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カテゴリー「JAZZ」の記事

JAZZ

2023年11月10日 (金)

旧友たちとジャムセッション@法政大学ジャズ研OB会2023

大学時代はジャズ研究会というところに所属していました。

というより、ジャズ研に入りたくて大学受験をしたようなもので、大学の選定をする際にはとにかくジャズ研のある大学から選んだのでありますね。

高校二年生の時にジャズに出会って以来、僕はジャズに夢中になって、当時は今よりたくさんあったラジオのジャズ番組やすくない小遣いを貯めて買ったレコードを磨り減るほど聴いたり、友達と貸し借りしたり、ジャズ喫茶に出入りしたりしてとにかく朝から晩までジャズを聴いていたのですね。

そんな生活をしていたから現役での大学受験を失敗した上に一浪目は予備校に通いながらも予備校の近所のジャズ喫茶やレコード安売り店に出入りしていることの方が多く必然的に二浪コースを辿り、流石に二年目は新聞配達をしながら真面目に勉強してようやく大学に入れたのですが、この時も試験問題に受験勉強中にやったことのあるのと全く同じ問題が出るという大変ラッキーなことがあり運良く大学に入ったという次第。

 

大学に入ったら入学式も出ずに学校に直行し当時は学生会館という学生の自治会やサークルの入っている建物に向かった記憶があります。

ジャズ研に入った僕はテナーサックス を本格的に始めようとしたのですが、ところが期待を裏切るように先輩たちは酒ばっかり飲んでいてジャズの研究をしていないではありませんか。という風に当時の僕には見えた。

もちろん楽器の上手い先輩たちもいて、そういう人たちは夜に仕事で演奏したりしていてあまりサークルに顔を出さなかったような気もする。

時々練習の仕方を教えてもらったりした覚えもありますが、何と無く見よう見まねで練習をしていたのでなかなか上達しなかった。

 

本気で楽器をやる仲間はヤマハの音楽スクールに通ったりして腕を上げていったのに僕はそれもできず置いていかれていった上に三年生の時に楽器を盗まれてしまうことなども重なり次第と楽器から離れてしまっていたように思います。

社会人になってから中古のテナーを買い直したものの仕事をしながら練習するというのもままならず、時々ジャズ県時代の仲間と集まって演奏したりもしましたが長続きしませんでした。

 

そんな中途半端な自分のジャズ人生が変わったのはこの十年くらい前のこと。

病気で仕事に就けなくなり時間がたっぷりできたので楽器の練習を真面目にやるようになったんです。

たまたまその頃にiReal proというジャズの伴奏をしてくれるソフトが登場したのも大きく、一人でバンド練習ができるようになって俄然やる気が出たし、少しずつ上達もしていった。

そしてまた、ちょうどその頃にジャズ研の先輩たちが年に一度集まってジャムセッションをやるOB会というものをやっていることを知ったのでありました。

 

当時は毎年真夏に長野県は安曇野の松川村という所にある先輩の経営するスペイン料理店パンプローナというお店に夕方集まり、夜の九時頃まで演奏しながら美味しいスペイン料理をいただき酒を喰らうというなかなか素晴らしい企画だったので、ジャズ研の僕の世代としては一人で先輩たちの中に乗り込んでいったのが始まりでありました。

数年前からのコロナ禍で何年かのブランクがあったのですが、今年はようやく再開ということで出かけてきました。

というのが長い前置き。

 

今年から数年ぶりに再開したOB会は色々訳あって夏から秋に季節を変えての合宿になりました。

10月末の月曜日の夕方集合というので少し早めの午後三時頃に到着したらすでに太鼓とベースの二人がセッティングを終えて音を出していた。

みんな楽しみで仕方ないんだなあ、というのがよくわかる。

僕も楽器や譜面台を取り出してセットしていると三々五々先輩たちが集まってきて久しぶりの再開に声をあげたりしたのでありました。

 

今回はOB会ではいつもセッションを仕切るプロのギターの方が病欠となりコード楽器がパンプローナの店主一人という大役を背負ってしまったのでありますが、時間になるとお店のユニフォームのままにギターを手に取り演奏の始まり始まり。

 

最初はみんな出たがらないので目立ちたがり屋の僕がベースとドラムを引っ張り出してまずは一曲。

仲間内のセッションだといつものお店でのセッションのように緊張しないから不意義なものです。

今回はサックスが三人、ベースが三人、ヴォーカル三人、ドラム一人、ギター一人、とベース以外のリズム隊は一人しか居ないので出ずっぱりになってしまうところを、うまく調整して演奏が進みます。

 

今回のスターはアルトサックスのT先輩。

この方この数年先生についてサックスの練習を重ねただけあって、以前は楽器を持ってきても吹かないで寝てしまうことの方が多かったのに、今回は出ずっぱりの大活躍。

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同じアルトでプロはだしのU先輩は最初はTのことをおちょくっていたのに次第にそれも少なくなり最後は共演して終わるという盛り上がった展開となりました。

僕も何曲か吹いたけれど後でビデオにとったのを見たら反省点ばかり。でもそれでいいの。

反省してこその進歩があるっちゅうもんです。

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みんな60代後半から70代になろうという言ってみれば老人の集まりなのですが、楽器への想いは熱くまたその演奏を介して旧友と会話し交流することの楽しさをよ〜く解ってらっしゃるんですね。

この晩はお店近くの宿に泊まって翌朝再びお店に合流したところで僕のエノカフェ安曇野店を開店してコーヒーを飲んで記念写真を撮って解散となりました。

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この年齢になると残りの人生だってそんなに長くはないし、体調もいつどうなるか分からないので来年の再会を誓う声にも気持ちがこもります。

また来年の秋にもっとたくさんの先輩後輩が集まれたらいいなあ、そしてこの先も末長くやりたいものだと思いながら安曇野を後にしたのでありました。

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2023年10月28日 (土)

ジャムセッションは楽しいのだ!@希望ヶ丘CASK

釣りやバイクの合間を見つけてはジャズのへボサックスの練習を続けているのでありますが、家で一人練習をするだけじゃあ物足らない、何か励みになる目標というものが欲しいものであります。

そんな中で比較的近い街、相鉄線の希望ヶ丘駅のすぐそばにあるCASK(カスク)というお店で、毎月最終水曜日の夜に楽器を持っていけば吹かせてもらえるジャムセッションをやっていると昨年の春くらいに知ったので、昨年6月に初めて参加してみたのでありました。

ジャムセッション、というのは予め演奏する曲やメンバーを決めておくこと無く、その場にいるメンバーでこんな曲やりましょ、とその場で決めたものを演奏するもので、ジャズの場合はある程度スタンダード曲といういわゆる定番曲があるのでその中から選んだ曲を簡単に構成を決めて演奏するのであります。

一緒に仲良く演奏しつつも腕試しをするといったらいいかな。

セッションには毎回顔を連ねる常連の方が何人かいらっしゃるものの、当日集まるメンバーはその日になってみないと分からない。

 

 

初めてカスクのジャムセッションに参加した時は人前で演奏するのが数年ぶりだったこともありたいそうビビってしまい、ただでさえヘボサックスなのにボロボロの演奏しかできなかったのでありました。

