抜けて高速道路に入る、入り口で仲間を待っていた先ほどのBMWの人が追い抜き様にサヨウナラの挨拶してくれた。

高速に入って風を切り始めたら暑さは緩和されて少し楽になった。空も入道雲が立ってきて曇ってくれたのがありがたい。

常磐道に入ると石田のSAに入り水分をとって小休止する。こまめに水分を取らないと熱中症になりそうだった。常磐道は最高時速が時速110キロ制限になっていたが一番左の走行車線を100キロでゆっくり走った。ここまできて焦って飛ばして事故を起こしたくなかったのだ。広い北海道を走ってきた直後だったので自宅までの150キロは大した距離に感じられなかった。北海道の街を四つ分走るくらいの距離だからだ。距離感が麻痺しているというのか北海道モードになっていた。茨城県から鬼怒川を渡り千葉県へ、利根川をわたり埼玉県へ行くと東京まで50キロの看板を見たら、もうすぐそこだねという感覚だった。

三郷から外環道に入りナビに従い走る。ところが本来なら外観三郷に向かところを間違えて高速を降りてしまい、Uターンして乗り直した。

この辺りから雨がポツポツ降ってきて時折顔に当たる。外観三郷の先は長いトンネルで雨に濡れる事なく市川まで走ることができた。

ジャンクションを東京方面に曲がり市川料金所を通過したところのPAで小休止してルートの再確認をする。時常磐道から外観経由で都内を抜けるのは初めてだったので間違えないように慎重に行く。

ナビに示された自宅までの距離を見たらあと70キロほどだった。稚内から紋別に向かった時のことを思い出したらもうすぐじゃないか、と思った。暑さもここまではなんとか耐えられる暑さだったのだけれど、首都高に入ってお台場から東京港トンネルに入った途端にものすごい熱気に包まれて苦しいくらい。メーターの示す外気温は37度だった。体温より高いではないか。幸い車は流れていたので直ぐにトンネルから出ることができたので、大井のPAに入りヘルメットを外して涼んだ。

ここからの残り40キロは走り慣れた道なので間違えることもないし距離感も掴めている。もう直ぐ自宅だなと感じていた。

湾岸線を空港トンネルを抜けてつばさ橋、レインボーブリッジとゆくと常磐道からは小さく見えていた富士山が大きく正面に見えて「おかえり」と挨拶をしているように見えた。

横浜新道に入るともうほんのわずかだったが、こういうタイミングで気を緩めた事故が多いというのを思い出し気を引き締める。新道を降りて一般道に入るとすれ違うバイクがある度ヤエーをしてしまいそうになりおかしい。

午後5時16分自宅に無事到着。総走行距離は2731キロだった。鹿児島の指宿半島から稚内までの道のりにほぼ等しい距離だ。

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1日あたりの平均走行距離は300キロ以下に抑えたのが功を奏して疲れはあまりなかった。

今回のツーリングはただ走っただけのツーリングに感じたので、次回行くときにはもっと時間に余裕を持って行き先でのんびり遊んだり地元の文化に触れ合ったりしたいと感じた。

 

この日使ったお金

食費     600円

高速代  4500円くらい 

 

初めての北海道ツーリング編はこれにて終了です。

長い文章にお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。

 

 

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2025年1月 1日 (水)

北海道ツーリングに初めて行った!その14 静内〜苫小牧フェリーターミナル

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

ということで本日は元旦でありますが、記事の方は7月8日に続きます。

 

7月8日、いよいよ北海道をバイクで走るのも最終日、今日は苫小牧まで走って午後のフェリーに乗り北海道を離れるのであります。

この日も早朝4時に目が覚めてコーヒーを入れて飲み、窓から外の天気を見てみたら雨は降っていなかった。

今日は移動距離はあまりないのでのんびり走ればいいのだがどこかに寄らないと間が持たないので行き先を考えた。

静内からさほど離れていない二風谷のアイヌ民族資料館に行くことだけは事前に決めていたのだけれど、それでもまだフェリーの出船まで時間が十分があまりそうなので苫小牧を越えて有珠山から支笏湖や洞爺湖まで行って時間を潰そうかなどと考えたものの、そのコースだと300キロ以上走ることになる。色々考えて、とりあえずこの案で行きながらあとはその時の気分任せで変更して、とにかくフェリーに間に合うようにしようと決めた。

 

7時過ぎに朝食を食べにホテルの食堂に行く。バイキング形式の朝食なのだけれど北海道の美味しい食材がたくさんおかずにあってどれも美味しい。揚げナス、イカ・タコの塩辛、サラダ、目玉焼き、米もうまい。朝から食べ過ぎてしまった。今回のツーリング前からダイエットをしていて、体重を増やしなかったのだけれど、昨日の計量で体重が減っていたので最終日くらい北海道のうまいものを食べようと食べたいだけ食べた。

 

8時過ぎにホテルを出て二風谷に向かう。60キロ程度の近距離なのでのんびり海沿いを走りたかったのだが、途中ナビ通り走ったら無料の日高自動車道路がありうっかり入ってつまらない景色の見えない道を走るがまあいい。

 

日高富川インターを下りて山に向かって走ると20分ほどで上り坂になり沙流川沿いに走る道を登ると、間も無くそれほど標高のないところに二風谷ダムが現れ、その先に目的地の二風谷アイヌ民族資料館があった。

月曜日の午前中の早い時間だったせいか客は少ない。資料館と隣にある萱野茂資料館の二つの資料館があったので両方の共通券を買ってじっくり見学することにした。

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資料館の中に入ると食器などの生活用品、猟具、武器、歴史など様々な民具が展示されていて興味深い。鮭の皮から作った靴や衣装などもありアイヌの生活に鮭は必需品だったのだこと、それを捕るのを禁止しアイヌ文化を消滅させようとした日本政府のやり口は汚い。自然と共存しながら生活していた豊かな文化を否定し土人扱いをして日本人との同化をさせた歴史はほか移動を訪れ、現在の豊かな北海道を享受する我々は知っておかなければならないと感じた。僕自身もアイヌへの侵略者の、そして差別者側にいるのだという意識を持たなければならないと強く感じた。

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アイヌ民族は文字を持たなかったために明治以前の歴史的記述はなく不明なのだそうだが、言い伝えとして様々な歴史が残されてきているというので、それにも興味がわく。豊かな文化財にその歴史の深さと豊かさを感じることができた。

二つの展示館を1時間くらいかけて見学してから二風谷ダムに行く。

このダムの建設をめぐってはアイヌ民族初の国会議員であった萱野茂さんを中心に猛反対があった歴史を僕も知っている。治水を理由に政府が強行して作ったダムなのだが、ただのコンクリートのアーチダムと違ってとても立派な贅沢な作りのダムサイトだった。展望台からダムに溜まった湖を見るが水は濁って汚れていてガッカリしたものの魚の波紋がそこかしこにみられたので少しホッとする。


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前にも書いたが僕は不要なダムの建設には反対だ。政府は治水を理由に日本中にダムを作るがそれが日本の川、そして海まで全ての自然体系を破壊している。沙流川は時折氾濫することはあったものの鮭の登る美しい川だった。川に氾濫はつきものだ、川は氾濫することで浄化する作用もある。昔は氾濫区域には人が住まないという暗黙の了解があったのにそこに住居を建てて氾濫する川が悪いというのは間違いだと思う。

などと考えていたら、なんだか気持ちが疲れてしまって、ここから有珠山まで走る気がすっかり失せてしまった。

気分転換に苫小牧港近くの美味しくて有名な海鮮食堂があるというので、そこに行って北海道ツーリング最後の食事は北海道三昧しようということに決めた。

苫小牧に向かって走ると、メーターの走行距離が2500キロを超えた。

 

苫小牧港のフェリーターミナルを通り越した先にあるその食堂に着いたら、予想通り長蛇の列ができている。時刻は昼ちょい過ぎで一番混む時間だから仕方ない。30メートルくらいの列の最後尾に並んで順番を待つ。フェリーの出船は夕方なのでそれまで他に予定がないので気分的には余裕があり並んでいる人間観察などしていた。食堂はもともと港の関係者用に作られたものらしく、関係者優先、という看板も立っていた。

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この店は10人ずつくらいまとめて店に入れて食事をさせるシステムで客の回転は悪い。待ちながら何を食べようか色々考えていると、周りの人もグループなどではあれが美味しい、これも美味しいなどと囁いているのが聞こえて参考になる。どうやら一番の名物は海鮮丼とホッキカレーらしくそのどちらかにしようと悩んだが、海鮮丼なら自分で釣った新鮮な魚をしょっちゅう食べているから他では食べられないであろうホッキカレーを食べることにした。

