映画パーフェクト・デイズを観てきた
初めに書いておきますが、本文では映画の内容について語ってしまうのでこれから観ようという方にはネタバレになってしまうので読まないことをお勧めいたします。
映画の話を本ブログで書くのは初めてかもしれない、というくらい普段映画は観ないのでありますが、今回は音楽評論家のピーター・バラカンさんおラジオ番組で話題になっていたことや釣り仲間がパーフェクト・デイズを観て良かったとやはり音楽の話を絡めて投稿していたことに背中を押されて観に行ったのであります。
映画のストーリーはとてもシンプルで、公衆トイレの清掃を生業とする初老の男が主人公。
この男の規則正しく繰り返される日常の中で出会うヒトビトとの大小の出来事を通じてそれぞれの人間模様を描いていくのでありますが、ドラマチックな結論はどこにもなく淡々と日常が描かれていくというものでありました。
映画館で延々と長く続いた宣伝や予告編に辟易としながらもようやく始まった本編を一眼見て驚いた。
この時代にスクリーンの縦横比が4対3の狭い画角だったのだ。
フィルムで撮るにしろハイビジョンで取るにしろ16対9の画角比がノーマルになっている今時にワザワザ4対3の画角で撮るのは何故なんだろう?
と思いながら本編は始まりどんどん進んでいく。
主人公の実に無口なおじさんは毎朝早く近所のおばちゃんの道路を掃除するほうきの音で目を覚まし、布団をきちんと畳んで歯を磨き、茶碗に植えた幼木たちに水を与えると作業着に着替えて家を出る。
家の前の車に乗る前に必ず自販機で缶コーヒーを買い込みそれを飲みながらカセットテープでカーステレオを鳴らして仕事に出かける。
このカセットテームから流れる音楽は1960年代後半から72年くらいまでの数年間にヒットしたものばかりで主人公の世代を表すだけでなくそれぞれ使われるシーンで物語を非常に効果的に引き立てている。
仕事先では実に実直に生真面目にトイレを美しく掃除し、仕事を終えると風呂屋に行き湯を浴びると浅草の一杯飲み屋に出かけてチュウハイらしきものとつまみが出されてきたのを飲み、寝床で眠くなるまでは文庫本を読み眠る。
休日にはコインランドリーで作業着を洗濯し、趣味のアナログカメラの写真を現像に出し新しいフィルムを一本買い、古本屋で次に読む安い文庫本を買いバーに出かけてちょっと贅沢な酒を飲む。さらにこの店の美人ママには好かれている、というような日常が繰り返されながら映画は進んでいく。
主人公の暮らしは清貧といってもいいくらいの清々しく慎ましやかなものなのだがその内容はある意味パーフェクトでありましょう。
そんな日常で関わったりであったりするヒトビトの日常が次々と現れるのがシンプルな繰り返しに見えるこの映画を見ていて飽きさせないところで、トイレに閉じ込められて迷子になってしまった子供とその母親、仕事仲間の怠け者の若者とその彼女、銭湯で出会うじいさんたち、毎晩通う飲み屋のオヤジやそこに来る客、公園で踊るホームレスのじいさん、写真屋のオヤジ、本屋のお姉さんなどがどれも大切な役割をしているようだ。
ストーリーが大きく変わるのは仕事仲間の若者が主人公から金を借りたまま仕事をあっさりやめてしまうあたりから動き出し、姪っ子の中学生くらいの娘が家出をして主人公のアパートに転がり込んで来るところからこの映画のテーマらしきことが語られていく。
無口なおじさんは家出してきた姪っ子を受け入れて仕事にも連れて行き当然食事も一緒にゆくことになる。
この二人の短い会話の中にあらわれる。「母親と主人公のおじさんの住む世界は違う」と姪っ子は主人公に語る。主人公は「確かに違う世界に住んでいる」というと姪っ子は「じゃあ私はどっちの世界に住んでいるの?」と問いかけるが主人公ははっきり答えない。
それは僕には「世の中は一つのようで様々な世界がある」と語っているように思えた。