その後は毎月参加して自分の根性を叩き直しついでに腕も少しでも上がればと思いたったものの、釣りやら何やらで昨年から今年にかけてはバタバタしているうちに時はサラサラと水のごとく流れてしまい一年近くが経ってしまった。

今年の春くらいになってようやく落ち着いたので今年5月に2度目のカスクのジャムセッションに参加をしたものの、間が空きすぎたので昨年の初回と同様ビビって何もできなかった。

それでも毎月行こうと決心し直したのでありますが、本ブログにも書かれているようにあちこち遊びまわって疲弊し体調を崩したり、コロナに感染したりでようやく9月のジャムセッションに参加することができたのでありますが、あいかわらずのヘボサックスながら幾らか場慣れはしてきた感じがしたので今月もその勢いを絶やさないようにと間を空けずにと出かけてきました。

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ここのお店のジャムセッションで司会進行のホストをするのはプロのベース奏者の田中洋平さんと同じくプロのピアノの上長根明子さんで、参加メンバーの仕切りは田中さんがやっておられる。上長根さんはピアノのセッションのメンバーがピアノを弾いている時はすっかりお店の店員さんよろしくオーダーを取ったり運んだりして忙しそう。

集まった人をうまくさばいて組み合わせて進行をする田中さんも大変な仕事なのでいつも感心させられます。

プロ二人が演奏のバックをガッチリ固めてくださるので、参加のアマチュアメンバーやフロントのラッパ陣(僕のことね)が多少ヘマしようが、よれて吹こうが、はたまたどこを演奏しているか分からなくなろうがなんとか最後まで演奏をやりきることができるというわけ。

毎回参加者はたくさん来ていて店の席が埋まってしまうほど、今回も満席で立ち見のお客さんが出る程の人気ぶりなのであります。

そんな中で名前を呼ばれて人前で演奏するのはやっぱりビビってしまうのでありますが、そこは酒の力を借りて、「ええい!どうにでもなりやがれ!」と開き直って出て行ってサックスを吹くのでありますが、やっぱりどうにもならない。

やりたいことの半分もできずに演奏し終わった後はガックリするのでありますが、ほかのミュージシャンの演奏がとてもためになるので、そこはしっかり聞き流すことなく聞くのでありました。

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演奏する曲もその場で決まるので、必ずしもやったことのあるものばかりではないので、さらにビビるのでありますが、ビビってばかりじゃ先に進まないので、なるようになれ!とここでも開き直ってやるのですがこれがいい勉強になる。

流石にどうにも僕のヘボサックスではお手上げの曲の時には呼ばれても断りますけれどね。

今回はアルトサックスの上手な人がいてすごく良かった。まだ30代くらいの若い人だったけれど僕もあのくらい吹けるようになりたいなあ、などと刺激されたりもするのでありますね。

こんな感じで、これからも毎月通って、毎月自分なりにテーマを作ってやっていこうと思っているのであります。

もし、本ブログをお読みのミュージシャンの方でご一緒することがありましたらよろしくお願いいたしますね。

見学だけもできるのでご興味がある方は見にきてください。

毎月最終水曜日の午後7時半から11時頃までやっています。途中入場、退出可なのでお気軽にどうぞ。

 

CASKのママさんはミュージシャンの間でもとても評判のいいミュージシャンに手厚い優しいママで、僕もこの人の笑顔を見ていると気持ちが穏やかになる。

何度目かで顔も覚えていただいたようなのでこの先もいいおつきあいをして行きたいなあ。

何よりも、身近にこういうお店があること自体がとてもラッキーなことなのでこれを生かさぬ手はないとココロに命じるのでありました。

 

 

※ 写真はお店の SNSから拝借したものを解像度を下げて使用しています。

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2023年8月28日 (月)

マッコイ・タイナー@Enlightenment

ものすごく久しぶりにジャズネタであります。

それも大昔のレコードの!

マッコイ・タイナーファンであれば間違いなくご存知であろうアルバム、エンライトゥンメントであります。

このレコード(CD・その他)は1973年のスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音で、エンライトゥンメント組曲と銘打った組曲構成なのは皆さんご存知の通り。

長〜い演奏は当時二枚組のLPレコードの四面にこれでもか!というくらいいっぱいいっぱい録音が刻まれていたのでありますね。

僕はこの録音のCDは聞いたことがないのですが、LPレコードでは二枚組になっていました。(おそらくCDなら一枚に入りきったのかな)

なんたって長〜い演奏なのでちょん切らずには片面25分くらいしか入らないLPレコードには入りようがないので四分割され他レコードを我らレコード世代は聞いていたのでありますが、その評価はというと、まあごく一部の身の回りの評価と僕自身の印象なのですが、一曲目と最後の曲はまとまっているけれど他の曲がどうも演奏内容は良いにも関わらず散漫に聞こえてイマイチの評価だったのでありますね。

 

あれから50年。

半世紀経った本日、ふとコロナになってレコードやCDを買いに行けなくなったことから入ったSpotifyで聴いてみようという気分になり聴いてみました。

 

すると!以前持っていた印象とは大違い!

ワンステージの構成、演奏共に素晴らしいじゃあありませんか!

こんなに素晴らしい録音を低評価していた自分を強く反省すると共に感じたのは録音メディアの発展というものなのであります。

 

僕が初めてこのレコードを手にした時はLPレコードで聴くかカセットテープへのダビング、または当時のお金持ちオーディオ・マニアならオープンリールテープに録音し直して一気通貫で聴く、というくらいしか視聴方法はなかったんですね。

オープン・リールテープなら片方向で90分くらいの市長はできたのかもしれませんが、多くの人はレコードで聴いていたと思われるのですね。

 

問題はこのレコードの曲の割り振りなのですが、司会によるメンバー紹介から始まりパートⅠからパートIIに始まったあたりでフェードアウトされて裏面はフェードインから始まるというLPの構成になっていたんです。

 

レコードっちゅうものは昔のヒトは当たり前に知っているけれど、片面が終わったらレコードをひっくり返す、という手間と時間が必須だったのでありますね。ここでどうしても片面の音楽が完結して次の面に移るというのが脳みそに染み込んでいたのでありまして、レコード制作者側もその辺を分かって曲の割り振りを考えていたと思われるのであります。

LPレコードが曲の寄せ集めではなく一枚のアルバムとして成立させるにはここが大変重要なキモになるわけで、例えばビートルズのサージェント・ペッパーズなどはその辺をよ〜く心得てA面からB面に移っていくのは皆さんもご存知ですよね。

ジャズの世界ではさらに前の1950年代後期のマイルス・デイビスのカインド・オブ・ブルーあたりからこのようなことが行われていたと認識しているのでありますが、このエンライトゥンメントに関してはその辺りがとてもおざなりにされていて、演奏の途中でフェードアウト、フェードインというのをイージーにしてしまったのがこの演奏全体の評価を大きく変えてしまったのではないかということを半世紀もたった本日、強く感じたのでありました。

 

思い返せばキース・ジャレットのソロ・ライブなどをみると最初の三枚組のソロあたりは途中フェードアウト、裏返してフェードインがあった気がしますが爆発的人気のケルンコンサートでは贅沢に曲ごとにLP片面を使うことで演奏の臨場感を損なわないようにしていたような。

当時ケルンコンサートのLPを手にして片面の半分くらいしかデータが刻まれていない盤面を見ながら「もったいない」と思った僕が間違っていた!

