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カテゴリー「JAZZ」の記事

JAZZ

2024年5月21日 (火)

350クラブの親睦会でセッションしたよ@ABスマイル

中島仁トリオを聴いた翌日は横浜エアジンから歩いて数分のところにあるABスマイルというジャズクラブで、ジャズギタリスト岩見淳三さんのファンクラブである350クラブの親睦会に呼ばれてサックスを吹いてきました。

この親睦会は年に一度ペースで行われていてもう20年以上続けられているそうなのですが僕に声がかかるようになったのは10年くらい前からかな。

ちょうどその頃から僕自身が楽器の演奏に真面目に取り組むようになった時期だったので、人前で演奏する場を与えていただいたのは大変ありがたく、釣りのスケジュールとの兼ね合いで毎年とはいかないもののちょこちょこと参加させていただいては、美味しいお酒とお料理に舌鼓を打ちつつサックスを吹くという事をしてまいりました。

 

今年は三年ぶりくらいの参加でしたが、この会で知り合ったミュージシャンの方も何人かできて久しぶりに会うのも楽しみでしたし、一般的なジャズクラブでのジャムセッションとはまた違うリラックスした雰囲気の中で演奏するのも楽しみでした。

今回の参加メンバーは、三年前とは随分変わっていて、350クラブの楽器をやらない音楽を聴くのが専門のお客さんと岩見さんのお弟子さんたちのギタリストにその仲間的なリズム陣やフロント陣が集まりました。

フロント陣は僕のソプラノサックス以外は三人のアルトサックスの方々で年齢は様々。久しぶりにお会いした文京区のポール・デスモンドと僕が勝手に命名してしまった方にも会えて嬉しかった。

 

会の仕切りは岩見さんの事務所の社長兼ボーカルのYAYOIさんで、肝っ玉母さんぶりをフルに発揮しながら場を仕切って進行していきます。

全員揃ったところで乾杯してからは社長の命令で呼び出されたメンバーでのセッション。

今回は初めて来る方も何人かいて少し緊張している様子もありましたが、和気藹々と和やかに演奏が進んでいきます。

 

久しぶりに会うと、太った人、痩せた人、変わらない人など様々いて中にはあまりの変貌ぶりに誰だかわからない人もいたりするのに音を出した途端に、あ!あの人だ!と過去の面影を思い出すところが面白かった。

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僕の出番は4番目くらいでちょっと緊張して始まりましたが、一旦音を出してしまえばあとは開き直るしかない。

everything happen to meを吹かせてもらったのだけれど、アドリブに入ったらサビの進行で躓きちょいと焦る。

やばいなあと思いながらも無理やり押し切り最後まで吹き切ってなんとか終わってホッとした。

終わったらYAYOI社長から「今日はいいね」と褒められたので「今日も!でしょ」と絡んで笑をとって引っ込む。

 

初めて聞く人たちの演奏は新鮮だし、これまであった方々の演奏もときを重ねて腕を上げている様子がよくわかり聴いていてとても楽しいし刺激にもなるのでありますね。

一曲やったら気分が楽になってワインをがぶ飲みしてすっかり酔っ払い、何組かの演奏を終えると中休みの休憩があり350クラブの会長である三浦さんからこの回の歴史や今年の11月に岩見さんのリサイタルが決定したことなどの報告などがあり一休み。

 

後半のセッションが始まると2番目に呼び出されて一曲やる。

今度はプロのベーシストのジャンボ小野さんと岩見さん、それに大学ジャズ研の先輩のドラムの三浦さん(会長とは別人)とのセッション。

酔っ払った勢いで気持ちよく吹きまくって気分いい。もう間違えたってなんだって怖いものなし、という感じでこういう雰囲気の場での演奏は普段は中々できないので楽しいものでありました。

 

後半の部が終わると一旦お開きにした後で楽器持ったメンバー全員で大ジャムセッション。

blue bossaをみんなで弾きまくって盛り上がり夜はふけていったのでありました。

 

ああ、楽しかった。また来年皆さんに会えるといいなあ。釣りとの予定がかぶらない事を祈りつつ皆さんと再会を誓ってABスマイルを後にしたのでありました。

 

ブログ掲載の文章、画像の無断転載は禁止です ©️enos1091 All rights reserve

 

2024年5月20日 (月)

中島仁トリオのライブを聴きに行った@横浜エアジン

21世紀に入る頃からか、ネットによる音楽発信や情報交換即時性の発展なども手伝って世界中に様々なスタイルのジャズが沸き起こるように出てきて、ジャズの多様化は今や聴き手個人の能力では把握できないほどに多様に広がり、あれもジャズ、これもジャズともはやカテゴリー分けをすること自体が無意味なのではないかと思うほどに複雑になっていますが、聴き手としてはそんな様々なスタイルのジャズから好みの音楽を掘り起こして行くのも楽しみで、次々と出会う新しい音楽世界に心トキメク今日この頃であります。

そんな現代においては既にクラシカルなジャンル分けになるヨーロピアンスタイルのピアノトリオという言い方になってしまいますが、そんな言葉がちょっと安易ではありますがわかりやすい表現なのかなと思われる音楽を演奏する中島仁トリオというピアノトリオがあります。

 

このピアノトリオは5年前にCDレビューをしていて、クリアで美しいながらも変幻自在に展開して行くサウンドを聴かせてくれたのですが、最近2枚目のCDを発売し、そのレコ発ライブが横浜馬車道のエアジンで行われるというのでこのチャンスを逃すものかと聴きに行きました。

 

馬車道のエアジンというライブハウスは横浜のこの地域でも老舗の店で、どうやら今年が55周年らしく半世紀以上やっているライブハウスも文化的に貧しい日本においてはここまでの継続には大変なご苦労があったのではないかと思われるところですが、僕としてももう前回行ったのがいつなのか忘れてしまったくらいの久しぶりの来店でした。

歴史を感じる古い店内には沢山のビデオカメラが据え付けられておりツイキャス配信ができるようにできるようになっていた。

おそらくコロナ禍を乗り切るための施策であったのだろう。

 

中島仁トリオはベースの中島仁(ヒトシ)、ピアノの望月慎一郎、ドラムの橋本学(マナブ)の三人からなるピアノトリオであります。

このトリオにスウェーデン人のサックス奏者オーべ・オンゲマールソンをゲストに吹き込んだアルバム、ミラー・オブ・ザ・マインドをこの5月に発売したばかりで、彼らのフライヤーの文章からメンバー紹介をしてみよう。

 

ピアノの望月慎一郎は1980年生まれと書いてあるので40代半ばのミュージシャン。

6歳で作曲を始め13歳の頃には海外でも自作曲を披露したという経歴の中でジャズに出会ってからは独学で研究をしているらしい。

欧洲ジャズに近い演奏スタイルを取り入れ、独自の方法論で作品を送り出す。2017年にピアノトリオによる大作アルバム「Visionary」をリリース。2018年、橋爪亮督(sax)をフロントに迎え「Another Vision」をリリース。2021年、Miroslav Vitous(b)、福島進也(ds)をむかえ「Trio2019」をリリース。