昨夜もカレーだったのに、カレーが好きなのだ。

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1時間ほど忍耐強く待っていたらようやく自分の順番が回ってきた。時は店の閉店時間の午後2時を回っていたが中に入れてくれた。カウンターの席に案内されて前を見たらトッピングのカツ、メンチカツ、魚のツクネ、ホタテを揚げたものなどが並んでいるではないか。こういうのに僕は弱い、何かしら手を出したくなるのだ。カツカレーはウトロで食べたし、ホタテの唐揚げもオロロンで食べたからメンチカツを選んでトッピングした。

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カウンターの中の作業を見ていたらどうやら注文があってからホッキカレーを作っているようだった。煮込んだカレーのルーに切り刻んである大量のホッキ貝の身を両手で山盛りにしてドサっと気前よく鍋にぶちまけているその姿に感動する。

それを少し火を通してホッキカレーとなりでてくる訳だが、出てきたカレーは大盛りで嬉しい。旅先ではよくカレーを食べるが空港などで食べるものにはルートご飯の比率を誤っているものも多く非常に不快な思いをさせられることがままあるのであるが、ここのカレーは完璧だった。

早速食べてみるとホッキ貝の身は柔らかくヌルッとした食感で味は甘い。この甘さにははじめ違和感を感じたがよく噛むとルーの辛さと絶妙のバランスに変化して行き大変美味しい。トッピングのメンチカツもボリューム満点でサクサクと美味しくたまらない。

このメンチカツ、カウンターの上に置かれていた時にはハエがブンブン飛び回って時折たかったりしていたのだけれど、美味しさにそのような些細なことは気にならなくなってしまった。

 

ペロリと食べてしまってカレーが1200円にメンチカツ180円、しめて1380円也。

満足して店を出たらもう客は並んでおらず、店の入り口もしまっていた。

 

店から苫小牧フェリーターミナルまではすぐそこの距離で3時前に着く。

乗船開始は湯型5時だというのにもうすでに20台くらいのバイクが駐車してあった。

乗船手続きをしにビルに入ると3時半に手続き開始、と書かれていたのでしばらくの間座って体を休める。少しウツラウツラしてうたた寝してから階下の受付に行ったらすでに50人くらいの人が並んでいて手続きも始まっていた。

受付窓口は三つしかなくその内の一人の係員は研修生らしく手際が悪いのでなかなか列が進んでいかない。随分待たされて4時過ぎにようやく手続きが終わった。売店に行き夕食のおにぎりとジュースを買い込んで5時の乗船開始を待つ。


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5時ちょっと前に館内アナウンスがあり、乗船客は車のところに行くように言われたのでバイクに向かった。周りのバイクは50台くらいに増えていてくる時と同じくらいの数になっていた。バイクがたくさん集まっている風景というのは独特の雰囲気があり少しコーフンする。

やがてあまり待たされることなく乗船の合図があり、指示に従って一台ずつ乗船して行く。

 

フェリーにバイクを止めてすぐに客室に向かうとまだガラガラだったので、他の客が来る前にと風呂に向かった。このフェリーは大浴場があるのがいい。風呂に入ったらもう既に先客が数人いたので意外だった。フェリーに乗り慣れた人たちはみんなこうするのだろうか、とにかくまず汗を流して体を温めて後はのんびりする、というのが正しいやり方らしい。

風呂から出たら当然サッポロクラッシックを飲む。

飲み終えたらバイクに忘れ物をしてきたことに気づいて戻ったらまだ乗用車の乗船をしていた。

6時過ぎにおにぎりを食べて夕食終了。そのままうたた寝して8時過ぎに起きて売店に行き日本酒とカップうどんを買って部屋で酒飲んで9時頃には寝てしまった。

船が走り出したことも気づかなかった。疲れていたのかな。

明日の朝目が覚めたらもう太平洋上を航行しているだろう。北海道は晴れるとそこそこ暑かったけれど関東に帰ったら熱波地獄が待ち受けているのかと思うと、果たして大洗の港から横浜まで熱中症にならずに無事帰れるのであろうか?と心配になった。

 

この日に使ったお金

二風谷資料館入館料  700円

飲み物        180円

ホッキカレー&メンチ 1380円

おにぎり&飲み物   500円くらい

缶ビール       340円

カップ酒・ツマミ   840円

 

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2024年12月31日 (火)

北海道ツーリングに初めて行った!その13 帯広〜静内

7月7日日曜日、今日は七夕だ。

七夕だというのに北海道の帯広市内は朝から雨だった。

今日は雨の予報だったのでどこを走るか決めていない。天気予報を見て少しでも天野少なそうな場所を選びながら走るコースと目的地を決めるという作戦だ。

 

早朝四時に起きてコーヒーを飲みながら一人で作戦を練る。

雨雲レーダーなどをみると襟裳岬方面が昼過ぎには雨が上がりそうな気配なので、帯広から南下して襟裳岬を右に回り込み適当な街で宿泊しようと宿を探すと、静内の街に比較的安いホテルが空いていたのでここを予約する。

スマホで予約できるので便利な時代になったものだ。

 

午前8時過ぎにホテルを出た時には雨は降っていなかったのだけれど、帯広市街を抜けるあたりから降り始めた。もはや多少の雨くらいではびくともしないくらい雨には慣れていたものの路面が滑るのでバイク旅での雨は要注意なのであります。

 

帯広市内を南下し抜けると田園風景が広がる。雨の畑の風景も良い。スマホのナビは高速道路に入るように指示するが無視して一般道を走った。

途中道の駅でトイレ休憩しながら広尾まで走ると海が現れた。太平洋との再会になんだか感動した。広尾から海沿いの道に出ると道の駅もなく、右手は崖、左手は海、人も住む場所がないような風景が続く。海にはサーファーが何人かいてサーフィンを楽しんでいた。

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しばらく行くと長いトンネルをいくつか通った。トンネルの中はヒンヤリとしていて気温が17度まで下がりバイクのカウル、ヘルメット、バックミラーが全て結露して視界がなくなり焦る。まずはヘルメットを手で拭い、次にバックミラーを拭いた。時折対向車が現れるくらいの車の量ではあったものの路面状況も気になり緊張して走った。トンネルを出ると気温は23度あり、温まったヘルメット、バイクで再びトンネルに入ると結露する、というのを繰り返しストレスがマックスになる。

これらのトンネルを全て抜け切ったあたりの左手の海岸に出っ張った展望台と駐車場があったのでバイクを停めて写真を撮った。

襟裳岬方面から走ってきて駐車場に入ってきたライダーがいたので、この先の道の状況などを聞いて情報交換した。襟裳岬はガスっていて何も見えない、と彼は言っていた。いつの間にか雨は上がっていた。

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そこから30分ほど走ると「襟裳岬」の看板があったので左に曲がると狭い私道のような道になり車が来たらすれ違うのがやっとくらいになり焦ったが、幸い車は走って来ず、どんどん寂しい風景になっていくではないか。道を間違えたかしら、確か45年前に来た襟裳岬は大きな駐車場があってレストランもあったはず、と不安になってきたがそのまま進むと岬の先端の一軒家が佇んでいるだけの場所に出て、そこに車が2台停めるのがやっとくらいの駐車場がありバイクが一台停まっていた。

その横にバイクを停めて、閃光のバイクの人と一緒に歩き岬の先の方に進んでいくと、ガスがかかって50メートル先も見えないくらいだった。昔襟裳岬に僕がきた時はこんなところじゃなかった、などと話しながら進んでいくと岩でゴツゴツの岬の突端が見えた。

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その他には何も無い。仕方ないので写真を撮っていただきバイクに戻った。

走ってきた小道を戻り大きな道に出て左に曲がり岬を回り込む方向に進むと間もなく見覚えのある大きな駐車場が現れて車やバイクがたくさん停まっている、ああ、やっぱりここだ、昔と同じだ、と少しホッとして駐車場に入りバイクを停めてここから見下ろす岬の先端に向かって歩いた。

吉田拓郎、遠藤実の二つの「襟裳岬」の曲の歌碑が建っていた。

確か吉田拓郎が「襟裳の春は何も無い春です〜」という歌ったら当時の襟裳の人たちが「何もなくない!」と怒ったという話があったよなあ、と思い出しながら、そんな地元に反感を買った歌もヒットすれば歌碑になっちゃうんだね、とニヤニヤしながら歩いた。

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岬の先まで行くと灯台があ流のだがそこから先は柵がありその下はガスで何も見えなかったので、先ほど間違って行ったのがラッキーだと思えた。

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写真を何枚か鳥駐車場に戻る。時計を見るとまだ11時だったのでお昼には早いしお腹も空いていない、襟裳岬を回ったあたりに美味しいラーメン屋さんがあるよ、と昨夜北の屋台で話をした人から情報を来ていたので、一応そこでお昼にしようかと思っていたのだが早すぎたので、ラーメンは諦めて先に進むことにした。