ライブ音源は演奏の途中で切ってはならないということをこの年になって痛感したのであります。

 

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2021年2月13日 (土)

チックコリアの死に当たって思うこと

昨日2021年2月12日、昼のニュースでチックコリアの訃報が突然飛び込んできた。

亡くなったのは現地時間の9日らしい。

チックといえばつい先日までフェイスブック上で自己の練習風景やセミナー、ワークショップなどやっていたのであまりに突然の死だった。

ニュースによれば最近珍しい型の癌が見つかっての死だということで、おそらくチック本人にとっても突然の死だったのではないだろうか。

僕にとってはつい先日まで付き合ってた友人が突然逝ってしまった、というような感覚。ショックと悲しみに突然襲われて声も出なかった。

これまでも様々なミュージシャンの訃報を聞いてきたがこれほどまでにショックだったことはない。

 

その日の午後にはチックのアルバムを聴き返して僕にとってのチックコリアを振り返ってみた。

僕が初めてチックを聴いたのはおそらく、FMラジオの番組テーマで使われていたゲイリー・バートンとのデュオだったと思う。

僕がジャズを聴き始めたのは丁度チックを有名にしたリターン・トゥ・フォーエバーが発売された頃で、世の中ではラ・フィエスタがたくさん流れていたと思うのだが、当時の僕は電気ジャズにはあまり興味がなくて、それをジャズとして認めてさえいなかったので殆どチックを無視したような格好になっていた。

それでもチックの名前は有名で一枚は聞いてみようとチックのアルバムを買う。それは邦題が「第七銀河の賛歌」というアルバム。

なぜこのアルバムを買ったのかよく覚えていないのだがジャズのアルバムとしてというよりは、当時好きだったソフトマシーンなどのプログレの延長的なイメージで買ったような気もする。

ところが買って聴いてみて、そのエレキサウンドが理解できなくてがっかりしてしまった。期待していたサウンドとは全く世界が違っていたからだろう。

そしてろくに聴かないでディスクユニオンに売ってしまった。自分の買ったレコードを手放したのはこれが最初で最後かもしれない。

チックとの出会いはそんな不幸な出会い方だった。

その後まもなく、偶然やはりFMラジオの油井正一さんの番組、アスペクト・イン・ジャズでチックコリアの特集をやったのを聴いて、一発でチックが好きになったのは初期のアコースティックものだった。

間も無く小遣いをはたいて買ったのが Tone's For Joan's BonesとNow He Sings Now He Sobsの二枚。

この二枚を毎日のようにかけて聴きまくった。

 

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それまで夢中で聞いていたコルトレーンやドルフィーに取って代わるようにこの二枚をよく聴いた。

チックのピアノはそれまで聴いていた誰よりもモダンでカッコよかった。スピード感や音のキレも素晴らしくすっかりチックファンになる。

特にNow He Sings ではドラムのロイ・ヘインズも素晴らしく、夢中になって聴いたのを覚えている。

そしてこう高校卒業後、バイトで小遣い稼ぎができるようになって買ったのが、Solo Improvisation Vol1,2の二枚、そしてCristal Sience。

この二枚はどちらかというと静かなチックコリアを楽しめる二枚で、前に買った二枚とは違った楽しみ方ができた。

澄んだきらきら光るような音色と粒立ちの良さ、美しいメロディに酔いしれた。

 

当時はソロ・ピアノ・ブームというのがジャズ界に起こっていて、様々なミュージシャンのソロ・アルバムが発売されたが、最も好きだったのがチックのアルバムで、毎週日曜日の午前中はこれを流して爽やかでゆったりとした時間を楽しんでいた。

話はちょっと脱線するが、このピアノ・ソロ・ブームを牽引したのも71年発表のチックのSolo Improvisation、それからキース・ジャレットの73年と75年のソロ・コンサート(特に後者)ではなかったのではないか?

僕の好み的にはこれにダラー・ブランドとアンドリュー・ヒルが入ってくるのだが。

 

話を戻そう。

人気者になったチックに関する当時のジャズ記事などを読むと必ず彼がスペインの血が入っていることがサウンドに影響していることが書かれており、彼本人へのインタビューでも再三そのことが話題になっていた。

それらの記事や本人の返事を見ると、チック本人はあまりこの話題を好んでいなかったように感じたのは僕だけだろうか。

スペイン系だから、と言われるのを嫌がっていたように思うのだ。

それがLight as a Featherでスペインという曲を演奏したあたりから彼自身このことに開き直ったように自分の中のスペインの血を前面に出した音楽を作っていったような気がする。

その後にはMy Spanish Heartも作っているし。

 

それはさておき、僕自身はフォー・ビートのチック、というよりアコースティックのチックファンになった後でジャズ全般にちょっと飽きてフリージャズばかり聴くようになってしまったので少しの間チックへのブランクがあった。

チックのやってるフリー・ジャズバンド、サークルは聴いていたが当時の僕はもっとハードなフリー・ミュージックが好みだったのでサークルは今だに手にしていない。

そして、浪人後晴れて大学に入ったら、時代はクロスオーバー時代に突入していた。

世の中のジャズはどんどん電気化していて、周り中が電気化ジャズ、ピアニストは誰もかしこもフェンダー・ローズを弾いていた。

しかし僕は当時、頑固にフリー贔屓だったのでクロスオーバーはただのBGM的扱いで真面目に聴き込むことはなかったのだった。

チックの電気音楽が本格的に好きになったのは、社会人になってオーディオ・ショップに務めていた頃からだ。

毎日朝から晩までハイ・ファイ・オーディオで様々な音楽を聴いているうちにフュージョンと名前を変えていた電気ジャズが好きになって行った。

当時はフリー・ジャズにも飽きてきていたしオーディオ・ショップでフリー・ジャズを流すわけにも行かなかったし。

ともかくも、音楽を鳴らすのが商売だったので一年中音楽に浸りっぱなしの生活だ。稼いだお金でチックの新譜が出るのが待ち遠しいほど、出れば買ってお店でも自宅でも聴くという日が続く。

当時好きだったのはSecret Agentフレンズというアルバムですね。フレンズの方が古かったか?学生時代に買った気がする。

Secret Agentは自由自在に音を操るチックの魔術のようなアルバムで何度も聞き返した。フレンズはドラムスのスティーブ・ガッドの演奏も素晴らしく音楽的に聴きやすいながらやってることは超絶的技術の良さもあり毎日聴いていた気がする。

このころが最もチックに近い生活だったかな。

その後結婚したり仕事が変わったりして、しばらくはジャズから遠のいていたが、ライブ・アンダー・ザ・スカイでチックが来た時には見に行った。

その時はエレクトリック・バンドとハービー・ハンコックとのデュオを聴いて感動した。

 