と書いてある。

ドラムの橋本学は1976年生まれ。大学入学後モダンジャズ研究会にてジャズ・フュージョン活動を開始、卒業後プロ活動へ。2001年横浜ジャズプロムナード・コンペティションで参加バンドがグランプリ受賞。2005年よりTrio Zero(伊藤志宏piano、織原良次fretless-bass)を主催、作・編曲を手掛ける。2010年には台湾のジャズフェス、2014年にはスイスでのライブ、2012年にはミュージカル「ラブ・イズ・ミラクル」へ楽曲提供。2016年長野県富士見町に移住後は中部甲信地方発信の活動を開始。様々なユニットに参加しそれぞれのレコーディングにも参加。ジャズのみならずポップス・ラテン・ブラジル・アラブ音楽・古楽・ドラム以外のパーカッションも多用して節操なく活動。2010年Trio Zero 1st album「Energitic Zero」をリリース、などど書いてあります。

このトリオのリーダーでベースの中島仁は15歳でエレクトリックベースを始め大学ジャズ研時代にECM系サウンドに傾倒。大学卒業後は故郷の安曇野に定住し2010年頃からコントラバスにスイッチし音楽活動を再開、ヨーロピアンサウンドに影響を受けた自己リーダーのピアノトリオを主軸に活動を続ける。(中略)2017年からスタートした橋本学氏&望月慎一郎氏とのユニット「kiretto」に多くのインスピレーションを得て2018年どうメンバーによるアルバム「Pioggia」をレコーディングしリリース。隠しレビューで絶賛を得る。2019年、JAPRS(日本音楽スタジオ協会)主催の『日本プロ音楽録音賞』の「クラッシック・ジャズ・フュージョン部門においてどうアルバムにて優秀賞を受賞。

とだいぶはしょってしまったけれどこのように書かれているのであります。

 

さて、長くなってしまった前置きはこのくらいにしてトリオの演奏の話に進もう。

 

この日のライブはニューアルバム「mirror of the mind」のプロモーションを兼ねてのライブだったので、演奏曲は一曲を除いて全てそのアルバムからのものでした。

ベースのリズムパターンから始まりそこにピアノとドラムが絡んで行くような曲が多く、所謂バップのようにドラムのカウントで一斉に入るような曲はなく、自然にスーッと始まり心地よく流れてまたスーッと音が空気に溶けて消えて行くような構成の曲が多かった。

そのサウンドはどれも透明感と静謐感の中を静かに三人のサウンドが渦巻きながら透明な流れる川のように清涼感があり美しい。

それは望月のピアノが流れるような美しいメロディーを紡ぎ出しながら左手の和音はドビュッシーあたりの印象派クラッシックに通じるモダンでイマジネオティブなサウンドを加える。ヨーローッパジャズ風と一言で言ってしまうこともできるが、それはバップ的なリズムやフレーズを排除してクラッシックからのアプローチが多くを占めたメロディと和音からくるものなのだろう。

ただ美しく綺麗、というだけのものでは無く聴き手の想像力を掻き立てるような間やメロディ、リズムの絶妙なバランスを感じられた。

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橋本のドラムはピアノの流れるメロディとリズムに協調しながらも単純なリズムパターンを叩き同調することなく、音の隙間を埋めるように複雑なリズムと音色のこれもまた聴く側に新たな想像力を与えてくれる。一定のリズムを叩き続けるのでは無く様々なリズムを次々と繰り出しながらも全体は統一されたリズムペースに繰り出すものでさらにそこにスティックの持ち替えや素手での演奏など音色もカラフルで、音世界がどんどん広がっていくのだ。

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そのドラムスタイルは僕にはミルフォード・グレイブスのトーキングドラムを想起させてくれた。ヨーロッパ系のピアノトリオのドラムスに多いスタイルなのだろうが彼のサウンドの根にあるのはどこか土着的な日本的な語り口をヨーロッパ的に表現しているようにも感じて面白かった。

 

リーダー中島のベースは自由に広がるピアノとドラムの背後で全体のサウンドをしっかり一つにまとめるような安定たリズムをキープしながら音の流れを導くように流れながらも、時には強く、時には優しくとトリオのサウンドに強弱を与える。その演奏スタイルは誠実な彼の性格をそのまま表したような正確で無駄のないものでありました。

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三人の絡み合うように作り出す音を聴いていると聞き手の僕の中に自分なりの新たな想像が頭の中に浮かび上がりイマジネーションを刺激してくれ音世界が頭の中にどんどん広がってゆき心地よい。どこまでも透明感があり美しいのだが全体の音の流れは静かにうねる様に様々に形を変えて流れてゆく、まるで透明な川の流れが常に変化しながら大きくなったり小さく渦を巻いたりて流れてゆく様で、それらは見ているだけで飽きない能登同様に、音の変化に心地よく乗りながらも次の変化を期待して聴いていて起きることのないものだった。

 

多くの曲はいくつかのスケールとリズムパターンで組み立てられたちょっと複雑なモードの様なスタイルで、バップ的な「はいテーマです、ここからはアドリブ、バースがあってエンディング、」という様なはっきりした構成でそれぞれのミュージシャンの技を聴くというのとはちょっと違って、もちろんテーマ、アドリブ、テーマと流れていく構成は同じなのだが、そのつなぎ目がとてもシームレスな感じでテーマとアドリブ全体のサウンドを浴びて楽しむと言ったらいいのだろうか、そんな感覚でトリオの演奏を楽しんだ。

 

日本人のピアノトリオでこのタイプの音を聴くのは僕は初めてだったのでとても新鮮に感じた。

音楽をカテゴリーで分けるのは、最早多様化の進んだジャズ、いや音楽全体が多様化してシームレスになっている現代ではあまり意味のないことだと僕は考えるので彼らのサウンドをヨーロッパスタイルのピアノトリオとくくってしまうのには抵抗がある。

彼らのサウンドも一聴するとヨーロッパ的な音楽言語を使いながらも彼ら個々の出す音は日本という土壌から染み出す様なエッセンスを感じられそれが他のピアノトリオとは違う中島仁トリオのサウンドの個性になっているのではないかと感じる演奏でした。まあ、ジャズってそういうものか。

 

一部と二部に分かれてほぼアルバムからの曲全てを演奏し、さらにアンコールも一曲演奏してこの日の演奏は終わった。

今回はアルバム参加のサックスのオーべ・オンゲマールソンが怪我で参加できなかったのはとても残念で、帰りがけにアルバムを買って彼の入った演奏を家で楽しむことにしてた。

ライブハウスから外に出ると初夏の夜風が清々しく感じられた。

 

追記  この日の演奏はエアジンのツイキャスライブで見ることができるようです。

    興味を持たれた方は是非¥横浜エアジン¥ツイキャスで検索してみてください。

 

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2024年3月 8日 (金)

渡部貞夫クァルテット@鎌倉芸術館

渡部貞夫さんのコンサートに行ってきました。

楽しかったです。

おしまい。

 

という感じの感想になるかなあ、と行く前は思っていたのであります。

何故なら貞夫さんの最新作であるサントリーホールのライブを聞いたら古いバップ時代の名曲集みたいになっていて、演奏こそ円熟しているものの新しい驚きなどはないんだろうなあ、と勝手に思い込んでいたのですね。

 

今回貞夫さんのコンサートに行くことになったのもたまたま我が家で生活用品を購入している生協のカタログでチケットを売っていたのを見て行くのを決めた、という安易なもので、御歳91歳という高歴の貞夫さんの見納めかなあ、などというふとどきな発想もあり(貞夫さんごめんなさい)その程度の関心で行くことを決めたんですよ。

 