 

雨は上がり路面も乾いて走りやすくなっている。浦河まで走ったら道の横に広い駐車スペースがあったので、ここにバイクを停めてしばらく休んだ海からの波音が心地よく気持ち良い。ホテルの朝ごはんに出たおにぎりを一つ持ってきていたのを思い出しそれを食べて昼食にしてしまった。

ここまでもう10日近く北海道を走って色々な場所を訪れているけれど、僕の旅にはグルメというのが無いなあ、と思う。普通はその土地の美味しいものを食べるのも旅の楽しみの一つと考えるし、僕自身もそれを否定するわけでは無いのだけれど、うまいもの探しがどうも煩わしい性格のようで、苦労せずに出会えれば食べる、という怠け者なのだ。

 

再び静内に向かい海岸線の道路を西北に走る。途中山から海に雲が流れ込んでいる場所があり写真は撮れなかったが感動的だった。

どんどん走っていくと静内に早く着きすぎてしまうことに気がついたので、途中の街にカフェを見つけて入りエスプレッソを飲んで休憩した。

 

そこから静内までは30分くらいで着いた。ガソリンを入れておこうとスタンドを探すのだが、道の左右にあるスタンドがどこも日曜日は休みらしく、静内の街を抜けそうなくらい先まで走ったところでようやく営業しているガソリンスタンドを見つけて入る。

セルフのスタンドで機械に五千円札を入れたら機械に詰まってしまい反応しない。困っていると店員さんが出てきて五千円札を取り出してくれたので、今度はシワのないきれいな一万円札を入れたら無事給油できた。

 

ガスを入れてホッとしてホテルに向かう。街道から少し入ったところにそのホテルはあった。

古臭いそのホテルは三階建てでエレベーターも無く、自販機のビールは450円もするし廊下はタバコのヤニ臭かったが、僕の部屋は禁煙ルームでヤニの匂いはしなかったものの少しカビ臭かったが、まあ安いから仕方ない。

時間はまだ3時半過ぎだったが4時から風呂に入れるというので部屋で少し休んでから風呂に入り疲れをとった。誰も他の客はおらずのびのびと気持ちよく風呂に浸かって雨で冷えた体を温めた。体重を測ったらこの旅に出る前より2キロ減っているではないか。いかに貧しい食べ物しか食べていないかを証明しているような体重がおかしかった。

 

着替えて身軽な格好になったところでホテルの近くのコンビニまでバイクで行き、夕食と酒を買って帰り飲んだら満腹になり寝てしまった。

7時頃に目が覚めて外の店で飲んでみたくなり、いい店はないかなと街をぶらついた。

狭い街だがいくつかスナックを探したのだが焼き鳥屋、焼肉屋さんくらいでスナックはあったものの日曜日で休みのところが多くなかなか良さそうな店に当たらない。

大通りを渡りその先にスープカレー&バーと書かれた店があったので入りカウンターに座り人を注文した。

隣の席にパソコンを見ながら酒を飲んでいるカップルがいた。カウンターの隅には競走馬の競売カタログが何冊かあり、そこには明日から競売が始まると書いてあった。

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出てきたジンを飲みながらカタログを手に取りパラパラめくってみると二千万円くらいから一億円以上するものもいるようで、僕には縁のない世界だなあ、こういう世界もあるんだあ、と初めて知る世界に感心してしまった。

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しばらくしてカウンターの中のお兄さんが話しかけてきたのでツーリング中だと話す。お兄さんは沖縄の出身で釣りもするということで話が合い盛り上がる。彼はここの街では狩猟の免許も持っていて鹿を撃つと言うのだが、夜は猟が禁止されていて昼間人のいる時間に銃を打てるような場所に鹿が出てくることは稀なのでなかなか撃てないと話した。

そんな話をしていたらカレーの香りがしてきて急に小腹が空いたので鹿肉のスープカレーを注文して食べた。

スープカレーのスープはなんだか自分でもカレー粉を使って作れそうな味だったが、具の野菜や鹿の肉は美味かった。お兄さんは横浜にもいたことがあると言うので、クラフトビールの話をしたら興味を示していた。

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そんな話をしていると8時になり、この日行われた東京都知事選の開票速報がテレビに映し出され、緑のおばさんの再選を告げたので旅で盛り上がりかけていた気分が現実位引き戻されてちょっとガッカリする。

8時半に店を出た、お兄さんに「また来てください」と言われるのを聞きながら外に出てホテルに戻り9時過ぎには寝てしまった。

 

この日に使ったお金

エスプレッソ     440円

ガソリン8.5L      1582円 

宿代         7400円

コンビニ       1000円

スープカレー・ジン 3600円

 

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2024年12月30日 (月)

北海道ツーリングに初めて行った!その12 帯広⇄美瑛・富良野

北海道バイクツーリング9日目、朝四時に目が覚めたら昨日の酒が残っていて軽い頭痛がしたけれど、コーヒーを飲んだらスッキリ治った。

今日は美瑛と富良野に行こうと思い天気予報を見ると富良野は一日中雨の予報だったが美瑛は午前中いっぱい天気は持ちそうなのでまずは美瑛に向かうことにした。

朝食は昨日と同じ系列のホテルだったのでここもおにぎりが出たので、おにぎりを四つ頂いて朝食に三つ、おやつか又はお昼用に一つに分ける。

7時過ぎに駐車場で雨具を着ていたら隣のバイクの人も出てきて、雨の中のライディングは嫌ですねえ、的な話をしてから出発する。

美瑛に向かって走り始めるとすぐに霧雨が降り始めてガッカリする。さらに間も無く本降りになって来て早くもびしょ濡れになる。スマホのナビが高速道路に誘導したのでどうしようか一瞬迷ったが雨の中は早く通過してしまいたかったので高速道路に乗った。

 

高速道路を走るのはつまらない、景色を楽しむ余裕もないし道路は北海道も本州も似たようなものなのでただ移動するだけのライディングになってしまうからだ。目指す高速の出口はトマム、ここまでの距離が意外とあった。北海道の距離感はいつもこんなで大体思ったよりも遠い。

トマムでで降りるとさらに雨は土砂降りになってきてすでに腕に雨水がしみ込んで冷たくなってきた。すこし走ったら「道の駅南ふらの」があったのでためらわずに入り雨宿りした。まだ時間は8時半頃だったので他に人も車もいない。当然店も建物もまだ開いていない。一人で雨の道の駅で途方にくれたような雰囲気で休憩した。

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少し休んだら気分転換になったので再び雨の中を出発し、堂々から離れて農道を走る。農園風景は雨の中でも美しかった。

富良野から美瑛まで、僕の頭の中では隣町くらいのイメージだったのだがいざ走ってみるとかなり離れていて、一時間くらい農園風景の中を走ってようやく美瑛町に入ると雨が上がった。天気予報通りだ。

美瑛の丘陵に広がる農園風景は美しいので有名だ。僕も30年くらい前にその風景の撮影に訪れて感動したことを覚えている。その時は景色のいい場所に案内してくれるコーディネーターがいたのだけれど、今回は自力でビューポイントを探さなければならないので、とりあえずは有名な「マイルドセブンの木」よいう場所を目指した。

街を抜けて農園地帯に入ると他の車も同じ方向に走ってゆくので、おそらくこの車もマイルドセブンを目指しているのだろうと思いながら後ろについて走るとその通りだった。道端には所々に「マイルドセブンの木➡︎」のような案内板が立っていて人気の高さを感じたと同時に昔はこんなの無かったぞ!などと思いながら走った。

遠くの丘にはパッチワークのような風景が見えて美しい。

いくつかの角を曲がりいい景色の場所があったのでバイクを停めて写真を撮りながらマイルドセブンにたどり着いたのだが、到着してビックリ!