次にチックに目が向いたのはアコースティック・バンドを始めた時。

久しぶりに聴くチックの生ピアノのトリオに酔いしれた一方で、このころのチックはもうやりたいことを大体やりきってしまったような感じも受けていた。

僕自身がチックの音楽に飽きてしまっていたのかもしれない。といよりもジャズを聴く機会自体がこの頃は少なくなっていた。

30代から40代にかけては釣りとスキーに夢中になっていたし子育てや仕事に追われてそれどころではなかったということもあるのだろう。

次にチックがぐんと身近に感じられるようになったのは、仕事で一緒になった元音楽事務所で日本にチックを招聘していた方と働くことになったことだった。

Hさんというその方から、チックの舞台裏話などをたくさん聞かされて、すごくチックのことが身近に感じられるようになり、彼の音楽にも再び触れる機会が多くなっていった。

その方はチックとはお友達で日本にくるたびにコンサートに顔を出しては挨拶している方で、超有名ジャズ・ミュージシャン友達もたくさんおり僕にとっては夢のような生活をしている方だった。

その後の僕は体調を大きく壊して隠遁生活からリハビリ、そして今の釣り師&アマチュア・サックス吹きとなるのだが、チックが身近になったのはつい昨年の事。

コロナ禍で家に閉じこもる生活の中、チックがフェイス・ブック上で毎日自分の練習風景をアップしているのを見るようになってからだ。

自宅での彼の練習する姿を見るのは楽しかったし、自分にハッパをかけられているような気もして僕自身も少し真面目にサックスを練習するようになった。

五月頃に始まったそのチックの練習は、やがてオンラインレッスンやワークショップのような形になりながらもついこの間まで続いていた。

 

そんな中で、最近はあまり更新していないなあ、と思っていた矢先に訃報が飛び込んだものだからショックは大きい。

冒頭にも書いたように親しい友人が突然死してしまった時のショックに似ている。現実と受け止めることができないのだ。

そんな中で自分とチックとの関係を整理する意味でこの文章を書いてみた。

悲しみは時間とともに少しづつ言えて行くのだろうけれども、チックの音楽と僕の付き合いは永遠だ。すでに彼の曲を演奏するという形で彼は僕の中にも息づいている。

おそらく世界中のチック・ファンの心の中にも同じように彼は生き続けて行くのだろう。

あらためて、ここにチック・コリアさんのご冥福をお祈りいたします。

 

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2021年1月15日 (金)

サックスに夢中

昨年末からサックスの練習に夢中になっている。

これまではたまに取り出しては吹く程度の練習で、当然腕の方も一向に上がらなかったのでありますが、昨年末、ちょっとしたお手本になる演奏を耳にしたのと、その演奏をお手本に練習することで、効果的な練習の仕方がやっとこの歳になって分かってきたというのがその理由。

サックスを初めて買ったのは高校三年、いや浪人中だったかな?

はっきりしないのだがそのくらいの歳の時に高校の同級生からヤマハの一番安いテナーサックスを譲り受けたのだった。

 

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そして、大学ではジャズ研に入り、というより、ジャズ研のある大学を選んで進学したのだが、ともかく無事に我が青春の夢のジャズ研に入りジャズ三昧の生活が送れると思ったのだが、これが大きな誤算で、当時のH大ジャズ研は僕の目から見れば堕落しており、ジャズの研究よりも酒飲みに熱心で、ジャズに詳しい先輩もあまりいなかったし、一部の演奏が上手な先輩たちはプロを目指して、サークルから少し距離を取っていたようにも見えた。

そんな中でも何人かの先輩に色々教えてもらいながらロング・トーンから始まりスケール練習など日々やっていたのだが、一方で当時僕の大好きだったフリージャズをやりたい衝動もあったところに、ニュージャズ・シンジケートというフリージャズ集団がH大を本拠に活動しており、その運営を担っていたのが我がジャズ研でもあったことから、先輩にフリージャズ演奏に誘われて、初心者なのに無理やりライブハウスに出されてしまい大恥をかいたり、フリージャズの本当の難しさを理解したり、ニュージャズ・シンジケートの演奏にも物足りなさを感じたりと、己の腕前を棚に上げながら、なんとなく煮え切らない大学ジャズ研の日々を過ごしてしまったのでありました。

サックスの方は、一年生の夏休みに大塚のクラブでバイトをした金でセルマーの中古を買ったものの、四年生の時にちょっと罰当たりなことをした報いを受けて盗難に遭ってしまい吹く楽器がなくなってしまった。

楽器を盗まれるまでの間の練習も師となる人がいなかったのと、自分の勉強不熱心さがたたってコード進行に合わせてアドリブを取ることがうまくできなかったし、どうやって練習したらいいのかもわからなかったのが正直なところだ。

うまくなる人は、ちゃんとした先生についたり、いい演奏をバリバリにコピーして演奏法を身につけて行ったのだろうがそういう努力も怠っていた。

ちょうど四年生の頃には大学の学内も学生運動の意見の対立が全共闘と自治会(中核派)との間で起こり、のんきに楽器を吹いている状況ではなくなってしまったこともあり、サックスの練習どころかジャズからも心が離れてしまっていたように思う。

今振り返るとなんだか不遇のジャズ研時代のようにも思えるのだが、基礎になるスケール練習はそれなりにしたし、楽器もなるようになっていた(自分ではそう思う)のでそれなりの成果はあった。でも四年かけての成果としてはあまりに乏しいということだ。

社会人になって小遣いが使えるようになってすぐにまたセルマーのテナーサックス を中古で買った。

それが今も使ってるサックスなのだが、もう見た目はサビサビ、ボロボロのボロサックスなのだが世の中ではこれをビンテージサックスというようで、いま買おうとすると物によっては百万円くらいするらしい。

 

社会人時代は三十くらいまではよく練習していた気がする。ジャズ研時代の仲間とスタジオを借りてセッションをしたりもしていた。

三十代を過ぎた頃からは仕事が多忙を極めるようになったのと夏場のバス釣り、冬場のスキーと夢中になるものができてしまったのでほとんどサックスはケースにしまったままになっていた。

その哀れなサックスを吹くようになったのはここ数年前から、もう還暦近くなって人生の先が見え始めたジャズ研仲間が同時多発的に楽器の練習を始め集まってセッションをし始めたからだ。

月に一度集まり、あらかじめ決めておいた曲を演奏するのだが、腕前を無視した難曲を、やりたい!という一心で取り上げるという変なセッションだがいい勉強になった。

僕もこの頃からコード進行とスケールの関係がやっとこの歳になって理解できるようになり、少しずつではあるがスタンダード曲なども吹けるようになってきたのでサックスの練習も楽しくなり、昔からずーっと欲しかったソプラノサックスまで中古で買って、これの練習に励んだりもしていた。


そして、長々と話してきた結果として、最近サックスの練習に熱が入るようになった。

きっかけはコロナの感染拡大で外に出られなくなったこととなのだが、久しぶりに取り出して吹いたテナーサックスを吹いているうちに、ちょっとコピーでもしてみるかと、いい題材を探しているうちに良いお手本が見つかったのだ。

それをコピーしていたら、練習の効果的な方法にもやっとこの歳になってたどり着けた!気がする。(^_^;)