コンサート当日、会場の鎌倉芸術館は大船駅から徒歩圏内の場所にある新しい施設で初めて行きました。

会場に入るとすでに集まって開場待ちをしているお客さんは僕と同世代近辺の年寄りばかりで予想通りの展開。

ホールは小ホールで400人くらいのキャパかな、僕の席は後ろから6列くらいのど真ん中、ステージまでは遠いけれどいい角度だったし、小ホールなのでそれほど距離もなくジャズのコンサートとしては程よいサイズの会場でした。

 

開演を待ちながらステージ中央にセットされたピアノ、ベース、ドラムセットを見ながら貞夫さんを見るのは久しぶりだなあ、と振り返ってみた。

僕が貞夫さんをみたのは18歳の時、今から半世紀近く前のことで場所は池袋の西武デパートの屋上でのフリーコンサートだった。

日野照正さんのグループとのカップリングライブで二、三局しかやらなかったかな。

実はこれが僕のジャズの生ライブ初体験でありまして、それまでラジオやレコードでしか聴いたことのないジャズを生で初めて観たのであります。

ビールとジャズは生に限る!という言葉がある通り、その時の体験は衝撃的で何しろ貞夫さんも日野皓正さんも当時の日本のジャズの最先端をゆくトップグループだったのですごい演奏をしていた。日野さんは確かニューヨークに行く直前のライブでしたね。

 

そんな衝撃的な貞夫さんとの出会いの次に観たのは大学の学祭に貞夫さんのグループを呼びその時はコンサートの裏方にも入っていた僕はすごくいい席で貞夫さんを観ることができた。

当時は確かフュージョンに行く直前の演奏スタイルをしていたように思う。

コンサート後は当時の渡辺貞夫クァルテットのピアノをつとめていた本田竹広さんが僕らの出店していたジャズクラブへ遊びに来てくれて、良同士セッションをしたのを覚えている。

 

問題はそこから半世紀弱の間だ。

カリフォルニア・シャワーというフュージョンアルバムを出してからの貞夫さん音楽スタイルに僕が興味を失ってしまって以来全く観に行こうという気持ちも起こらず今まで来てしまった。

映像の仕事をしている頃に何処かでお会いしたような気もするのだけれど、ライブを見た記憶は湧いてこないからおそらく大学生時代以来の渡辺貞夫クァルテットを見ることになったのでありますね。

 

そんな風におよそ半世紀の時の流れを振り返りながら待っているとやがて開演のアナウンスがあり客電が落とされステージに貞夫さんがメンバーを引き連れて現れた。

少し猫背になってひとまわり小さくなったように感じたけれど元気にスタスタと歩いてステージに現れたその姿は91歳のおじいちゃんには見えなかった。

小さくなったと感じたのも他のメンバー、特にベースのヒトが大きかったのでそう感じたに過ぎなかった。

 

ステージ中央まで来ることもなくおもむろにソロでサックスを吹き始めた貞夫さん。

8小節吹いたところからバックのピアノトリオが入る。

曲はホレスシルバーのpeaceだった。

 

どうせビバップの曲から始まるんだろうくらいに考えていた僕は驚いた。60年代後半のバップから次の時代へ移る時期の作曲者ホレス・シルバーにとっても新しいスタイルを模索していた時期の曲だったからだ。

 

貞夫さんのサックスは想像以上に朗々と鳴り曲を歌い上げる。音色も美しい。

演奏が終わると曲紹介のMCをご自身でされて「ウクライナの戦争が始まってからは必ずこの曲から始めています」と言っていた。

貞夫さんの平和を願う気持ちのにじみ出た素晴らしい演奏だった。

 

二曲目は50年代の曲ローラ(laura)

美しいバラード曲をミディアムハイの軽快なテンポで演奏する。

アドリブの貞夫節は健在で長いブレスも難なくこなし全く年齢を感じさせない。

目を閉じて聴くとそこに91歳のおじいちゃんの姿は現れなかった。

 

三曲目以降は曲は古目の曲だったけれど、比較的マイナーな曲を新しいアレンジで演奏が続く。

 

バックのピアノ、ベース、ドラムも素晴らしかった。

いずれも貞夫さんから見たら子供くらいの年齢の若いメンバーでピアノは小野塚晃、長身のベースは須川崇司、ドラムスは竹村一哲というメンバーで不勉強な僕は初めて観るミュージシャン達だったが演奏の腕前はさすが貞夫さんのバックをつとめるだけあって超一流、リズムのキレ、コードワーク、音使いなど素晴らしい。

自分のソロを吹き終えた貞夫さんは左手をポケットに突っ込んで舞台袖に歩いていき上着を脱いでから三人の演奏を嬉しそうに見ていた。

親分が弟子達の生き生きとした演奏を目を細めて見ている感じで微笑ましい。

そして自分の出番が近くになると舞台中央に戻ってきて吹き始める。

カッコ良かった。

音色が素晴らしいし音のパワーがやはり年齢を感じさせない。指も動きまくっている。

その姿を見ていたらシロートではあるけれど同じサックス吹きの僕には「おまえなにやってんだよ!ちゃんと練習しろよ!」と叱られた気分だった。

 

前半で5〜6曲、およそ一時間の演奏だったがいずれも古臭い演奏は全くなく、今の貞夫さんの最新の音楽を聴かせてくれて感動した。

91歳でこの時間をサックスを首にぶら下げてステージに立ちつづけるというだけでも凄いことなのに。

 

一昨年93歳で亡くなった僕の父親の晩年を思うとすごすぎる。

昨年ラジオ番組に出ていた貞夫さんが日常のことを話していたのを覚えているけれど、健康管理と練習にはシビアに取り組んでいるという話だったのもうなずけた。

 

 

15分間の休憩を挟んで後半はブラジルの曲をメインに自己のオリジナル曲を交えて一時間吹き切った。

最後はノリノリの演奏で会場は拍手で合わせるが、観客もジャズファンが占めているようで良くある頭打ちをする人はいなくちょっと感動する。

 

曲間のMCで作曲者達との思い出を短く語る貞夫さんの話も面白かった。チャーリー・マリアーノ、バーデン・パウエル、アントニオ・カルロス・ジョビン、高柳昌行などかつての仲間達は皆すでに天国に行ってしまってるのだが、貞夫さんの話からは良き思い出を語っているようで寂しさや悲しさは感じられなかった。

 

アンコールはビアのとのデュオで美しいバラードを吹いてコンサートは終わる。

曲名はわからなかったが聴いたことのある曲だった。

 

会場から出て駐車場に向かいながら、僕はとても清々しい気持ちでいた。

想像していた以上に若々しい貞夫さんの音楽に励まされていい気分だった。

また一流どころの演奏の素晴らしさを堪能できたことも刺激になった。

 

貞夫さんはこの後も月一ペースで各地を周りコンサートをするらしい。

いつまでも元気にサックスを吹く姿を僕らに見せてください。

 

 

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2023年11月10日 (金)

旧友たちとジャムセッション@法政大学ジャズ研OB会2023

大学時代はジャズ研究会というところに所属していました。

というより、ジャズ研に入りたくて大学受験をしたようなもので、大学の選定をする際にはとにかくジャズ研のある大学から選んだのでありますね。

高校二年生の時にジャズに出会って以来、僕はジャズに夢中になって、当時は今よりたくさんあったラジオのジャズ番組やすくない小遣いを貯めて買ったレコードを磨り減るほど聴いたり、友達と貸し借りしたり、ジャズ喫茶に出入りしたりしてとにかく朝から晩までジャズを聴いていたのですね。