 

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丘の上に10数本の白樺が並ぶ場所が「マイルドセブンの木」なのだがすぐ近くに大きな駐車場があり大型の観光バスが何台も停まっており大勢の人がうじゃうじゃいてその周りを歩いている。道路には交通整理のおじさんが数人いて車と人の流れをさばいているではないか。それを見ただけで嫌になりここまで来て人だかりを見ても仕方ないので駐車場を通り過ぎた先の交差点を曲がり「マイルドセブンの木」の横を歩行者に気をつけながら通り抜けてその先の人にいない畑のそばにバイクを停めて風景を楽しみながら写真を撮った。

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今でこそ美しい風景が観光地化して賑やかだが、丘陵地帯の斜面の原野を開墾してこのような畑にするまでの苦労に思いをはせると胸が熱くなった。

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バイクで移動しながら何箇所か気に入った場所で写真を撮り、最後に「ケンとメリーの木」という場所に向かう。ここもどうせ混雑しているだろうと思っていたけれど、昔撮影に来た場所なので行くだけで良いのでそこに向かう。

着いてみると案の定人だらけだったので駐車場から気を見て再訪のご挨拶をして富良野に向かうことにした途端に小雨が降って来た。

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農道から道道に入り富良野に向かう。30分くらい走ったところに「ごまそば」の看板があったのでその店に入り休憩を兼ねて昼食をとった。

天ぷらと大根おろしの乗ったそばに汁をかけて食べると美味しい。ごまそばはこの辺りの名物で確か35年毎に来た時にも、初めて北海道に来た45年前にも食べている。30分くらい店内で休んでから再び雨の中を富良野に向かって走り始めると峠を越えたあたりで雨が小降りになって来て、富良野の街に入ると雨が上がったので、ラベンダー畑に立ち寄ることにして道道から離れてラベンダーロードと地図に書かれた道を目指したら道の両側にラベンダーが植えてある場所に出たのでしばらく走る。

ところが緩い上り坂を登って降りたらラベンダーがなくなってしまい、何か物足りない。もっと咲き誇っている場所があるはず、と来た道を引き返していくと丘を戻った途中に「日の出公園」という看板があったのでそこを曲がり少し行ったら、丘全体がラベンダーで覆われた花畑が見えて来た。

ああ、ここだあ、と丘の上の駐車場まで行くと富良野の街を見下ろす丘の上に展望台があり、斜面には一面ラベンダーが咲き誇り紫色になっているではないか。これぞ僕のイメージ通りのラベンダー畑、というところにたどり着けて嬉しい上に運良く雨も上がっている。

ラベンダー畑の中には小道があり畑のすぐ横で写真を撮れるようになっていたので、良さそうな場所で何枚か写真を撮った。観光客はここも多く外国人も多かった。中国語を話す人が多く中には畑の中に入って写真を撮る人もいてこういうところのマナー感覚が中国的だなあと感じた。畑に入り込めばいい写真が撮れるのはわかっていてもやらないのが日本的な感覚なのだが、やったもん勝ち的なところが中国的だと思うのだ。

バイクに戻り丘を下り始めるといい場所があったのでラベンダー畑を背景にバイクの写真を撮ってここを離れた。

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あとは帯広に戻るだけなのだが道道の広い道をただ走るだけではつまらないので、農道を選んだナビに従いかり狩勝峠方面に向かうと、前を走る軽のワンボックスに日本中の観光地のステッカーを貼ってあった。おそらくこの車で全国をのんびり旅しているのだろう。なんだかこういう車に出くわすのも北海道らしいな、と思った。農道をゆっくり走るその車はしばらく同じ道を走っていたが、僕に道を譲ってくれたので先に峠道に向かって走った。

 

一つ峠を超えて朝立ち寄った「道の駅南ふらの」にまた入り休憩していると再び雨が降り始めたが、ここから少し走ってトマム IC入口付近を通る頃には雨が上がってホッとする。

帰りは高速に乗らずに狩勝峠を目指した。こちらの道の方が風景が楽しめて高速より良い。峠の頂上にある大きな駐車場に着くとバイクを降りて十勝平野を一望できる展望を楽しみ写真を撮った。

ここから帯広市内まであと40キロくらいまだある。北海道は広いなぁ。40キロといったら横浜の我が家から箱根くらいの距離だ。

メーターを見たらいつの間にか総走行距離は2000キロを超えていた。

 

峠を下りて新得から帯広への広い道を気持ちよく走流とようやく帯広市内に入りガソリンを入れた。10L以上入った。今日一日良く走ったなと思った。

 

3時半過ぎにホテルに戻ると雨は上がっていてラッキーだった。

部屋に入りシャワーを浴びて朝のおにぎりをつまみにビールを飲んでから少し昼寝をして疲れをとった。

 

夕方6時過ぎにまた昨日と同じ北の屋台へ行き同じ店に向かったが、今日はもう予約で一杯と言われ他の相手いる店にもぐりこんだ。その店では地元の美味しい焼酎があり楽しめたし料理も美味い。隣の席に座っていた兄ちゃんが自転車乗りだというので、自転車の話で盛り上がる。僕も今から20年近く前にロードレーサーを持っていてよく乗り回したので、自転車の楽しみはわかっていた。

この店オリジナルの白菜、セロリ、ピーマンの入った餃子が美味しく、それにつられて白ワインも飲んで満腹になる手前で店を出てホテルに戻り字すぎに寝てしまった。あとで調べたらなんだかんだ320キロもこの日は走った。横浜から名古屋の距離にほぼ等しい。雨の中の320キロは疲れた。

 

この日に使ったお金

高速代     800円

飲み物     300円

ごまそば        1300円

ガソリン    2000円ちょい

夕食(飲み代  4630円

 

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2024年12月29日 (日)

北海道ツーリングに初めて行った!その11 釧路〜帯広

ステイタス釣行記は昨日でおしまい、今日からは再びこの夏の北海道ツーリングの続きです。

6月28日に横浜を出発して早くも一週間が過ぎ、苫小牧から稚内、北見、ウトロ、根室と回って釧路にたどり着いたのが前回までのお話でありました。

色々北海道ツーリングの話を調べると一週間くらいで回るのが一般的なようなので、僕の場合はかなりのんびりペースでのツーリングと言えそうです。

 

7月5日早朝、というか深夜2時に釧路のビジネスホテルで目が覚めてしまったのでラジオを聞きながら前日のことをメモした。

背中と腰が疲れてきていて、やはり年には勝てないと感じた。

 

6時過ぎからホテルの朝食にありつく。ここの朝食はオニギリで北海道らしい具材のオニギリがたくさんあってどれも美味しかった。

朝食用に二つ食べてホテルを出たのが8時頃。

この日は帯広までの200キロちょいの行程だが、十勝平野をまっすぐ向かってもつまらないので海沿いを南西に向かおうと考えて出発しようとしたら、駐車場の案内のおじさんが、浦幌町のバイク神社に寄ったらいい、とアドバイスしてくれたのでまずはそこに向かうことにした。

浦幌町のバイク神社は別名おっぱい神社とも呼ばれていて、ご神体におっぱいの形をした石があるとか、バイク神社としてもバイクノリには有名で、北海道ツーリングをするバイク乗りの聖地的な神社だった。昨日風蓮湖で出会った自転車のおじさんも話していたのを思い出した。

 

釧路市内でガソリンを入れてから市内を抜けて海沿いの道を根室本線と並行しながらしばらく走る。

途中で特急列車が併走する場所があり、1分ほど並走していると乗客の顔まで見えて手を降ってあげたくなったが我慢する。

海沿いから山に入ると列車の線路と別れ峠道に入る。一時間半ほど走ったら浦幌町に入り神社の場所はすぐにわかって到着した。

 

神社の駐車場はバイクの駐輪場がしっかり確保されていて、さすがバイク神社と呼ばれることだけの事はあるなあと感心する。境内に上がると人は少なかった。そこには本殿、バイク神社、おっぱい神社、水子神社といくつかの分社がある。

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まずは本殿にお参りしツーリングの安全を祈願してから隣のバイク神社に行き、ここでも安全祈願をした。その隣のおっぱい神社に行くと御神体のおっぱいの形をした石が置かれており撫でるとご利益があると書いてあり、参拝者がみんな撫でるようで、そこだけ色が変わっているではないか。みんな撫でてるんだあ、なんともセクシーな神社だなあ、と思いながら僕もナデナデするとすべすべの石の手触りが気持ち良い。入念にナデナデして病気の完治を祈った。

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お参りの記念にバイクのシールを売っていたので買おうと思ったら誰もおらず買えなかったのは残念だったが仕方ないので神社を後にして帯広方面に向かった。

 

帯広に行く前に手前の池田町のワイン城に寄りたかったのでそこを目指して内陸に向かう。

一時間ほど走ると池田城に着いてしまった。ここは45年くらい前、学生時代にきた思い出の場所でとても懐かしく感じた。建物の中に入る前に白の前の丘の先に立ち城の建つ丘の斜面と振り返って城の建物を眺めたら、学生時代にここにきた時に友とはしゃいで、この丘で城の攻略戦をやったら面白いな、などと話したことを思い出した。

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城の中に入り地下の蔵を見て回ると古いワインが瓶に入って保存されており製造年が書かれていたので45年前に造られたワインを探した。埃をかぶったワインの瓶に書かれた製造年を辿ってゆくとようやく45年前のものを発見することができ感動する。心の中の時間が一瞬で45年前に戻った。自分の過ごしたこの45年とワインがともに同じ長さの時間を過ごしたことを感じながら自分の人生を振り返った。