ともあれ、今は吹いているのが楽しく、楽器もどんどん鳴るようになってきたし、自分の思うように指も動いてきたので楽しくて仕方ないのだ。

しかし、飽きっぽい僕はこれもまたそのうち飽きてしまうのではないかと思ったので、一つ目標を立てた。

 

それは初めてジャズを聴いた歳からちょうど半世紀、50年目にあたる二年後までに自分のスタイルである程度、いや思うままにサックスが吹けるくらいまでにうまくなって置こう、というもので、いわば、自分のジャズ人生の一つの締めくくりをしたいと思ったのだ。

六十才も過ぎると指はバネ指などで動かなくなってきたし、みるみる肉体的な衰えがあるのを真に感じるのでグズグズはしていられないのだ。

二年後にはコロナもそれなりに落ち着いてみんなで集まり一緒に演奏をすることもできるだろう。

それまでに、自分の納得いく演奏ができるように、ステップを計画してやって行こうと決意した。

これまでの、いつかは吹けるように、という漠然としたものから具体的な期限を設けたことで自分の中の意識が変わった。

時間はあるようで無い。一日一日やるべきことが見えてきた。さらに一月後の目標。半月後の目標も見えてきた。

ということで、コロナ禍が僕にはいい方向のベクトルに動いて人生を見つめ直し、新たな目標ができたというわけ。

 

まあ、そういいつつもプロの方のように吹けるようになれるとは思わないので、それなりの目標なんですけれどね。

コロナ禍のこういう状況でも気持ちの切り替えで前向きにいくことができるようになったというお話でした。

 

 

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2020年10月28日 (水)

生演奏のキモは音の肌触りなのだ!@岩見淳三&伊勢秀一郎Duo

コロナ禍でライブハウスがどこも閉鎖されてしまっているこの半年だが、9月頃から徐々に感染対策を取りながら開店する店も増えている。そんな中でジャズギタリストの岩見淳三とトランペッターの伊勢秀一郎のデュオが行われるという案内がきたので、久しぶりのライブにワクワクしながら、一方で半年ぶりに電車に乗るのにビクビクしながら出かけてきた。

場所は神楽坂にあるライブハウスではなく画廊で行われた。地下鉄東西線神楽坂駅から歩いて五分ほどの静かな住宅街を歩く。

eitoeikoという名前のそのギャラリーは住宅から隠れるように細い道を入った突き当たりにあった。

外から見たら中は白い壁に明るい照明で明かるくジャズをやる感じの雰囲気でなかったので、本当にここでやるのかしら?と恐る恐るドアを開けて覗き込んだらギターを持った岩見がいたので安心する。ちょうどリハが終わった後のようだった。

 

中に入るとちょっと不思議な光景で、学校の教室のような小さなテーブル席が互い違いに置かれていて、四角いテーブルの上には三方を囲んだシールドが立てられている。

ミニライブにおけるコロナ対策はこういうことになってしまうのかぁ、と感心するやら驚くやら。でもそのレイアウトが壁にかけられた六角形のキャンバスに描かれた抽象画といいコラボをしているところが画廊さんのセンスのいいところだった。

ビールを飲みながら絵を見ていてしばらくすると釣り仲間のKHKさんとKさんがやってきた。

Kさんは9月に初めてサンライズ遠征でお会いしたのだが、縁あってギターの先生として岩見を紹介したところから急速に仲が接近した友達だ。

この日は岩見に連れられて中古のギターを買いに行ったらしい。大きなギターケースを手にしていてなんだかミュージシャンみたいでカッコよかった。

 

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やがて時間がきて演奏が始まる。この日の演奏はマイクなしの全くの生演奏だった。

岩見のギターのイントロから伊勢のトランペットがなった瞬間鳥肌がたった。

生の楽器から出てくる生々しい音色に息遣い、そして、そこからは音の肌触りのような繊細な感触が伝わってきた。

 

この数ヶ月間、コロナ禍で自宅内での生活の多くを音楽と共に過ごしてきた。

4月に配信音楽を聴き始めた僕は、これまでだったら購入に手を出し切れないミュージシャンからジャンルの音楽も含め様々な音楽を聴き漁っていたのだが、何か満たされなかった。その理由が分かった。どんなにオーディオにお金をかけてもこの音の肌触りまでは再現してくれないのではないかと感じたのだ。

アナログ・ハイ・ファイ絶頂期の1980年頃のアナログシステムであったならそれは可能だったかもしれない。しかしデジタル化により切り刻まれてノイズを排除してしまった音からは、いや、マイクやPAシステムを通した音からこの肌触りは感じられないので、アナログ、デジタルは関係ないのか?とにかく音色な音の息遣いのさらに上にある音の手触りのようなものを感じられてゾクゾクしたのだ。

これは唇の振動が音に変換されて出てくる管楽器特有のものなのかもしれない。

ギターも指と弦が擦れる音まで聞こえるくらいの目の前で聞いたらそれを感じることができるのかもしれない。

人のコミュニケーションは、文字で思いを伝える、表情や言葉を交わす、抱き合うというように接近するほど親密なものになり、互いの中は深まる。

音楽は楽器の音が聞こえる、楽器の音色の違いがわかる、そしてその先にあるのは音の肌触りが分かることでミュージシャンの思いをより深く感じられるという事なのかもしれない。

もしそうであるならば、最もミュージシャンの気持ちと自分の間が近く感じられたのが今回の生演奏であった。

 

実は、この日の午前中は持病の鬱病がムクムクと首をもたげて来ていて、このライブに来るのを断る理由ばかり考えていたのだが、そんな気分はこの音で一気に吹き飛んでしまった。

演奏した曲はジャズのスタンダードから岩見のオリジナル曲など5曲ほどを2セット合計10曲ほどだった。

酔っ払って曲名はほとんど忘れてしまったのだが、岩見の最新曲「雨音」という曲だけはよく覚えている。聞いていて雨音の落ちる情景が目にうかぶ曲なのだが写実的というよりも印象派的な曲で素晴らしかった。

 

全ての演奏が終わると、僕は実に爽やかな気分になり午前中の鬱のことなどすっかり忘れていた。

素晴らしいミュージシャンの奏でる楽器の生の音は深く聞き手の心に染み込み病気も治してくれるのだということが分かった。

コロナが克服されてこれまでのように生演奏を普通に楽しめる、感じられる日が来ることを切に望むのでありました。

 

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2020年1月27日 (月)

ヘタクソサックスでも人前で演奏するのだ!@吉祥寺プチ、クリスマスライブ

ちょうど、いやもう一ヶ月以上の話なのですが、ということは昨年末の話なのですが、毎月第三土曜日の夜に吉祥寺のプチという喫茶店で演奏しているジャズピアニスト進藤伸一さんから見にくるんなら二曲くらいクリスマスソングをやろうよ〜。と誘われ、軽い気分で二曲くらいならおっけーよん、と軽く引き受けてしまったら数日後に楽譜が6枚も送られてきた。これ全部やるの?って聞いたら勿論だそうである。引き受けてしまったので仕方ない、どうせクリしますソングだなんとかなるだろう、とナメてかかってもいた。