そんな生活をしていたから現役での大学受験を失敗した上に一浪目は予備校に通いながらも予備校の近所のジャズ喫茶やレコード安売り店に出入りしていることの方が多く必然的に二浪コースを辿り、流石に二年目は新聞配達をしながら真面目に勉強してようやく大学に入れたのですが、この時も試験問題に受験勉強中にやったことのあるのと全く同じ問題が出るという大変ラッキーなことがあり運良く大学に入ったという次第。

 

大学に入ったら入学式も出ずに学校に直行し当時は学生会館という学生の自治会やサークルの入っている建物に向かった記憶があります。

ジャズ研に入った僕はテナーサックス を本格的に始めようとしたのですが、ところが期待を裏切るように先輩たちは酒ばっかり飲んでいてジャズの研究をしていないではありませんか。という風に当時の僕には見えた。

もちろん楽器の上手い先輩たちもいて、そういう人たちは夜に仕事で演奏したりしていてあまりサークルに顔を出さなかったような気もする。

時々練習の仕方を教えてもらったりした覚えもありますが、何と無く見よう見まねで練習をしていたのでなかなか上達しなかった。

 

本気で楽器をやる仲間はヤマハの音楽スクールに通ったりして腕を上げていったのに僕はそれもできず置いていかれていった上に三年生の時に楽器を盗まれてしまうことなども重なり次第と楽器から離れてしまっていたように思います。

社会人になってから中古のテナーを買い直したものの仕事をしながら練習するというのもままならず、時々ジャズ県時代の仲間と集まって演奏したりもしましたが長続きしませんでした。

 

そんな中途半端な自分のジャズ人生が変わったのはこの十年くらい前のこと。

病気で仕事に就けなくなり時間がたっぷりできたので楽器の練習を真面目にやるようになったんです。

たまたまその頃にiReal proというジャズの伴奏をしてくれるソフトが登場したのも大きく、一人でバンド練習ができるようになって俄然やる気が出たし、少しずつ上達もしていった。

そしてまた、ちょうどその頃にジャズ研の先輩たちが年に一度集まってジャムセッションをやるOB会というものをやっていることを知ったのでありました。

 

当時は毎年真夏に長野県は安曇野の松川村という所にある先輩の経営するスペイン料理店パンプローナというお店に夕方集まり、夜の九時頃まで演奏しながら美味しいスペイン料理をいただき酒を喰らうというなかなか素晴らしい企画だったので、ジャズ研の僕の世代としては一人で先輩たちの中に乗り込んでいったのが始まりでありました。

数年前からのコロナ禍で何年かのブランクがあったのですが、今年はようやく再開ということで出かけてきました。

というのが長い前置き。

 

今年から数年ぶりに再開したOB会は色々訳あって夏から秋に季節を変えての合宿になりました。

10月末の月曜日の夕方集合というので少し早めの午後三時頃に到着したらすでに太鼓とベースの二人がセッティングを終えて音を出していた。

みんな楽しみで仕方ないんだなあ、というのがよくわかる。

僕も楽器や譜面台を取り出してセットしていると三々五々先輩たちが集まってきて久しぶりの再開に声をあげたりしたのでありました。

 

今回はOB会ではいつもセッションを仕切るプロのギターの方が病欠となりコード楽器がパンプローナの店主一人という大役を背負ってしまったのでありますが、時間になるとお店のユニフォームのままにギターを手に取り演奏の始まり始まり。

 

最初はみんな出たがらないので目立ちたがり屋の僕がベースとドラムを引っ張り出してまずは一曲。

仲間内のセッションだといつものお店でのセッションのように緊張しないから不意義なものです。

今回はサックスが三人、ベースが三人、ヴォーカル三人、ドラム一人、ギター一人、とベース以外のリズム隊は一人しか居ないので出ずっぱりになってしまうところを、うまく調整して演奏が進みます。

 

今回のスターはアルトサックスのT先輩。

この方この数年先生についてサックスの練習を重ねただけあって、以前は楽器を持ってきても吹かないで寝てしまうことの方が多かったのに、今回は出ずっぱりの大活躍。

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同じアルトでプロはだしのU先輩は最初はTのことをおちょくっていたのに次第にそれも少なくなり最後は共演して終わるという盛り上がった展開となりました。

僕も何曲か吹いたけれど後でビデオにとったのを見たら反省点ばかり。でもそれでいいの。

反省してこその進歩があるっちゅうもんです。

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みんな60代後半から70代になろうという言ってみれば老人の集まりなのですが、楽器への想いは熱くまたその演奏を介して旧友と会話し交流することの楽しさをよ〜く解ってらっしゃるんですね。

この晩はお店近くの宿に泊まって翌朝再びお店に合流したところで僕のエノカフェ安曇野店を開店してコーヒーを飲んで記念写真を撮って解散となりました。

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この年齢になると残りの人生だってそんなに長くはないし、体調もいつどうなるか分からないので来年の再会を誓う声にも気持ちがこもります。

また来年の秋にもっとたくさんの先輩後輩が集まれたらいいなあ、そしてこの先も末長くやりたいものだと思いながら安曇野を後にしたのでありました。

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2023年10月28日 (土)

ジャムセッションは楽しいのだ!@希望ヶ丘CASK

釣りやバイクの合間を見つけてはジャズのへボサックスの練習を続けているのでありますが、家で一人練習をするだけじゃあ物足らない、何か励みになる目標というものが欲しいものであります。

そんな中で比較的近い街、相鉄線の希望ヶ丘駅のすぐそばにあるCASK(カスク)というお店で、毎月最終水曜日の夜に楽器を持っていけば吹かせてもらえるジャムセッションをやっていると昨年の春くらいに知ったので、昨年6月に初めて参加してみたのでありました。

ジャムセッション、というのは予め演奏する曲やメンバーを決めておくこと無く、その場にいるメンバーでこんな曲やりましょ、とその場で決めたものを演奏するもので、ジャズの場合はある程度スタンダード曲といういわゆる定番曲があるのでその中から選んだ曲を簡単に構成を決めて演奏するのであります。

一緒に仲良く演奏しつつも腕試しをするといったらいいかな。

セッションには毎回顔を連ねる常連の方が何人かいらっしゃるものの、当日集まるメンバーはその日になってみないと分からない。

 

 

初めてカスクのジャムセッションに参加した時は人前で演奏するのが数年ぶりだったこともありたいそうビビってしまい、ただでさえヘボサックスなのにボロボロの演奏しかできなかったのでありました。

その後は毎月参加して自分の根性を叩き直しついでに腕も少しでも上がればと思いたったものの、釣りやら何やらで昨年から今年にかけてはバタバタしているうちに時はサラサラと水のごとく流れてしまい一年近くが経ってしまった。

今年の春くらいになってようやく落ち着いたので今年5月に2度目のカスクのジャムセッションに参加をしたものの、間が空きすぎたので昨年の初回と同様ビビって何もできなかった。

それでも毎月行こうと決心し直したのでありますが、本ブログにも書かれているようにあちこち遊びまわって疲弊し体調を崩したり、コロナに感染したりでようやく9月のジャムセッションに参加することができたのでありますが、あいかわらずのヘボサックスながら幾らか場慣れはしてきた感じがしたので今月もその勢いを絶やさないようにと間を空けずにと出かけてきました。

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ここのお店のジャムセッションで司会進行のホストをするのはプロのベース奏者の田中洋平さんと同じくプロのピアノの上長根明子さんで、参加メンバーの仕切りは田中さんがやっておられる。上長根さんはピアノのセッションのメンバーがピアノを弾いている時はすっかりお店の店員さんよろしくオーダーを取ったり運んだりして忙しそう。