しばらく瓶の前でたたずんだ後、ワインの大樽などを見てから屋上に上がって十勝平野の風景を眺める。

この日は天気が良く風がなかったので暑かった。遠くの山々はガスで霞んでしまい写真にするにはイマイチだった。

 

池田城を去ろうと坂を下っていくと大きなトラックが止まっていて、コンサートなどで使うPA機材を下ろしていた。なんでも翌日に地元のドリカムのライブがあるとかでその準備をしていたようだ。

 

池田町からは隣町の幕別を目指す。

ここ幕別は学生時代の友人の家があった街で、北海道に初めてきて最初に泊まったのがこの街だったので訪れないわけにはいかない。友人の家はいまはなく駅前に行ったら昔とあまり変わらない佇まいの駅舎がありバイクを停めて写真を撮っていまは東京に住むその友人宛に写真を送った。

 

そこから帯広まではすぐで大きな街に入る。

ここでも今回のツーリングのアドバイザーでもある横浜のカフェJBのマスターであるユキネエから六花亭の本店は絶対行きな!と言われていたので店を探してたどり着く。昼時でお腹が空いていたのでここのレストランで食事をしようと思い二階のレストランに行くとしたら、何か会員証とポイントがないと中に入れないと言われ、その言い方がすごくお高くとまっていて人を見下しているように感じたので少しイラっとする。

仕方ないので店内でお土産でも買おうか、と見て回ったものの興味がわかないので店を出たら駐車場に横浜ナンバーのハーレーのライダーがいたので声をかけたら、ナンバーは横浜だけれど滋賀県から来たと言われて驚く。なんでもバイク関係の仕事で出張がてらバイクでここまで来たらしい。そういう仕事もあるんだなあと感心しつつ、彼が横浜国大出身というので親しみを感じた。

 

六花亭でお昼を食べ損なったのでお腹が空いていたのだけれど、まだお昼なのにこのまま市内でホテルのチェックインの時間まで間を潰すのも退屈なので急遽然別湖まで走ることにして街を出て途中に何かお店を見つけたら食事しようと決めた。

農園地帯が続く中を走る。止まるとジリジリ暑いが走っている時は乾いた風が心地よい。しばらく走ったら右側に道の駅を発見し、ここで食事しようと思ったら左側にお蕎麦屋さんを発見しためらわずそちらにして店に入った。

店内は昼時で混んでいて、靴を脱いで上がる席しか空いていなかった。ブーツを脱ぐのが面倒なのでテーブル席が空くまで待たせてもらったらすぐに席が空いた。

鶏ごぼうそば、というのがこの店のウリだというのでそれを注文した。つゆが美味しくゴボウの歯ごたえと鶏の旨味がジンワリと染み出して絶妙のバランスで美味しかった。北海道に来てようやく本当に美味しい、と思えるものに出会えて嬉しかった。

お店で少し休んでから然別湖に向かう。さすが北海道だけのことはあって、地図では近いように見えるのにいざ走ってみると結構な距離がある。然別湖までの道のりもそんな感じだった。農園地帯から山に入りくねくね道を登ると山深い風景になり然別湖が突然現れた。

大きなホテルと駐車場があったが、湖奥のキャンプ場を見てみたかったのでここをスルーして先に進むと道が狭くなり人気もなくなりどんどん淋しくなって来てクマさんが出たらどうしよう、と不安になったので途中で引き返して先ほどのホテルの近くの駐車場にバイクを停めた。

 

カメラを持って湖畔まで歩くと遊覧船の桟橋があり、ちょうど船が出るところだった。船にはカップルらしく二人しか客が乗っていなかった。

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湖の写真を何枚か撮りベンチに座って喉を潤わせて休憩した。山の緑が湖面に反射して美しい。ここは確かダム湖だったと思うので、おそらくダムができる前は美しい渓谷があったのだろうなあ、などと想像した。

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静かな湖畔で鳥の声が疲れた体を癒し、と思っていたら、すぐ近くにある足湯に関西弁のおばちゃん数人組がおり賑やかにしゃべくっているので静寂はなかった。関西のおばちゃんグループは最強だ!(笑)

 

しばらく休んでから駐車場に戻ると、外国人グループが車から自転車を下ろして出発するところで、ワイワイと楽しそうにしてたので、普段なら声をかけてどこからきたの?とかどこまで漕ぐの?とか話しかけるところなのだけれど、ちょっと疲れていたのかその気にならずバイクに向かって然別湖を後にした。

 

帯広までは約一時間弱、山を降りて農園地帯に入るとジャガイモ畑の花が咲き誇っていて綺麗なのでバイクを停めて写真を撮った。十勝三回を背景にした広い農園風景はいかにも北海道らしいもので写真を撮って満足する。

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帯広市内に着くとガソリンを入れてホテルへ。ホテルの前にはデカイバイクが四、五台並んでいて北海道らしかった。裏の駐車場にバイクを停めてチェックインしシャワーを浴びてからゴロゴロして体を休めた。

 

6時過ぎに近くにある北の屋台、という屋台街に向かう。たまたま空いていた店に入ったら地元北海道ライダー二人組が隣に座っており、バイクの話で盛り上がる。彼らは今日熊と遭遇したと興奮気味だった。彼らが帰った後はお隣池田町の方と町おこしの話になり、今日僕が池田町で体験したことなど話して、町おこしのアイディアなども部外者なのでおせっかいにならない程度に話して盛り上がり、帰り際には握手して別れた。

 

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地方の町はどこも町おこしに必死のようだ、ということがひしひしと伝わってくる熱気のある話をたくさん聞けた。

釧路、幕別、帯広と今日はいくつもの街を見てきたがどこも衰退している感じが否めない。街中でも駐車場や空き地が目立ち人も少なく活気が感じられない。池田町は昔の印象よりもインフラが整備されて大きな街になっている印象だったが、街のウリは池田城と十勝ワイン、ドリカムくらいしかない印象でどこもさみしい感じがした。

その主な原因である少子化、老齢化という社会問題は北海道だけでなく全国の問題だ。今から40年以上前からこうなることが分かっていたのにそれを放置してきた政治の責任は重いと感じた。

 

今日はいろいろ盛り沢山だったので疲れた。ホテルに戻りすぐに寝た。明日は天気予報では雨だ。一日ゆっくり休むか雨の隙を縫って何処かにゆくか決めかねていた。

 

この日に使ったお金

ガソリン釧路 8.14L   1514円

ガソリン帯広 9.4L     1711円

昼食 鶏ゴボウそば   1200円

缶ビール         300円

ソフトクリーム      300円

ホテル代(二泊分)  14700円

夕食(飲み代)      3000円

 

 

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2024年12月26日 (木)

北海道ツーリングに初めて行った!その10 根室〜釧路後編

根室から厚岸まで午前中に走り、午後は夕方までに釧路に到着すれば良いので時間に余裕ができたため、塘路湖から釧路湿原展望台に寄り道をすることにして昼過ぎに厚岸の街を出ました。

厚岸の市街から44号線に出て1時間くらいにしに向かって走ると塘路湖厚岸線という道があり右折するとそれまでは海沿いの道だったのが丘陵地帯に入り牧場が次々と現れる。原始林の中に突然ポツンと〇〇ファーム、とか〇〇牧場という看板が現れるのだが、それを見た僕はクマが出そうな山の中に牧場を持ち暮らす生活、というのが想像できなかった。そういう人たちの精神力は自分とは別物の強靭なものなのだろうなと思ったり、慣れると意外と住み易いのかもと思ったり、特に感じたのはこの牧場の子供たちはどこまで学校に通うのだろうか?ということだった。何れにしても都会人からは想像できない暮らしなのだろう。

 

カーナビに誘導されるままに道を走り、何度か右に左に曲がり走ってゆくとやがて「塘路湖キャンプ場」の美しい草地が右に広がるのがみえ、道の反対側の駐車場にバイクを停めて湖畔まで歩いてみることにした。

 

暑いのでジャケットを脱いで半袖になりキャンプ場を突っ切った向こうに見える塘路湖に向かって歩くと、キャンプ場にはテントがいくつか張られている。テントの横にカヌーを置いき座っていた女性と話をしたら、今日ここでキャンプをして明日は釧路川を下るのだという。「熊が出ませんように」と笑っていた。

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林をくぐって湖畔に出るとカヌーが二艘横付けにくくりつけられておかれていた。とても素敵な風景なので写真を撮り、湖を見渡すと向こうからカヌーが一艘こちらに向かってやってくるのが見えたので到着するまで待ちながら美しい湖の風景を楽しんだ。

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やがてそのカヌーが岸までやってきて陸に上げたところで話しかける。