そんなことがあってからろくに練習もしないうちに本番の日がやってきてしまい、仕方がないのでソプラノサックスを片手に吉祥寺に向かう。

とあるご縁で釣り友となった井の頭口にある居酒屋大茂(ダイシゲ)のマスターに事前に焼き鳥30本注文しておいたのでお店の場所だけ確認して、あとでリハが終わったら受け取りに来ようと思ってた。

5時半にお店に行くとすでに進藤さんとドラムの三浦さんがリハをしていた。

この日は他にベースが入る予定だったが、前半のちゃんと聞かせるところはこの二人のデュオでやり後半のどんちゃん騒ぎの時にわしのサックスと友人のベースが入ってテキトーにやるらしい。まあそういうことならいいか。とまたまたナメてリハをやる。

吹いてみたら、テーマはまともに吹けなくて合わなっかりして冷や汗が吹き出した。本番までに練習しといてね。という無言のプレッシャーを感じる。これでは焼き鳥を取りに行っているどころではない。とハウスの片隅で必死に練習する。焼け石に水、つけ刄というやつだ。わかっていてもやる。

焼き鳥はベース担当のサクマ氏に取りに行っていただいた。

 

 

さあて本番の時間となり進藤、三浦のデュオでクリスマスソングが次々と演奏されて行く。

お客さんも15人くらい入っていてみんな手持ちのおつまみや総菜など食べながらお酒を飲んでリラックスしている。

いよいよ出番となり、Have yourself a merry little christmasを吹く。冷や汗も吹き出す。

 

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なんとか終わって二曲目、ここいらからつけヤイバがはがれ始めヤバくなる。

三曲やったら客席が静まる。クリスマスパーティだっちゅうのに。

 

追い出されるようにおいらの持ちパートが終わりボーカルの登場。

やっぱ、クリスマスソングは歌がいいね。なんて反省することもなくビールを飲んだ。

前半が終わって休憩があり、そこでビールと飯食っていい気分になる。

後半なんぞ任せておけ!やでもテッポでも持ってこい!てな雰囲気になる。

後半のみんなで歌おう!的なパートではやけっぱちで吹いてなんとかライブは終了する。

 

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優しいお客さん達から、ソプラノ良かったです的なお世辞を言われて涙が出そうになる。ウソだけど。MCで話した釣りの話のことで盛り上がったりして一体何をしにきたのか分からなくなったけど楽しかったからまあいいか。

 

もう来年はないな、と思うけど、来年(もはや今年)は真面目に練習してもう少し吹けるようになろうっと。

 

写真は見にきていらした方からいただいたものです。この場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございます。

 

 

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2019年11月26日 (火)

岩見淳三&伊勢秀一郎DUO@ブラックサン 新宿

晩秋の土曜の昼、冷たい雨に打たれて新宿の歌舞伎町に向かった。歌舞伎町にある「ブラックサン」というライブハウスでギターの岩見淳三とトランペットの伊勢秀一郎のデュオを聞くために出かけたのだった。

この二人の演奏を初めて聴いたのは岩見のジャズ&ボッサⅡ というCDアルバムだったが、そのCDの発売記念ライブで生の二人を聴いた。

この時の様子は本ブログにも書き連ねたので詳しくはそちらを参考にされたい。

その時の演奏はドラムとベースの入ったクァルテットでの演奏だったが今回はギターとトランペットのデュオ、一対一の勝負である。

狭いエレベーターで4階に上がるとブラックサンの扉があり、中に入ると暖かい空気とすでに来ていた友人の顔が僕を迎えてくれた。

 

早速ビールを注文し乾杯する。

集まった客は14〜5人か、それでテーブルとカウンターがほぼ埋まるほどの小さな店だったが、ジャズクラブとしてはミュージシャンとの接近戦を楽しめるので贅沢な空間だ。

ステージを眼の前にしたテーブル席に座った僕は、一メートル少しの先に岩見と伊勢が立っている。

演奏が始まるまでの時間、仲間たちとこれから始まる演奏にワクワクしながら演奏への期待を語り合う。

やがて時間が来て演奏が始まった。岩見の挨拶に続いてスタンダードナンバーから始まる。

この日の岩見はアコースティックギターで演奏に臨んでいた。お店の広さからすると、その生の音を楽しむにはちょうどいい広さで、ギターの細かな息遣いまで楽しめるほど細やかな音まで聞き取ることが出来た。

 

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岩見のギターから発せられる音は、ある時は繊細に、ある時は華やかにまろディーを奏で、そしてリズムを刻み、ベースを進行させる。

ある有名な指揮者の言葉だったか、うろ覚えだが、「ギターは小さなオーケストラだ」というような言葉がある。岩見のギターはまさに膝の上に乗ったオーケストラのように様々な音を奏で楽しませてくれた。

一方の伊勢トランペット。彼の吹くトランペットの音色はその人柄から来るのか、暖かく柔らかい、聴く者をふんわりと包み込むような音色だ。

二曲目は岩見のオリジナル。ここ数年、岩見はオリジナル曲を書くようになったがどれも素敵なメロディの曲が多い。この曲も柔らかなメロディに聴いていてアルファー波が脳を包むような曲といったらいいか。ここでの演奏が初演ということで貴重な演奏を聴くことが出来た。これから何百、何千回となく演奏するであろう初回を聴けるというのは嬉しいものだった。

三曲目はブルーベックの曲、さらにディズニーナンバーで「星に願いを」。この辺りですでにバーボンをロックで飲んでいた僕はいい気分に酔っ払って細かい記憶はなく、演奏の心地よさに身を委ね切っていた。

このあと古いスタンダードや岩見のオリジナルなど全6曲ほどで前半が終わり休憩。

休憩中に岩見が作曲を始めるいきさつなど話を聞いて話が弾んだ。

後半に入ると伊勢の選曲の曲が何曲か入ると演奏の雰囲気が少し変わった。

というのはモーダルな曲やショーターの「美女と野獣」(ディズニーの曲とは全く別の曲です)などいわゆるスタンダードと毛色の変わった曲を演ったのだ。

岩見の演奏はオーソドックスなスタンダードのチョイスが多いが、実は僕はこの手の新し目の曲を演奏する岩見もスリリングで好きだ。それは曲の作りの違いからスタンダードのコード進行べったりの曲でのアドリブとは違った岩見の顔が覗き出てみることができるからだ。

そして、またここでの伊勢の演奏が素晴らしかった。ある曲ではミュートをつけてトランペットを吹いたが、それはマイルスのミュートトランペットに通じるような、繊細で孤独で物悲しい音色に泣かされた。

そしてショーターの曲で見せた、伊勢の激しいトランペット。激しくも音色はどこまでも優しく聞く者の心を大きく揺さぶる素晴らしい演奏だった。

僕はすっかり感動してしまい体は熱くなり心は激しく震えた。アンコールの曲名も忘れてしまうほどだった。

全ての演奏が終わると緊張した空気は解き放たれて、店の中には和やかな暖かな空気が戻った。

ミュージシャンと写真を撮るもの、演奏の興奮を超えにするものなどいる中、僕は伊勢さんと握手していただき無理を言ってトランペットの写真を撮らせていただいた。

彼の素晴らしい音色を出すトランペットの写真をどうしても撮りたかったのだ。本来なら走者の顔を入れて撮るべきところを、無理を言ってトランペットを持つ手だけ撮らせていただいた。