集まった人をうまくさばいて組み合わせて進行をする田中さんも大変な仕事なのでいつも感心させられます。

プロ二人が演奏のバックをガッチリ固めてくださるので、参加のアマチュアメンバーやフロントのラッパ陣(僕のことね)が多少ヘマしようが、よれて吹こうが、はたまたどこを演奏しているか分からなくなろうがなんとか最後まで演奏をやりきることができるというわけ。

毎回参加者はたくさん来ていて店の席が埋まってしまうほど、今回も満席で立ち見のお客さんが出る程の人気ぶりなのであります。

そんな中で名前を呼ばれて人前で演奏するのはやっぱりビビってしまうのでありますが、そこは酒の力を借りて、「ええい!どうにでもなりやがれ!」と開き直って出て行ってサックスを吹くのでありますが、やっぱりどうにもならない。

やりたいことの半分もできずに演奏し終わった後はガックリするのでありますが、ほかのミュージシャンの演奏がとてもためになるので、そこはしっかり聞き流すことなく聞くのでありました。

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演奏する曲もその場で決まるので、必ずしもやったことのあるものばかりではないので、さらにビビるのでありますが、ビビってばかりじゃ先に進まないので、なるようになれ!とここでも開き直ってやるのですがこれがいい勉強になる。

流石にどうにも僕のヘボサックスではお手上げの曲の時には呼ばれても断りますけれどね。

今回はアルトサックスの上手な人がいてすごく良かった。まだ30代くらいの若い人だったけれど僕もあのくらい吹けるようになりたいなあ、などと刺激されたりもするのでありますね。

こんな感じで、これからも毎月通って、毎月自分なりにテーマを作ってやっていこうと思っているのであります。

もし、本ブログをお読みのミュージシャンの方でご一緒することがありましたらよろしくお願いいたしますね。

見学だけもできるのでご興味がある方は見にきてください。

毎月最終水曜日の午後7時半から11時頃までやっています。途中入場、退出可なのでお気軽にどうぞ。

 

CASKのママさんはミュージシャンの間でもとても評判のいいミュージシャンに手厚い優しいママで、僕もこの人の笑顔を見ていると気持ちが穏やかになる。

何度目かで顔も覚えていただいたようなのでこの先もいいおつきあいをして行きたいなあ。

何よりも、身近にこういうお店があること自体がとてもラッキーなことなのでこれを生かさぬ手はないとココロに命じるのでありました。

 

 

※ 写真はお店の SNSから拝借したものを解像度を下げて使用しています。

ブログ掲載の文章、画像の無断転載は禁止です ©️enos1091 All rights reserve

2023年8月28日 (月)

マッコイ・タイナー@Enlightenment

ものすごく久しぶりにジャズネタであります。

それも大昔のレコードの!

マッコイ・タイナーファンであれば間違いなくご存知であろうアルバム、エンライトゥンメントであります。

このレコード(CD・その他)は1973年のスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音で、エンライトゥンメント組曲と銘打った組曲構成なのは皆さんご存知の通り。

長〜い演奏は当時二枚組のLPレコードの四面にこれでもか!というくらいいっぱいいっぱい録音が刻まれていたのでありますね。

僕はこの録音のCDは聞いたことがないのですが、LPレコードでは二枚組になっていました。(おそらくCDなら一枚に入りきったのかな)

なんたって長〜い演奏なのでちょん切らずには片面25分くらいしか入らないLPレコードには入りようがないので四分割され他レコードを我らレコード世代は聞いていたのでありますが、その評価はというと、まあごく一部の身の回りの評価と僕自身の印象なのですが、一曲目と最後の曲はまとまっているけれど他の曲がどうも演奏内容は良いにも関わらず散漫に聞こえてイマイチの評価だったのでありますね。

 

あれから50年。

半世紀経った本日、ふとコロナになってレコードやCDを買いに行けなくなったことから入ったSpotifyで聴いてみようという気分になり聴いてみました。

 

すると!以前持っていた印象とは大違い!

ワンステージの構成、演奏共に素晴らしいじゃあありませんか!

こんなに素晴らしい録音を低評価していた自分を強く反省すると共に感じたのは録音メディアの発展というものなのであります。

 

僕が初めてこのレコードを手にした時はLPレコードで聴くかカセットテープへのダビング、または当時のお金持ちオーディオ・マニアならオープンリールテープに録音し直して一気通貫で聴く、というくらいしか視聴方法はなかったんですね。

オープン・リールテープなら片方向で90分くらいの市長はできたのかもしれませんが、多くの人はレコードで聴いていたと思われるのですね。

 

問題はこのレコードの曲の割り振りなのですが、司会によるメンバー紹介から始まりパートⅠからパートIIに始まったあたりでフェードアウトされて裏面はフェードインから始まるというLPの構成になっていたんです。

 

レコードっちゅうものは昔のヒトは当たり前に知っているけれど、片面が終わったらレコードをひっくり返す、という手間と時間が必須だったのでありますね。ここでどうしても片面の音楽が完結して次の面に移るというのが脳みそに染み込んでいたのでありまして、レコード制作者側もその辺を分かって曲の割り振りを考えていたと思われるのであります。

LPレコードが曲の寄せ集めではなく一枚のアルバムとして成立させるにはここが大変重要なキモになるわけで、例えばビートルズのサージェント・ペッパーズなどはその辺をよ〜く心得てA面からB面に移っていくのは皆さんもご存知ですよね。

ジャズの世界ではさらに前の1950年代後期のマイルス・デイビスのカインド・オブ・ブルーあたりからこのようなことが行われていたと認識しているのでありますが、このエンライトゥンメントに関してはその辺りがとてもおざなりにされていて、演奏の途中でフェードアウト、フェードインというのをイージーにしてしまったのがこの演奏全体の評価を大きく変えてしまったのではないかということを半世紀もたった本日、強く感じたのでありました。

 

思い返せばキース・ジャレットのソロ・ライブなどをみると最初の三枚組のソロあたりは途中フェードアウト、裏返してフェードインがあった気がしますが爆発的人気のケルンコンサートでは贅沢に曲ごとにLP片面を使うことで演奏の臨場感を損なわないようにしていたような。

当時ケルンコンサートのLPを手にして片面の半分くらいしかデータが刻まれていない盤面を見ながら「もったいない」と思った僕が間違っていた!

ライブ音源は演奏の途中で切ってはならないということをこの年になって痛感したのであります。

 

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2021年2月13日 (土)

チックコリアの死に当たって思うこと

昨日2021年2月12日、昼のニュースでチックコリアの訃報が突然飛び込んできた。

亡くなったのは現地時間の9日らしい。

チックといえばつい先日までフェイスブック上で自己の練習風景やセミナー、ワークショップなどやっていたのであまりに突然の死だった。

ニュースによれば最近珍しい型の癌が見つかっての死だということで、おそらくチック本人にとっても突然の死だったのではないだろうか。

僕にとってはつい先日まで付き合ってた友人が突然逝ってしまった、というような感覚。ショックと悲しみに突然襲われて声も出なかった。

これまでも様々なミュージシャンの訃報を聞いてきたがこれほどまでにショックだったことはない。

 

その日の午後にはチックのアルバムを聴き返して僕にとってのチックコリアを振り返ってみた。

僕が初めてチックを聴いたのはおそらく、FMラジオの番組テーマで使われていたゲイリー・バートンとのデュオだったと思う。

僕がジャズを聴き始めたのは丁度チックを有名にしたリターン・トゥ・フォーエバーが発売された頃で、世の中ではラ・フィエスタがたくさん流れていたと思うのだが、当時の僕は電気ジャズにはあまり興味がなくて、それをジャズとして認めてさえいなかったので殆どチックを無視したような格好になっていた。