そのカヌーイストは神戸の方で屈斜路湖から釧路川を下りここまできたという。予定よりも早く降ってきてしまったので今日はここで一泊し明日釧路まで下ると言った。

午前中の自転車ツーリングのおじさんといいカヌーイストといい、自分の力だけを頼りに体をはって冒険のような旅をする姿はかっこいいしみんな輝いて見える。僕もカヌーには憧れた時期があったのでとても羨ましくも思えた。

少し話をしてから別れ塘路湖を離れる。

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ここから釧路湿原展望台に向かう予定だったが、その手前にいくつか他の展望台があるのを地図で見つけたので行ってみることにし塘路湖の反対側に回り込むように走り始める。

湖を見ながら走っていたら鹿が一頭湖に首まで入って何かをしているのが見えたのでバイクを停めて写真を撮った。

展望台の方は駐車場からずいぶん歩かなければならないようだったので行くのをやめて引き返し釧路湿原の展望台に向かう。

走っていると途中で「達古武」という地名の看板があり、昔仕事で撮影に来た時は確かこの達古武に展望台があったということを思い出すも、そこへ続く案内標識はなかったので先に進んだ。

いくつかの丘を越えると展望台の案内標識があったのでそこを右折すると間も無く湿原沿いの道になり木々の間から見える湿原の風景が美しい。

 

バイクを停めて写真を撮りたくなったのだけれど先を急ぐので我慢した。釧路本線の踏切を二度渡るあたりから道は狭くなりやがて細い山道になって来て路面も砂利になったのでゆっくりと慎重に走流。対向車が来るとすれ違うのに緊張させられながら五分ほど丘を登って行くと左側に大きな駐車場が見えて来てそこにバイクを入れる。

ここから展望台までは歩いて木々に覆われた緩い坂を400メートルほど登ってゆく。蝦夷蜩の鳴き声が賑やかで少し歩くと汗が噴き出して来たが木漏れ日の中を歩くのは気持ちよかった。展望台は道の右側に入ったところにありタイル張りの歩道になっていてその先に展望台があった。

 

展望台からはひらけた眺望で湿原がよく見えるのだが、時間的にちょうど逆光になってガスっておりスッキリと遠くまで見渡すことができず本来の雄大さを感じることができなかった。ここに来るのは午前中だな、でも夕景も美しいかもしれない、などと思いながらカメラを望遠レンズに替えてシャッターを切る。

夕景まで待っていると釧路に着くのが夜になってしまうのでそこは諦めて展望台を去り再び道道の広い道まで降って釧路の街を目指した。

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道道に出て少し走ったら突然コンビニが出現しそれまでの湿原の風景から突然街の風景に変わったのでびっくりする。以前はこのあたりはまだ湿原の一部で釧路の中心部のギリギリまで広がっていたように記憶していたからだ。今回、北海道をここまで走ってきて随所で驚くほど開発が進んでいて自然が後退しているのを強く感じた。手つかずの自然はごく一部になりつつあるのかもしれないなあなどとも思った。

 

釧路市街に入る。釧路の街は大きかった。道路も広い。この日に泊まる街の中心部にあるビジネスホテルはすぐに見つかった。

チェックインして部屋に入りシャワーを浴びると缶ビールを飲んで少し昼寝をした。チェックインをしたのは3時過ぎで6時過ぎまで昼寝した。思ったより疲れていたようだ。

夕食は釧路名物でも食べようと外に出かけた。広い道路に高い歩道の縁石に戸惑いつつ街を歩き、魚が美味しそうな口コミの店をスマホで探して向かう。お目当ての店に入り席に通される。ツブ貝、サクラマスの刺身、ビールに芋焼酎などを食べ飲む。ツブ貝は美味しかったがサクラマスは自分で釣ったものの方が美味しくちょとガッカリ。

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店を出て小さなスナックで一杯やりたいなと探して歩いたがなかなか見つからなかったので、ジャズのお店でもいいか、と変更し店に向かっていくと途中でホテルの前を通ったら面倒になってホテルに帰って寝てしまった。

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明日は帯広まで走る。帯広は連泊して周辺を走るか、雨だったらのんびり過ごそうと決め宿を確保した。

天気予報を見るとこの先はあまり天気が良くなさそうなので雨の中を走るのを覚悟した。とはいうものの、初日に土砂降りを経験していたので気楽だった。

 

 

この日に使ったお金

昼食ザンギ定食  1300円

ホテル代     7220円

夕食(居酒屋)  3400円

缶ビール         300円  

  

 

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2024年12月25日 (水)

北海道ツーリングに初めて行った!その9 根室〜釧路前編

7月4日、北海道ツーリングに出て早くも7日目で半分を過ぎた。

この日は根室市内から納沙布岬を朝一目指し、その後半島を戻り釧路まで走ることにした。

 

朝4時に起きてコーヒーを飲んだりしてのんびりする。

6時になると食堂で朝食が始まる。僕以外の客は仕事で長期滞在している人が多いらしく仕事も朝早いので6時から食堂は混雑していた。

7時過ぎ、仕事に出て行く人たちと一緒に僕も出発し納沙布岬に向かって走り始めた。

 

根室市街を抜けると牧草地が広がり前方遠くに大きな鉄塔が見えてきたが彼は灯台ではなかった。

30分ほど走ると納沙布岬の灯台に着いた。車が一台、バイクが2台停まっていたが入れ違いでみんな帰ってしまい一人ぼっちになる。

灯台まで歩くと沖に海上保安庁の船らしきが浮かんでいる。

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ここには北方領土返還をうったえる碑がたくさん立っていて、東の最果てに住む人たちの北方領土への思いがひしひしと伝わって来た。

日頃は北方領土問題を考えることもない僕だったがこういう碑を見ると故郷をロシアに奪われて帰ることもできなくてこの地に住む人たちやこの街の歴史に想いを寄せると胸が熱くなった。

 

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写真を撮って岬を離れて今きた道とは違う半島の北側の海沿いを走る道路を走り岬を引き返す。

15分ほど走ると北方原生花園という場所に着く。うねるように続く丘陵の先に海が抜けて見えて美しい風景だった。

原生花園にはアヤメのような紫色の花がたくさん咲いていて遊歩道が整備され歩いて回れるようになっているので花好きの人にはいいところだろう。あまりに広いしっ時間も限られているの僕はしばらく眺めただけでここを去った。

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丘陵地帯のアップダウンを繰り返して走ると根室市街に戻りこれで半島を一周したことになったというわけだ。

そこからは半島を離れて春国岱という湿地帯と湖があるところに向かった。

しばらく走って国道を右に折れ細いくだり坂を下りてゆくと突然視界が開けて湿原が広がっていた。

道を進むと小さな橋がかかっていてそれを渡ると砂利の駐車場があり車が二台停まっていた。

砂利の道を注意しながらゆっくり走り駐車場の奥にバイクを停め湿原の遊歩道の入り口まで歩いて行くと大きな文字で「熊注意!立ち入り禁止!」の文字が書かれている。

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ここまで一時間ほど走ったのでクマが出てこないことを祈りながら風景を眺めてのんびり休憩をした。暑いのでジャケットを脱ぐ。
他の車が何台か入れ替わるくらいの時間のんびりしてから厚岸に向かって出発する。ここで昼ごはんに名物の牡蠣を食べようと思ったのだ。

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春国岱から再び大きな道路に戻り少し走ると風蓮湖が見渡せる「道の駅スワン44ねむろ」というのがあったのでここに入ると珍しいヤマハの自転車が目についたのでその横にバイクを停め、道の駅の建物の裏側にある展望台に向う。

飲み物を買って展望台にあるベンチに座り一休みしていたら一見70歳代後半のおじさんが自転車のヘルメットを手に隣に座ってきたのでピンときた。先ほどバイクを停めたヤマハの自転車の持ち主ではないかと思い声をかけたら正解だった。

いろいろ話を聞いたら、この方は自転車で仙台からフェリーに乗り苫小牧まできて、そこから7日間かけてここまでやってきたというので驚いた。

今日中には納沙布岬に到達しその近くに泊まるというのだが宿と連絡が取れないというので、昨夜僕が泊まった宿を紹介した。いろいろこの旅の苦労話を聞かされて楽しく話し込んでしまった。こういう鉄人のような老人(失礼)を見ると勇気付けられる。オレもまだあと10年は頑張らなければ!と思わされた。決して筋骨隆々ではない風貌のこの方だったが精神は鋼鉄のように強靭な心の持ち主なのであろうと思われた。「自転車は自分との闘いです」と静かに話す彼に比べたらほくは何も闘っていないなと恥ずかしくなった。

ここまで走り回っていてもなんだか今ひとつ達成感が得られていないのはこういうことなのだろうな、と思った。

先に出発したその老人を見送り僕もふあったびバイクに乗り厚岸に向かって走り始めた。

 