 

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そのトランペットはあちこちに修理の後がある年季の入ったものだったが、それが繰り出す音と同じく暖かみのあるとても重厚で宝物のように見えた。宝物を見た僕の心は満たされた。

再開の挨拶をして店を出ると、僕は再び冷たい雨の街に包まれた。

 

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2018年11月11日 (日)

岩見淳三16thリサイタル@かなっくホール 後半

前半が終わり後半への間の休憩時間は大学ジャズ研の仲間たちがたくさん来ていて近況話で大盛り上がり、あっという間に後半の始まりです。

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後半最初の曲はこの日のコンサートでは珍しくクァルテットでの演奏。以前のリサイタルは器楽演奏がメインでそこに歌が入るというパターンだったのが、ヴォーカル陣の成長で構成が逆転していました。今回のリサイタルのタイトルが「岩見Family with Special Unit」と銘打っていたその通りの内容なのでありました。

ということで始まったのはグルーブ・マーチャントという曲。
軽快なミディアムテンポの曲でギターのテーマに続いて本田さんのピアノソロ。
このソロがいい。スィング仕切っていると言ってしまえば簡単なんだけど、難しいこともさりげなく楽しいミュージックとして楽しく聞かせてくれた。
続くは岩見さんのソロ、こちらも負けじと色々やってくださる。ギターが鳴り切っていて心地よく響いてきた。

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ジャンボさんのベースソロもノリノリで早弾きあり、重くどっしり聞かせるところ有りで思わず会場からは拍手は飛ぶ。八木さんのドラムソロでフォーバースをこぎみよく決めてエンディングテーマへ。歌もいいけれど、こういうじっくり楽器の音を聴かせてくれる演奏もいいなと改めて思う。

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次の曲はファミリー全員が舞台に登場、と思ったらYAYOIちゃんがいない。プログラムには「上を向いて歩こう」と書いてあったが、HANAHちゃんのウクレレで始まったのは「Don't Worry Be Happy」のコーラス。あれ?と思ったらこのメロディーに乗せて「上を向いて歩こう」の歌がどこからか聞こえてきた。後ろを振り返ったら、舞台後ろからYAYOIちゃんが歌いながら降りてくる。

間奏で再びDon't Worry に戻って二番へ、ゆっくりと歌いながら会場のお客さんとやりとりしながら降りてきたYAYOIちゃん、歌が終わるのにピッタリ合わせて舞台に上がる。会場からはサプライズに拍手喝采。アレンジも洒落ていてよかったな。もともとこの曲、アメリカで流行ったのもただの物珍しさだけでなくアメリカ人をくすぐるメロディが潜んでいたのではないかと思う。特にサビのコード進行など当時としてはかなり耳に新しく聴こえたのではないだろうか。

ということで三曲目は前半飛ばして歌わなかった「スウィングしなけりゃ意味ないね」。この曲はこのファミリーの十八番的な歌。YAYOIのリードヴォーカルに子供達三人のコーラスが軽快に絡まる。「デュワ・デュワ・・・」のところは会場の観客に振って観客全体で大合唱。会場一つになって盛り上がる。

次の曲は長男のDAICHIくんのソロで「クワンド・クワンド・クワンド」
MCがまだ慣れない感じで初々しい。トークになっちゃってる。
曲は軽快なポップス。昔1970年代にエンゲルベルト・フンパーディンクの歌で流行った曲と言ったらご年配の方は、あ、あれか!とわかる方もいるかと。

DAICHIくんはここ一年で随分と成長したように思える。
初ライブに行った時にはまだ少しオドオドしながら歌っているようなところがあったけれど、今日の歌は堂々たるもので声も良く伸びていた。

ここでまた三人の身内ネタトークになりこれがまた楽しかった。

ここで、またまたサプライズ。

プログラムには載っていなかったハーモニカの「マツモニカ」さんの登場。
この人のハーモニカは僕は大好きで、音色、テクニック、表現力共に抜群なのだ。
ギターのイントロに乗って待つモニカの切ないハーモニカのメロディで始まったのはトゥー・セイ・グッドバイという曲。ベースがアルコでしっとりと入ってきて切なさを盛り上げる。ワンコーラス歌い終えたところでマツモニカの短い間奏、これがまたいい静まりかえった会場からも思わず拍手が起こる。後半はYAYOIちゃんの歌にハーモニカのメロディーが絡みつくように流れ切ないサウンドを盛り上げた。

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続いてもまたまたプログラムにない曲で「リンゴ追分」
ミディアムテンポながら軽快というよりは哀愁たっぷりのYAYOIちゃんの歌いっぷり。彼女最近はこういう日本の曲も多く歌っている。長い間日本中を演奏で回って色々日本語の言葉に感ずるところでもあったのだろうか。間奏は圧倒のマツモニカのハーモニカソロのあと岩見さんのガットギターも心地よく切ない音色を響かせた。再び一番の歌詞でワンコーラスYAYOIちゃんが歌いきってエンディング。こういう曲がコンサートの中に自然に入ってしまうところもYAYOIちゃんならではというところだろう。


次の曲は「オーライト・オーケイ・ユーウィン」というブルース。
出だしの歌詞をYAYOIちゃんと観客の掛け合いで始まる。ワンコーラス歌ったところでソロの受け渡しに。
マツモニカのソロはブルースになったら先程までの哀愁たっぷり系から一気にハードスウィング系に豹変した。安定の岩見さんのギターソロを経てピアノ、ベースとソロが引きづガレ、後半はYAYOIちゃんと観客の掛け合いで「イェイ・イェイ」だの「シャッポン・シャパシャパ・デュビデュビ」と盛り上がる。会場全体で手拍子が打ち鳴らされて一つになる。楽しい瞬間だ。

後半最後の曲は全員集合で「シング・シング・シング」。
ドラムのドンドンで始まるあの曲である。ドラムが始まると同時に会場からは手拍子が打たれて早くもノリノリ。
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ヴォーカルもコーラスもバッチリ聞かせてくれてドラム対ギターのソロに、岩見さんはこのソロで色々な曲のメロを弾くまくり引き出しの多さを見せてくれた。僕が分かっただけで五曲くらいかな、最後はフォー・オン・シックスで締めてドラムソロに。

この日の八木さんの一番の勝負所。
大技小技たくさん見せて聴かせてくださいましたよう。会場もソロの熱が上がっていくのに引きづられるように熱気を帯びていって最後には歓声や指笛が飛んでくる。

エンディングテーマもバッチリ決まって会場からは大歓声と拍手の渦。メンバー紹介の間も拍手は途切れることなく、一人一人の名前をコールするたびに客席から「イェ〜イ!」と声が飛ぶ。そのままアンコールの拍手は止まずメンバー全員が登場して岩見さんのご挨拶。観客と350クラブのスタッフの皆さんへの感謝の言葉を述べておられた。