それでもチックの名前は有名で一枚は聞いてみようとチックのアルバムを買う。それは邦題が「第七銀河の賛歌」というアルバム。

なぜこのアルバムを買ったのかよく覚えていないのだがジャズのアルバムとしてというよりは、当時好きだったソフトマシーンなどのプログレの延長的なイメージで買ったような気もする。

ところが買って聴いてみて、そのエレキサウンドが理解できなくてがっかりしてしまった。期待していたサウンドとは全く世界が違っていたからだろう。

そしてろくに聴かないでディスクユニオンに売ってしまった。自分の買ったレコードを手放したのはこれが最初で最後かもしれない。

チックとの出会いはそんな不幸な出会い方だった。

その後まもなく、偶然やはりFMラジオの油井正一さんの番組、アスペクト・イン・ジャズでチックコリアの特集をやったのを聴いて、一発でチックが好きになったのは初期のアコースティックものだった。

間も無く小遣いをはたいて買ったのが Tone's For Joan's BonesとNow He Sings Now He Sobsの二枚。

この二枚を毎日のようにかけて聴きまくった。

 

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それまで夢中で聞いていたコルトレーンやドルフィーに取って代わるようにこの二枚をよく聴いた。

チックのピアノはそれまで聴いていた誰よりもモダンでカッコよかった。スピード感や音のキレも素晴らしくすっかりチックファンになる。

特にNow He Sings ではドラムのロイ・ヘインズも素晴らしく、夢中になって聴いたのを覚えている。

そしてこう高校卒業後、バイトで小遣い稼ぎができるようになって買ったのが、Solo Improvisation Vol1,2の二枚、そしてCristal Sience。

この二枚はどちらかというと静かなチックコリアを楽しめる二枚で、前に買った二枚とは違った楽しみ方ができた。

澄んだきらきら光るような音色と粒立ちの良さ、美しいメロディに酔いしれた。

 

当時はソロ・ピアノ・ブームというのがジャズ界に起こっていて、様々なミュージシャンのソロ・アルバムが発売されたが、最も好きだったのがチックのアルバムで、毎週日曜日の午前中はこれを流して爽やかでゆったりとした時間を楽しんでいた。

話はちょっと脱線するが、このピアノ・ソロ・ブームを牽引したのも71年発表のチックのSolo Improvisation、それからキース・ジャレットの73年と75年のソロ・コンサート(特に後者)ではなかったのではないか?

僕の好み的にはこれにダラー・ブランドとアンドリュー・ヒルが入ってくるのだが。

 

話を戻そう。

人気者になったチックに関する当時のジャズ記事などを読むと必ず彼がスペインの血が入っていることがサウンドに影響していることが書かれており、彼本人へのインタビューでも再三そのことが話題になっていた。

それらの記事や本人の返事を見ると、チック本人はあまりこの話題を好んでいなかったように感じたのは僕だけだろうか。

スペイン系だから、と言われるのを嫌がっていたように思うのだ。

それがLight as a Featherでスペインという曲を演奏したあたりから彼自身このことに開き直ったように自分の中のスペインの血を前面に出した音楽を作っていったような気がする。

その後にはMy Spanish Heartも作っているし。

 

それはさておき、僕自身はフォー・ビートのチック、というよりアコースティックのチックファンになった後でジャズ全般にちょっと飽きてフリージャズばかり聴くようになってしまったので少しの間チックへのブランクがあった。

チックのやってるフリー・ジャズバンド、サークルは聴いていたが当時の僕はもっとハードなフリー・ミュージックが好みだったのでサークルは今だに手にしていない。

そして、浪人後晴れて大学に入ったら、時代はクロスオーバー時代に突入していた。

世の中のジャズはどんどん電気化していて、周り中が電気化ジャズ、ピアニストは誰もかしこもフェンダー・ローズを弾いていた。

しかし僕は当時、頑固にフリー贔屓だったのでクロスオーバーはただのBGM的扱いで真面目に聴き込むことはなかったのだった。

チックの電気音楽が本格的に好きになったのは、社会人になってオーディオ・ショップに務めていた頃からだ。

毎日朝から晩までハイ・ファイ・オーディオで様々な音楽を聴いているうちにフュージョンと名前を変えていた電気ジャズが好きになって行った。

当時はフリー・ジャズにも飽きてきていたしオーディオ・ショップでフリー・ジャズを流すわけにも行かなかったし。

ともかくも、音楽を鳴らすのが商売だったので一年中音楽に浸りっぱなしの生活だ。稼いだお金でチックの新譜が出るのが待ち遠しいほど、出れば買ってお店でも自宅でも聴くという日が続く。

当時好きだったのはSecret Agentフレンズというアルバムですね。フレンズの方が古かったか?学生時代に買った気がする。

Secret Agentは自由自在に音を操るチックの魔術のようなアルバムで何度も聞き返した。フレンズはドラムスのスティーブ・ガッドの演奏も素晴らしく音楽的に聴きやすいながらやってることは超絶的技術の良さもあり毎日聴いていた気がする。

このころが最もチックに近い生活だったかな。

その後結婚したり仕事が変わったりして、しばらくはジャズから遠のいていたが、ライブ・アンダー・ザ・スカイでチックが来た時には見に行った。

その時はエレクトリック・バンドとハービー・ハンコックとのデュオを聴いて感動した。

 

次にチックに目が向いたのはアコースティック・バンドを始めた時。

久しぶりに聴くチックの生ピアノのトリオに酔いしれた一方で、このころのチックはもうやりたいことを大体やりきってしまったような感じも受けていた。

僕自身がチックの音楽に飽きてしまっていたのかもしれない。といよりもジャズを聴く機会自体がこの頃は少なくなっていた。

30代から40代にかけては釣りとスキーに夢中になっていたし子育てや仕事に追われてそれどころではなかったということもあるのだろう。

次にチックがぐんと身近に感じられるようになったのは、仕事で一緒になった元音楽事務所で日本にチックを招聘していた方と働くことになったことだった。

Hさんというその方から、チックの舞台裏話などをたくさん聞かされて、すごくチックのことが身近に感じられるようになり、彼の音楽にも再び触れる機会が多くなっていった。

その方はチックとはお友達で日本にくるたびにコンサートに顔を出しては挨拶している方で、超有名ジャズ・ミュージシャン友達もたくさんおり僕にとっては夢のような生活をしている方だった。

その後の僕は体調を大きく壊して隠遁生活からリハビリ、そして今の釣り師&アマチュア・サックス吹きとなるのだが、チックが身近になったのはつい昨年の事。

コロナ禍で家に閉じこもる生活の中、チックがフェイス・ブック上で毎日自分の練習風景をアップしているのを見るようになってからだ。

自宅での彼の練習する姿を見るのは楽しかったし、自分にハッパをかけられているような気もして僕自身も少し真面目にサックスを練習するようになった。

五月頃に始まったそのチックの練習は、やがてオンラインレッスンやワークショップのような形になりながらもついこの間まで続いていた。

 

そんな中で、最近はあまり更新していないなあ、と思っていた矢先に訃報が飛び込んだものだからショックは大きい。

冒頭にも書いたように親しい友人が突然死してしまった時のショックに似ている。現実と受け止めることができないのだ。

そんな中で自分とチックとの関係を整理する意味でこの文章を書いてみた。

悲しみは時間とともに少しづつ言えて行くのだろうけれども、チックの音楽と僕の付き合いは永遠だ。すでに彼の曲を演奏するという形で彼は僕の中にも息づいている。

おそらく世界中のチック・ファンの心の中にも同じように彼は生き続けて行くのだろう。

あらためて、ここにチック・コリアさんのご冥福をお祈りいたします。

 

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2021年1月15日 (金)

サックスに夢中

昨年末からサックスの練習に夢中になっている。

これまではたまに取り出しては吹く程度の練習で、当然腕の方も一向に上がらなかったのでありますが、昨年末、ちょっとしたお手本になる演奏を耳にしたのと、その演奏をお手本に練習することで、効果的な練習の仕方がやっとこの歳になって分かってきたというのがその理由。

サックスを初めて買ったのは高校三年、いや浪人中だったかな?