厚岸への道のりは思っていたよりも距離がありおよそ1時間半ほど走って厚岸市内に入った。途中約8キロくらいの直線道路があり感動した。

アップダウンはあったものの、まるで昔のバカ殿がろくに地図もみずに一本線を引いて「ここに道を作れ」と言ってできたような一直線も道だった。

このツーリングの走行距離も1500キロを超えた。

 

大きな道から厚岸市内に向かう道を左折し前方に広がる港町に降りて行くと大きな橋がありそこを渡る。

ところが目指す昼メシを食べる店との位置関係が分からなくなって、一度橋を戻ってもう一度確認したら、やはり橋の先だった。

お目当てのお店は住宅を食堂にしたお店でノボリがはためいていなかったらそこが食堂とはわからないような店だった。

玄関の戸を開けてびっくり、靴を脱いで家に上がり込むようになっていたのだ。脱いだ靴を下駄箱にしまって廊下を奥に曲がるとリビング風の部屋が食堂になって降りテーブルが4つあり二人がけのテーブルに通される。
厚岸名物の牡蠣を食べようと思いここにきたのであるがメニューを見ていたらザンギ定食というのが牡蠣のタレに浸けてから上げていると書かれていたので、これは珍しい、他では食べられないであろうとそれに決めた。

 

注文してしばらくして出てきたその定食を見てびっくり!ビックリだらけのお店だ!山盛りの唐揚げがすごい、これにサラダに味噌汁、お新香までついている。

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早速食べにかかったらザンギの肉は鶏肉で、鶏肉の旨味と牡蠣の旨味がうまく溶け合うように感じられて美味しく、ソースも一緒に出されてたものの付けずにそのまま食べても十分美味しかった。

ゆっくり味わって食べていると次々と客が入ってきて、さほど広くない食堂はすぐに満席になった。お客さんは地元の常連さらしい人の他に旅行者らしい人もおり、定食の盛り付けの多さに僕同様驚く声が聞かれたりしてちょっとおかしくなった。

 

ゆっくり食事して1300円也。満足して次の目的地に向かう。

食後に釧路までのルートを見たら早くつきすぎてしまうので少し遠回りをして塘路湖から釧路湿原展望台を回っていくことに決めたのだ。

午後の日差しは暑くジャケットを脱ぎたくなるほどだった。

 

長いので明日に続く。。。

 

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2024年12月24日 (火)

北海道ツーリングに初めて行った!その8 ウトロ〜根室後編

野付半島から根室の花咲漁港に向かって走る。

海岸沿いに南下すること一時間弱丁字路にぶつかる。

右が厚岸、左が根室という標識に従い左折すると急に道が新しくなっていて舗装も良く走りやすくなる。

ここから根室までの距離は自分の頭の中でイメージしていたよりもずっと短く間も無く根室市内に入った。(市の面積も広いけどね)

しばらくして花咲漁港の方向を示す標識が現れそれに従い右折すると丘の上を走る道からやがて下り坂に入りカーブを曲がると漁港が見えてきた。

漁港に突き当たったところで右折したら自分の記憶通りの場所に富田商店の看板が見えたので店の前にバイクを停めて店に入る。

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ところが店内には誰もいないではないか。こんにちは、と何度か大きな声で叫んだら店の奥のドアが開いておばちゃんが出てきた。

30年ぶりくらいに再会した富田商店のおばちゃんなのだが、お互いその間は電話のやりとりで声は覚えているもののお互い顔を忘れてしまっていた。なんたって一度しか会ったことがないんだから仕方ない。

しばらくお互い顔を見合わせてからようやく声が出た。僕がくることは事前に電話で伝えて会ったので不審者にしか見えないであろうもくの顔を見て名前を言ってくれた。

ドアの向こうの隣が食堂になっているというのでで一旦外に出てみると「蒲公英」(タンポポの中国語表記)の看板のある食堂になっていたので中に入り直した。

そこはカウンターだけの六人くらい座ると満席になってしまう店内は運良く一席だけ空いていたのでそこに座る。

店のおばちゃんはマスクをして髪を薄茶に染めていたので、ただでさえほとんど忘れている顔がさらにわかりづらくなっている。それはおばちゃんにとっての僕も同じで、ロン毛に茶髪、口髭の生えた爺さんに変貌したワタクシなんぞはあたしゃ知りませんよ、っていうような顔で僕のことを見ていた。

お互い睨めっこしていても始まらないのでとりあえずメニューから昼飯を注文することにした。

ラーメン、チャーハン、カツなどが書き連ねられたメニューから「カツのせチャーハン」というのを注文した。

昨日の昼飯は「カツカレー」だったので二日続けてのカツである。

隣で食事していた仕事人の昼飯風のお兄さんに話しかけられたので、横浜からバイクで来たんですよぉ、と返事したら驚いていた。

 

ここのおばちゃんに出会ったのはおよそ35年前に僕が仕事の撮影で港の風景を撮った後に、お土産でも、と港の眼の前にあったこの魚屋さんに入りトキサケを買ったのがきっかけだ。その後数年にわたり毎年初夏のトキサケシーズンになると電話で注文して買い続けていたので、毎年電話でやりとりするうちにすっかり知り合いになってしまったのだ。

 

おばちゃんが接客に忙しそうにしているので出てきたカツチャーハンを頂く。ウマイ。

僕の左隣の席が空区とそこに香港人の女性二人に男子一人の三人の客が入ってきておばちゃんと注文のことでコミュニケーションがうまく取れていなかったのでおせっかいと分かりながら間に入ってメニューの説明をしたら僕の食べていたカツチャーハンを指差して、それはうまきか?と聞くので美味しいよと答えたら全員同じものを注文していた。

これがきっかけでこの三人とカタコト会話で僕がバイクで北海道をまわっていることや彼らの旅のことなどを話す。

彼らは香港から来て今日は千歳からレンタカーでここまで来たらしく今夜は登別温泉まで戻るというなかなかハードな旅をしていた。

話しているうちに香港の彼もバイクに乗るというので話がバイクで盛り上がる。日本をバイクで旅をしたいとも話していた。

僕のバイクの写真を撮りたいというので、どうぞどうぞと彼らの帰り際に一緒に外に出て写真を撮って別れた。

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他の客がみんないなくなったのでお店のおばちゃんとゆっくり話をした。

35年ぶりに再会できたのはお互い嬉しかった。こうして再会できたのもお互い健康だからだと意見が一致する。この35年の間にお互い色々あった話をし2時過ぎまでし、再会を約束してお店を出た。

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店を出て港の写真を撮ってから車石というこの辺りの観光名所に走った。

港から5分ほど走った花咲岬の先端にその石はある。

駐車場から少し歩いて岬に向かうと岬の先端の上に海に向かってその石はあった。

直径10メートルくらいか?放射状に半円を描くその石は世界的にも珍しいらしい。ホイールストーンと呼ばれ昔ジャズトランペッターの日野皓正のアルバムタイトルにもなった石だ。

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周辺の風景も美しく夏の花々が咲きほこっている写真などを撮って駐車場に戻ると、昨日間違って予約してしまった宿にキャンセル料を払いに向かった。

 

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根室市街からすこしは離れた宅街にナビされて行くと宿は一般の住宅を使ったゲストハウスだった。

宿のおじさんが外で待っていてくれて手を降ってくれたのですぐにわかったが、そうでなければ他の家と見分けがつかずに迷っただろう。

おじさんはやさいい感じの人で、間違えて予約した僕からキャンセル量をとるのも済まなそうな顔をしながら、「なんで日にちを間違ったの?」と聞いてきたので、「日にちに感覚が麻痺してるんです」と答えた。機会があれば今度はちゃんと予約していらしてくださいと言われ、挨拶をして今夜泊まる方の宿に向かう。

 

とゆうガソリンを入れ、今夜の酒とつまみなどをセイコーマートで買い込んでからナビに従って行くとすぐに宿に到着する。

こちらは二階建ての小さなホテルといった佇まいの宿で、こちらの宿も入り口でおっさんが待っていてくれて駐輪場所を指示してくれた。

チェックインして二階の部屋に案内されると部屋は十畳くらいの広さがあり三、四人は止まれそうな広い部屋だったので間違えて予約してラッキーだと思った。

 

すぐに風呂に入ってさっぱりし買ってきたジンを飲みながら洗濯物を宿の洗濯機で洗おうとしたら、おっちゃんが宿のリネン関係を大量に洗濯していて洗濯町になる。

 

根室に来るのは45年ぶりだ。その時に街の風呂屋の二階にあった「サテンドール」というジャズ喫茶をネットで探したらまだ営業していたので行こうと思ったのだが、ようやく6時半過ぎくらいに洗濯を終えたら、お店の営業が午後7時までと知り残念ながら行くのを断念した。

 

仕方がないのでセコマで買ったナメコソバを食べてワインを飲み洗濯物の乾燥が終わるのを待つ。

 