メンバー全員でお礼を言うと拍手喝采。アンコールに期待が湧く。

アンコールは岩見さんのギターとYAYOIちゃんの二人で「花は咲く」
彼らは全国を演奏しながら回っている中で出会ったたくさんの人の中には、大震災や豪雨被害にあった人たちとの交流もあり、そんな人たちに支援の募金を行なっているのだが、この歌はそんな二人の想いを込めた一曲。歌に入る魂のようなものを感じる一曲は大変感動的でありました。目元に光るものを隠しながらお辞儀をして舞台袖に下がったYAYOIちゃんの姿が印象的でありました。

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以上でリサイタルは終了。

楽しませて、聴かせて、泣かせてと音楽の持つ素晴らしさ満載のリサイタルでしたよ。来年もまた第17回としてこの時期に開催されることを楽しみにしています。皆さんもご興味あったら是非足を運んでみてください。来年はまた今年とひと味違ったライブが見られると思いますよ。

あ、それから岩見ファミリーのライブが12月23日にあったんだ。このブログを読んで見たくなった人はまだ間に合います。

場所は横浜、関内の A.B.SMILEというライブハウスで昼、夜のツーステージ。詳細は岩見さんのホームページをご覧ください。
写真提供:350クラブ
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2018年11月10日 (土)

岩見淳三16thリサイタル@かなっくホール

ジャズギタリスト岩見淳三さんのリサイタルに行ってまいりました。
ここ数年毎年見ているのですが、昨年は僕の体調不良で行くことができなかったので僕にとっては二年ぶりのリサイタルであります。

開場時間の少し前に横浜の東神奈川にある会場のかなっくホールに到着。ロービーはすでに行列ができていたので並ぼうかな、と思ったら毎年夏に行われる大学時代のジャズ研OB会に会場を提供してくださっている安曇野レストラン・パンプローナのオーナー先輩ご夫妻がいらした。このリサイタルを見るために長野から出てきたのだという。世間話もそこそこに開場となったので行列に並んでホールに入ると、すでに中断まで人で埋まっていた。

この日は前売りチケットで全席完売だとかで激しい席取が予想されるも、舞台正面中断のいい場所を確保。先輩はこのリサイタルに来るのは初めてなので始まる前からワクワクしているご様子。あれこれ話していたらあっという間に開演のお時間となり客電が消える。

舞台も薄暗い中、ピアノ、ベース、ドラムスのお三方が出てきて配置についたところで、このコンサートを主催する岩見淳三ファンクラブ的な350(サンゴーマル)クラブの会長から演奏開始の前の簡単なMCがあり演奏開始。


ピアノトリオでのブルースが軽快なテンポで始まる。数コーラス軽快に飛ばしたところに岩見淳三が登場しソロに入る、さらに舞台上手からYAYOI、 SHIZUKA 、HANAH SPリンG、 DAICHIのボーカル四名が登場しDuke's Placeを歌う。ハーモニーもバッチリ決まってフォー・バースに入りメンバー紹介。

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ピアノは本田富士旺。ベース、ジャンボ小野。ドラムスは八木ちゃんこと八木秀樹と順番にYAYOIからの紹介で軽快に一曲目は終わる。

YAYOIのMCで岩見ファミリーの紹介があり続いてはCheek To Cheek。
SHIZUKA、HANAH、DAICHIのコーラス隊のコーラスがイントロでYAYOIが歌い出す。コーラス隊の三人がなかなか効いていて YAYOIのボーカルを盛り上げる。

このコーラス隊三人が岩見とYAYOIの子供三人なのだからすごい家族だ。
父はギター、母はヴォーカル、子供三人もヴォーカルということになる。

軽快な歌とコーラス、岩見のソロで二曲目が終わるとまたまたYAYOIのMCで三曲目は予定変更でサウンド・オブ・ミュージックになる。

ギターのイントロにYAYOIのヴォーカルで入りサビからインテンポになりリズムはボサ・ノバのリズムで軽快に乗りだす。YAYOIの歌を優しく包み込むようなコーラスが入り心地よく流れていく。映画のイメージとはちょっと違うけれどこれもまた良い。緑の美しいオーストリア・アルプスの光景がまぶたの裏に浮かんできたあたりで、メドレーでDAICHIのエーデルワイスに移っていく。

DAICHIのヴォーカルも以前に比べ堂々としたものでデビューした頃の初々しさから堂々としたヴォーカリストに成長していているのを感じた。

さらにSHIZUKAにバトンタッチしてマイ・フェイバリット・シングスに。SHIZUKAちゃんはもうヴォーカリストとしては中堅の域に達している。いつ聞いてもジャジーな雰囲気の声が素敵。スキャットも決まってバンドをリードしメドレーは終わる。

四局目はモナ・リサ
この曲はナット・キング・コールの歌が大有名だが僕も大好きな歌。歌唱力が問われる曲である。これをSHIZUKAちゃんと岩見さんのデュオで聞かせてくれた。
SHIZUKAちゃんの伸びのある声と細やかな表現でワンコーラス歌ったところでピアノとベースが入りインテンポに。2コーラス目はメロディをフェイクさせながらも見事に歌い上げてくれた。しっとりとまた堂々たるものでありました。会場からは大拍手。

次は HANAHちゃんの登場で彼女のオリジナルナンバー、Song For Darlingという曲。びっくりしたのはベースのジャンボさんがエレベに持ち替えた事。ジャンボさんのエレベは初めて見た。

曲はミディアムハイテンポの軽快なソウル・ナンバー(いまはソウルって言わないか?)HANAHちゃんはR&Bの人なのでこの手の歌生き生きとして歌う。
歌唱力、声の良さともに抜群でさすがメジャーデビューしているだけのことはある。
特に高域の声の美しさは素晴らしくウットリと、ドキドキとさせられてしまう。
観客も一緒にコーラスに加わりノリノリの曲でした。

ここでMCで家族漫才的な一コマがあった後今度は岩見さんのギターソロでFoggy Forestというオリジナルナンバー。
この曲は岩見さんの今年出たアルバムJAZZ&BOSSA IIというwアルバムに入っている曲なのだが、そこではテーマのメロディーはベースがとっていたのでギター・ソロで聞くのは初めて。

曲は岩見さんの故郷、熊野の山中の情景を描いたものなのだが美しく情緒的なメロディにの曲だ。
ギターという楽器はソロでの素晴らしい演奏を聴くとなんて懐の大きな楽器なんだろうと思うほど様々な音色表現力のある楽器だと痛感させられる。美しいハーモニー、メロディ、音色が絡み合う様に聴き入り会場は水を打ったように静まり返った。


一部の最後は I Got Rhythm
軽快なバックに乗ってヴォーカルも警戒にバトンタッチして順番に交代していく。
ワンコーラス終わると各楽器のソロに、ピアノの本田さんのソロが効いている。
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このかた経歴を見てもわかるが海千山千という感じの方で、曲の解釈、一つ一つの音使いが実に巧みだ。ジャンボさんのベースソロも歯切れよく八木さんのドラムソロも軽快でキレがいい、ソロの軽快なスピードに乗ってコーラスも軽快にノリノリ、エンディングもバッチリ決まって第一部の終了。
いやあ、楽しい。あっという間に終わってしまった。
後半に続く・・・


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