はっきりしないのだがそのくらいの歳の時に高校の同級生からヤマハの一番安いテナーサックスを譲り受けたのだった。

 

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そして、大学ではジャズ研に入り、というより、ジャズ研のある大学を選んで進学したのだが、ともかく無事に我が青春の夢のジャズ研に入りジャズ三昧の生活が送れると思ったのだが、これが大きな誤算で、当時のH大ジャズ研は僕の目から見れば堕落しており、ジャズの研究よりも酒飲みに熱心で、ジャズに詳しい先輩もあまりいなかったし、一部の演奏が上手な先輩たちはプロを目指して、サークルから少し距離を取っていたようにも見えた。

そんな中でも何人かの先輩に色々教えてもらいながらロング・トーンから始まりスケール練習など日々やっていたのだが、一方で当時僕の大好きだったフリージャズをやりたい衝動もあったところに、ニュージャズ・シンジケートというフリージャズ集団がH大を本拠に活動しており、その運営を担っていたのが我がジャズ研でもあったことから、先輩にフリージャズ演奏に誘われて、初心者なのに無理やりライブハウスに出されてしまい大恥をかいたり、フリージャズの本当の難しさを理解したり、ニュージャズ・シンジケートの演奏にも物足りなさを感じたりと、己の腕前を棚に上げながら、なんとなく煮え切らない大学ジャズ研の日々を過ごしてしまったのでありました。

サックスの方は、一年生の夏休みに大塚のクラブでバイトをした金でセルマーの中古を買ったものの、四年生の時にちょっと罰当たりなことをした報いを受けて盗難に遭ってしまい吹く楽器がなくなってしまった。

楽器を盗まれるまでの間の練習も師となる人がいなかったのと、自分の勉強不熱心さがたたってコード進行に合わせてアドリブを取ることがうまくできなかったし、どうやって練習したらいいのかもわからなかったのが正直なところだ。

うまくなる人は、ちゃんとした先生についたり、いい演奏をバリバリにコピーして演奏法を身につけて行ったのだろうがそういう努力も怠っていた。

ちょうど四年生の頃には大学の学内も学生運動の意見の対立が全共闘と自治会(中核派)との間で起こり、のんきに楽器を吹いている状況ではなくなってしまったこともあり、サックスの練習どころかジャズからも心が離れてしまっていたように思う。

今振り返るとなんだか不遇のジャズ研時代のようにも思えるのだが、基礎になるスケール練習はそれなりにしたし、楽器もなるようになっていた(自分ではそう思う)のでそれなりの成果はあった。でも四年かけての成果としてはあまりに乏しいということだ。

社会人になって小遣いが使えるようになってすぐにまたセルマーのテナーサックス を中古で買った。

それが今も使ってるサックスなのだが、もう見た目はサビサビ、ボロボロのボロサックスなのだが世の中ではこれをビンテージサックスというようで、いま買おうとすると物によっては百万円くらいするらしい。

 

社会人時代は三十くらいまではよく練習していた気がする。ジャズ研時代の仲間とスタジオを借りてセッションをしたりもしていた。

三十代を過ぎた頃からは仕事が多忙を極めるようになったのと夏場のバス釣り、冬場のスキーと夢中になるものができてしまったのでほとんどサックスはケースにしまったままになっていた。

その哀れなサックスを吹くようになったのはここ数年前から、もう還暦近くなって人生の先が見え始めたジャズ研仲間が同時多発的に楽器の練習を始め集まってセッションをし始めたからだ。

月に一度集まり、あらかじめ決めておいた曲を演奏するのだが、腕前を無視した難曲を、やりたい!という一心で取り上げるという変なセッションだがいい勉強になった。

僕もこの頃からコード進行とスケールの関係がやっとこの歳になって理解できるようになり、少しずつではあるがスタンダード曲なども吹けるようになってきたのでサックスの練習も楽しくなり、昔からずーっと欲しかったソプラノサックスまで中古で買って、これの練習に励んだりもしていた。


そして、長々と話してきた結果として、最近サックスの練習に熱が入るようになった。

きっかけはコロナの感染拡大で外に出られなくなったこととなのだが、久しぶりに取り出して吹いたテナーサックスを吹いているうちに、ちょっとコピーでもしてみるかと、いい題材を探しているうちに良いお手本が見つかったのだ。

それをコピーしていたら、練習の効果的な方法にもやっとこの歳になってたどり着けた!気がする。(^_^;)

ともあれ、今は吹いているのが楽しく、楽器もどんどん鳴るようになってきたし、自分の思うように指も動いてきたので楽しくて仕方ないのだ。

しかし、飽きっぽい僕はこれもまたそのうち飽きてしまうのではないかと思ったので、一つ目標を立てた。

 

それは初めてジャズを聴いた歳からちょうど半世紀、50年目にあたる二年後までに自分のスタイルである程度、いや思うままにサックスが吹けるくらいまでにうまくなって置こう、というもので、いわば、自分のジャズ人生の一つの締めくくりをしたいと思ったのだ。

六十才も過ぎると指はバネ指などで動かなくなってきたし、みるみる肉体的な衰えがあるのを真に感じるのでグズグズはしていられないのだ。

二年後にはコロナもそれなりに落ち着いてみんなで集まり一緒に演奏をすることもできるだろう。

それまでに、自分の納得いく演奏ができるように、ステップを計画してやって行こうと決意した。

これまでの、いつかは吹けるように、という漠然としたものから具体的な期限を設けたことで自分の中の意識が変わった。

時間はあるようで無い。一日一日やるべきことが見えてきた。さらに一月後の目標。半月後の目標も見えてきた。

ということで、コロナ禍が僕にはいい方向のベクトルに動いて人生を見つめ直し、新たな目標ができたというわけ。

 

まあ、そういいつつもプロの方のように吹けるようになれるとは思わないので、それなりの目標なんですけれどね。

コロナ禍のこういう状況でも気持ちの切り替えで前向きにいくことができるようになったというお話でした。

 

 

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2020年10月28日 (水)

生演奏のキモは音の肌触りなのだ!@岩見淳三&伊勢秀一郎Duo

コロナ禍でライブハウスがどこも閉鎖されてしまっているこの半年だが、9月頃から徐々に感染対策を取りながら開店する店も増えている。そんな中でジャズギタリストの岩見淳三とトランペッターの伊勢秀一郎のデュオが行われるという案内がきたので、久しぶりのライブにワクワクしながら、一方で半年ぶりに電車に乗るのにビクビクしながら出かけてきた。