この映画に登場する様々な脇役の人たちみんながそれぞれの慎ましやかな、あるいはそうでない別々の世界に住んでいるというように感じた。
さらにその子この世界はいまの時代を映していて、若者の世界と主人公のアナログ世代では全く違うものでそれらもそれぞれ細分化された個々にはとても狭い世界に暮らしながらその中で喜怒哀楽があり暮らしているということを感じさせられた。
これらの感想はストーリーが進んでいくとさらに明白になる。姪っ子を引き取りに来た主人公の妹は高級車に乗るセレブのようで主人公との住む世界の違いを具体的に表している。
しかし、この映画ではその理由などについては触れずにどんどん次のシーンに展開していってしまうのでありますね。
色々小さな事件がありながらクライマックスに起こるのは、休日にいつものように本を買ってクラブのママの所に行って主人公は開店前の店内でママと男が抱擁しているのを見てしまい慌ててその場を去り、やけ酒まがいのハイボール缶3本とピースを買って隅田川の河原でヤケ飲みヤケタバコを吸ってむせている所に男から声をかけられる。
この男こそママの別れた元夫ですでに再婚済みなのだがガンの宣告を受けて急に前婦のママの所を訪れたことを主人公に告げる。
そしてママの事をよろしくお願いします、とまで言われた主人公は「いや、そんなんじゃないですから」と言いながらもまんざらでは無いようで、シーンはそのままラストシーンの仕事に向かう運転する主人公の笑顔のバックでニーナ・シモンのフィーリング・グッドという曲が延々と流れて終わって行くのだが、ストーリーが全て終わった後に本編でも折々に登場する大きな楠の緑の木漏れ日を背景に日本語の木漏れ日についての解説がテロップで流れる。
唐突に現れたので僕はちゃんと理解できなかったのだが、木漏れ日のキラキラは常に変化し同じ光は二つと無い、というような事を言っていたようだ。
映画を観終わってしばらくの間僕はこの映画のことをよく理解できないでいた。狭い画角、古い音楽も僕の世代の一つ前のものだったので知っている曲が少なくピンとこなかった。それぞれのシーンに結末がない。田中泯さん演じる踊るホームレスは何者なのか?(田中泯さんの踊りが好きな僕にとっては、この役が田中泯さんそのものに見えてしまいホームレスだと気づいたのは映画の終わる頃だった)、主人公が寝ている間に必ず現れるイメージ映像の意味など映画全体の構成を頭の中で整理できなかったのだ。
家への帰り道はずっとこの映画のことを考えていたのだが、帰宅してしばらくしてようやくなんとなく自分なりに頭の中で整理が進んだら映画のテーマらしきものが見えてきた。
それは人の生活、人生、住む世界は皆それぞれ異なり同じものは二つと無いということ。人だけでなくこの世の全てに同じもの、同じ瞬間は二つと無いこと。そしてそれぞれがとても多様で個性がありそれぞれがとても大切だということなのではないかと思えてきたのでありますね。
画角を狭くしたのも、ある時代の音楽にこだわったのも狭い自分の世界をきわ立たせるための演出だったのでしょう。
さらに、僕の日常だってそれなりに規則的で個性的なパーフェクトデイズじゃあないか、と思えてくるととても前向きな気持ちにさせられたのでありました。
ご覧になった皆さんの感想もお聞きしたいのでコメントどしどしくださいね。
余計な話だけれど、実は一つだけ引っかかったカットが有って、ストーリ序盤の公園での午前中のシーンで主人公がアップに移された時に背景の公園の時計が4時を指していたところに目が行っちゃって、ず〜っとそのことが気になっちゃっていたんですが、ただのミスショットだったようで、こういうところを見ちゃうからダメなんだよなあ、と自分に言い聞かせたのでありました。
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