この宿は仕事などで長期滞在する人向けの宿のようで、朝食がついており朝早くから食べることができる。風呂も広いのがあるし洗濯もできるて6000円は高くないなと思った。

 

明日は朝一に納沙布岬まで走りその後お昼を厚岸の街でカキフライを食べてから釧路まで走ると決めて早々と眠った。

 

この日に使ったお金

セコマ羅臼    270円

セコマ根室    1540円

ガソリン10.13L  1874円

宿キャンセル料  3200円

宿代       6000円

昼食       1100円

 

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2024年12月23日 (月)

北海道ツーリングに初めて行った!その7 ウトロ〜根室前編

7月3日、北海道ツーリング6日目。この日はウトロから知床半島を横断し羅臼に出て、そこから海岸線に沿って南下し、野付半島に寄り道してから根室まで走る予定。

朝5時頃に起きてエノカフェを今朝も一人でやってコーヒーを飲みながら昨日の工程を振り返りながらノートに記した。

朝7時過ぎ、外は寒そうなのでライダージャケットの下にパーカを着込んで早めに宿を出てウトロの街に戻りそこから知床峠に向かう。

ウトロから海岸沿いに北上すると道はカーブをして高度を上げウトロの街が一望できる場所に出たので写真を撮った。

そこから先は海岸線から山道に入り、道路の両側は林になりワインディングロードをぐんぐん上がって行くと、「熊野生息域」という大きな看板がありその先がゲートが閉まって通行止になっている。ゲートの手前を右折すると緩いカーブが続き時折急カーブが現れるので気が抜けない。

原始林の森はとても深くなりいつどこで熊が出てきてもおかしくないような雰囲気が怖かった。

 

やがて森林地帯を抜けると高山帯の低木林になり視界が開ける。大きなカーブを右に回り込むと道路の右側に広い峠の駐車場があり10台くらいの車が止まっていたのでちょっとホッとした。ひとりぼっちのところに熊が出てきたら・・と想像し不安だったのだ。

駐車場には低木林にやってくる珍しい鳥を狙うカメラマンが何人もいて太くて長いレンズの付いたカメラを三脚に固定してじっとしている。

ここから登山の支度をする若者も一人いた。この森に一人で入って行くなんて勇気あるなあと感心する。

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自分の走ってきた方向に振り返ると羅臼岳が堂々とした姿でそびえ立っていた。山頂付近には雪が少し残っており山麓は深い森に囲まれていて、人の侵入を拒否しているようにも感じられたのは、ここがヒグマの沢山いる山という僕の認識から来るのだろうか。

 

駐車場を歩き回りながら写真を撮った。駐車場の周囲には白い枯れ木が沢山倒れていて何か大きな動物の骨のように見えた。

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かつてこの知床横断道を作った時には自然保護派から大反対の声が上がった。僕も当時はそう考えていた。人や車の入り込まないこの山を今想像すると、本当に手付かずの原生林と野生動物の天国だったのだろうなあと想像してみる。

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休憩後、駐車場を離れて羅臼方面に下り始めると道端に蝶を撮る網を振っている人がいた。ここは確か世界自然遺産に登録されているんじゃなかったっけ?そういう場所で自由に蝶の採取をできてしまう日本の自然管理の甘さにうんざりした気持ちにさせられた。

同じ世界自然遺産の小笠原にも釣りで何度か訪れているが、この島では固有種が多いこともあって昆虫の採取や持ち出しは一切厳禁で厳しく管理されている。とはいえそこの海で自由に魚を釣っている自分も知床で蝶を獲っている人と本質は変わらないのではないか、と考えると自己嫌悪も感じた。

 

そんなことを思いながらクネクネ道を降りていくと途中で海が遠くに見えたのでバイクを停めて眺めて見た。北方領土が見えるのではないかと思い眺めて見たのだが、朝日に光る海が見えるだけだった。

その先を下ると思っていたよりすぐに羅臼の街に出た。

海に当たったT字路を左折して知床半島の東岸を北上し始めると、少し先の左側にコンビニがありそこから三台のバイクが出てこようとしたていたので先を譲りその後ろをついていくように日本最東端の地を目指して走った。彼ら三台もおそらく同じ場所に向かっているのだろうと思われた。

海岸線を走る道を右側に海を見ながら走ると所々に番屋らしき小屋が建っている。それらの風景はいまは夏なので比較的明るい清々しい風景であったけれど、真冬になったら荒涼としたものになるのだろうなあ、などと想像しながら走る。

羅臼の街からおよそ20分くらい、トンネルをいくつも抜けながら走っていくと「この先行き止まり」という大きな看板があり突然その先の道が無くなっていた。

どうやらここが日本最東端の地らしいのだが、石碑が立ってるわけでもなく「キケン!この先道路なし!」とあるだけで、先行の三人も僕の前にバイクを止めて何やら話し合っているので、こちらから話しかける。

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彼らは一泊で苫小牧から来ていた地元北海道ライダーだった。日本最東端の地に期待をして遥々ここまで来たのにこんなになにもないのぉ!と一緒になって笑った。あまりにも潔すぎる観光地的アピールの無さに笑うしかなかったのだ。

彼らに写真を撮ってもらいこの先の安全をお互い気遣って別れた。

バイク乗り同士ならではの気持ちの一体感のようなものを感じて気分が良かった。

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引き返して羅臼の街に戻る道を走り、所々で写真を撮った。国後島が見えないものかと思ったが見えなかった。昔流行った森繁久彌が作曲した「知床旅情」という曲の歌詞では、「丘に登ればはるか国後に白夜は開ける」とあるので見えそうなものだと思ったのだが海岸からは見えないようであった。

羅臼の街の先ほどのコンビニで小休止してから今度は北海道東岸を南下して野付半島に向かう。

海岸線の道はやがて原野の中を走る道になり、ここをどんどん走る。車は少なく時折対向車にすれ違うくらいだった。路面はあまり良いとは言えないが道は広く先の見通しも良いのでついついスピードが出てしまう。時折のんびり走っている(ように感じる)トラックなどを抜きながらスピード違反で捕まらないように気を使いながら走る。

 

やがて別海町に入るとすぐに野付半島の入り口があったのだが、一度標識を見落として少し先まで行ってしまい引き返して半島への道に入った。

半島に入った途端にこれまで起伏のある原野だった風景から真っ平らで平坦な道が遠く先まで見え、左側は防波堤、右側は干潟と森が混在し道端には野草の花がさきほこっている風景の中を走る。

やがて塩水に浸かるからだろうか白く立ち枯れた森が干潟の向こうに現れる。「ナラワラ」という地名の看板が立つその風景は美しいのだけれどなんだか寂しい風景だった。

バイクを停めず岬の先端位向かってどんどん走り岬の先端近くにある野付半島ネイチャーという建物があり大きな駐車場に車やバイクがたくさん止まっていたので僕もそこに入りバイクを止めた。

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ここから先は「トドワラ」という観光地で、岬の先の湿地帯を遊歩道が整備されていてあるけろようになっている。45年前にここを訪れたときはこの遊歩道は朽ち果てた白い木々が大きな動物が無数に倒れているように有り野性味あふれる風景だったのだが、今は風化してしまい草花の咲く草原になって優しい風景になっている感じがして少し寂しく感じた。

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30年前くらいに撮影の仕事でやってきた時には確かまだ木々が残っていて、遊歩道のすぐそばに多きなタンチョウが二羽突然現れて驚かされたことを思い出した。

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今回は遊歩道を歩く時間の余裕はなかったので休憩だけしてきた道を引き返しながら所々で花や立ち枯れの風景の写真を撮った。

野付半島を戻って行く途中で我が家からの走行距離が1300キロを超えてテンションが上がる。

走っていると暑くなったのでパーカを脱ぐ。

 

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ここからは根室の花咲漁港をめざす。そこには昔撮影に来た時に知り合い、その後もトキサケなどを何度も購入していて店のおかみさんと何度も電話でやりとりする魚屋さんがあり今は食堂もやっているというので、お昼までに何とか着いて食事をしながら30年以上間が空いた再会をしたかったのだ。

ここから花咲港までは1時間半くらいの行程だ。

半島から再び道道に戻り南下し原野の中を走り始める。

他の車は少なく所々で道路の舗装工事をしていた。

凸凹道の多い北海道を走っていると歩行工事を仕立ての綺麗な道を走ると感動する。普段は工事で片側通行になり待たされたりするとイライラしたりするものなのだけれど、北海道では工事をしている皆さんがありがたく待つのも苦にならなかった。

走れど走れど原野は続き一体どこでこの風景を抜けられるのかと思いながら、何とか昼の営業時間中に到着するように道を急いだ。

 

続く・・・

 

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