場所は神楽坂にあるライブハウスではなく画廊で行われた。地下鉄東西線神楽坂駅から歩いて五分ほどの静かな住宅街を歩く。

eitoeikoという名前のそのギャラリーは住宅から隠れるように細い道を入った突き当たりにあった。

外から見たら中は白い壁に明るい照明で明かるくジャズをやる感じの雰囲気でなかったので、本当にここでやるのかしら?と恐る恐るドアを開けて覗き込んだらギターを持った岩見がいたので安心する。ちょうどリハが終わった後のようだった。

 

中に入るとちょっと不思議な光景で、学校の教室のような小さなテーブル席が互い違いに置かれていて、四角いテーブルの上には三方を囲んだシールドが立てられている。

ミニライブにおけるコロナ対策はこういうことになってしまうのかぁ、と感心するやら驚くやら。でもそのレイアウトが壁にかけられた六角形のキャンバスに描かれた抽象画といいコラボをしているところが画廊さんのセンスのいいところだった。

ビールを飲みながら絵を見ていてしばらくすると釣り仲間のKHKさんとKさんがやってきた。

Kさんは9月に初めてサンライズ遠征でお会いしたのだが、縁あってギターの先生として岩見を紹介したところから急速に仲が接近した友達だ。

この日は岩見に連れられて中古のギターを買いに行ったらしい。大きなギターケースを手にしていてなんだかミュージシャンみたいでカッコよかった。

 

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やがて時間がきて演奏が始まる。この日の演奏はマイクなしの全くの生演奏だった。

岩見のギターのイントロから伊勢のトランペットがなった瞬間鳥肌がたった。

生の楽器から出てくる生々しい音色に息遣い、そして、そこからは音の肌触りのような繊細な感触が伝わってきた。

 

この数ヶ月間、コロナ禍で自宅内での生活の多くを音楽と共に過ごしてきた。

4月に配信音楽を聴き始めた僕は、これまでだったら購入に手を出し切れないミュージシャンからジャンルの音楽も含め様々な音楽を聴き漁っていたのだが、何か満たされなかった。その理由が分かった。どんなにオーディオにお金をかけてもこの音の肌触りまでは再現してくれないのではないかと感じたのだ。

アナログ・ハイ・ファイ絶頂期の1980年頃のアナログシステムであったならそれは可能だったかもしれない。しかしデジタル化により切り刻まれてノイズを排除してしまった音からは、いや、マイクやPAシステムを通した音からこの肌触りは感じられないので、アナログ、デジタルは関係ないのか?とにかく音色な音の息遣いのさらに上にある音の手触りのようなものを感じられてゾクゾクしたのだ。

これは唇の振動が音に変換されて出てくる管楽器特有のものなのかもしれない。

ギターも指と弦が擦れる音まで聞こえるくらいの目の前で聞いたらそれを感じることができるのかもしれない。

人のコミュニケーションは、文字で思いを伝える、表情や言葉を交わす、抱き合うというように接近するほど親密なものになり、互いの中は深まる。

音楽は楽器の音が聞こえる、楽器の音色の違いがわかる、そしてその先にあるのは音の肌触りが分かることでミュージシャンの思いをより深く感じられるという事なのかもしれない。

もしそうであるならば、最もミュージシャンの気持ちと自分の間が近く感じられたのが今回の生演奏であった。

 

実は、この日の午前中は持病の鬱病がムクムクと首をもたげて来ていて、このライブに来るのを断る理由ばかり考えていたのだが、そんな気分はこの音で一気に吹き飛んでしまった。

演奏した曲はジャズのスタンダードから岩見のオリジナル曲など5曲ほどを2セット合計10曲ほどだった。

酔っ払って曲名はほとんど忘れてしまったのだが、岩見の最新曲「雨音」という曲だけはよく覚えている。聞いていて雨音の落ちる情景が目にうかぶ曲なのだが写実的というよりも印象派的な曲で素晴らしかった。

 

全ての演奏が終わると、僕は実に爽やかな気分になり午前中の鬱のことなどすっかり忘れていた。

素晴らしいミュージシャンの奏でる楽器の生の音は深く聞き手の心に染み込み病気も治してくれるのだということが分かった。

コロナが克服されてこれまでのように生演奏を普通に楽しめる、感じられる日が来ることを切に望むのでありました。

 

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2020年1月27日 (月)

ヘタクソサックスでも人前で演奏するのだ!@吉祥寺プチ、クリスマスライブ

ちょうど、いやもう一ヶ月以上の話なのですが、ということは昨年末の話なのですが、毎月第三土曜日の夜に吉祥寺のプチという喫茶店で演奏しているジャズピアニスト進藤伸一さんから見にくるんなら二曲くらいクリスマスソングをやろうよ〜。と誘われ、軽い気分で二曲くらいならおっけーよん、と軽く引き受けてしまったら数日後に楽譜が6枚も送られてきた。これ全部やるの?って聞いたら勿論だそうである。引き受けてしまったので仕方ない、どうせクリしますソングだなんとかなるだろう、とナメてかかってもいた。

そんなことがあってからろくに練習もしないうちに本番の日がやってきてしまい、仕方がないのでソプラノサックスを片手に吉祥寺に向かう。

とあるご縁で釣り友となった井の頭口にある居酒屋大茂(ダイシゲ)のマスターに事前に焼き鳥30本注文しておいたのでお店の場所だけ確認して、あとでリハが終わったら受け取りに来ようと思ってた。

5時半にお店に行くとすでに進藤さんとドラムの三浦さんがリハをしていた。

この日は他にベースが入る予定だったが、前半のちゃんと聞かせるところはこの二人のデュオでやり後半のどんちゃん騒ぎの時にわしのサックスと友人のベースが入ってテキトーにやるらしい。まあそういうことならいいか。とまたまたナメてリハをやる。

吹いてみたら、テーマはまともに吹けなくて合わなっかりして冷や汗が吹き出した。本番までに練習しといてね。という無言のプレッシャーを感じる。これでは焼き鳥を取りに行っているどころではない。とハウスの片隅で必死に練習する。焼け石に水、つけ刄というやつだ。わかっていてもやる。

焼き鳥はベース担当のサクマ氏に取りに行っていただいた。

 

 

さあて本番の時間となり進藤、三浦のデュオでクリスマスソングが次々と演奏されて行く。

お客さんも15人くらい入っていてみんな手持ちのおつまみや総菜など食べながらお酒を飲んでリラックスしている。

いよいよ出番となり、Have yourself a merry little christmasを吹く。冷や汗も吹き出す。

 

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なんとか終わって二曲目、ここいらからつけヤイバがはがれ始めヤバくなる。

三曲やったら客席が静まる。クリスマスパーティだっちゅうのに。

 

追い出されるようにおいらの持ちパートが終わりボーカルの登場。

やっぱ、クリスマスソングは歌がいいね。なんて反省することもなくビールを飲んだ。

前半が終わって休憩があり、そこでビールと飯食っていい気分になる。

後半なんぞ任せておけ!やでもテッポでも持ってこい!てな雰囲気になる。

後半のみんなで歌おう!的なパートではやけっぱちで吹いてなんとかライブは終了する。

 

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優しいお客さん達から、ソプラノ良かったです的なお世辞を言われて涙が出そうになる。ウソだけど。MCで話した釣りの話のことで盛り上がったりして一体何をしにきたのか分からなくなったけど楽しかったからまあいいか。

 

もう来年はないな、と思うけど、来年(もはや今年)は真面目に練習してもう少し吹けるようになろうっと。

 

写真は見にきていらした方からいただいたものです。この場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございます。

 

 

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